不倫ごっこしてみませんか?―なぜあなたも好きになってはいけないの?

第20話 なかったことと廸への思い

7月9日(土)朝10時に部屋を出てロビーに向かう。11階でエレベーターが止まって女性が入ってきた。直美だった。僕が乗っていることに気づいたが、僕とはもう目を合わさなかった。

一階に着くと直美を先に降ろしてその後を歩いていく。直美はフロントでキーを返して駅の方へ歩いて行った。今はもう他人に戻った彼女の後姿を追いながら僕も駅に向かった。

駅ビルの売店で母親との昼食にお弁当を2つ買って駅の出口に向かった。ちょうど在来線が到着して乗客が改札口へ降りてきたところだった。直美が在来線の改札口で待っていた。そこへ黒い服を着た男性が下りてきて、直美と落ち合った。

直美は僕がそこに居合せて見ていたことに気が付いていなかったと思う。僕には見せたことのなかった笑顔が見えた。駅に寄らずにすぐに実家へ向かえばよかった。

◆ ◆ ◆
7月10日(日)いつものように帰る日には駅に着いたら新幹線に乗る前に廸に電話を入れる。

「これから帰るけど、買ってきてほしいものはある?」

「いつものように夕食にお弁当を3つ買ってきてください。ほかにお菓子の詰め合わせ、この前とは違った店のものにしてくれる?」

「了解。いつもと同じ3時前には家に着けると思う」

「気を付けて帰って来て」

◆ ◆ ◆
もう富山を過ぎた。僕は買ってきたナッツをつまみながらビールを飲んでいる。あまり食欲がなかったのでお昼はこれだけにした。

思いを残さないようにしたはずだった。それなのにあれからずっと直美のことばかり考えていた。このまま何もなかったことにすれば、何もなかったと嘘をつき続けていれば、本当になかったことになる。でも、なかったことにするにはできないほどいろいろなことがあった。

エレベーターでの出会いから、同窓会、そのあと1年と数か月の間、2か月ごとに何回の逢瀬を重ねたことだろう。会って愛し合うたびに新しい発見があった。僕だけでなく直美もそうだったろう。その中でもあの「初体験ごっこ」は今でも鮮明に覚えている。

逢瀬を重ねることで、僕に残っていた彼女への思いはすっかり消え失せてしまったが、彼女はまた別の思いを残していったのかもしれない。いやいや思いを残してはいけない。忘れよう。

眠っていた。気が付いたらもう大宮を出るところだった。

◆ ◆ ◆
ようやく家に着いた。今日はいつもより時間がかかった気がした。

「身体の具合でも悪いの? それとも何か気になることでもあるの? お母様は変りなかった?」

僕がいつもと違って元気がないようにみえたのだろうか? 直美と別れたことが顔に出ていたのだろうか?

「いつもと同じだけど、暑い中を歩いてきたせいだろう。東京の気温は高すぎる。恵理は勉強しているのか?」

「今日は2時から水泳教室へいっています。4時になったら迎えにいきます」

「僕が行こうか?」

「いいえ、あなたは家で休んでいてください。夕食はお弁当がありますから準備がいらないので大丈夫です」

家に帰った時点からもう日常が始まっている。

◆ ◆ ◆
廸が手を握ってきたので目が覚めた。部屋の時計は11時を指していた。廸は僕に後ろから抱かれるように眠っている。腰に回していた僕の手を彼女が無意識で握ったみたいだった。廸は寝息を立てて眠っている。

帰省の後の夜は必ず愛し合っている。僕の後ろめたい気持ちと新しい発見を廸に試したかったのかもしれないが、きっと両方だ。廸もそれを楽しみにするようになっている。今日も直美と試みた最後のシミュレーションの一部を新しく取り入れてみた。

廸はどう思っただろう。いつも以上に何度も上り詰めていた。腕をつかんだり、手を握ったりして、それを僕に伝えてきた。今日は直美を失った鬱積を無意識で廸にぶつけていたのかもしれない。廸はめったに快感の声を出さない。恵理を意識しているのだろうが、いつも押し殺しているのが分かっている。

廸はひょっとすると薄々気が付いていたのかもしれない。いやそんなことは絶対にない。いつか帰ってきたときに服の匂いをかいでいたことがあった。抱き合った直美の残り香があったかもしれない。でも何も言わなかった。

直美とのことはまた廸とのことを深く考える良い機会となった。廸と僕が結ばれるきっかけとなった「恋愛ごっこ」は僕の恋愛に対する気持ちのいい加減さをはっきり気づかせてくれた。

廸と僕との間には、直美と僕と間になかったものがあったし、今も確かにある。直美とあの夫の間にも直美と僕と間になかったものがあるに違いない。それが連れ添った夫婦というものなのだろう。

はじめはあまり思わなかったが、廸とは運命の出会いではなかったかと一緒に過ごすようになってから徐々にそう思うようになってきている。

直美と僕のように、廸と僕とは前世で同じように添い遂げられなかったのかもしれない。そんな思いを残していたのかもしれない、そういう考えがふと頭をよぎった。

廸にはどう言われようとも、これからも彼女が僕に仕掛けてくれた「恋愛ごっこ」のような新しいチャレンジを彼女に仕掛け続けていこうと思っている。それがこの不倫の償いになり、二人の絆を強くしてくれると思っている。


これで僕の「不倫ごっこ」のお話はおしまいです。

なお、余談になりますが、3か月後に突然メールが入りました。[11月12日(土)13日(日)帰省予定]さあ、どうしたと思いますか?
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