私の何がいけないんですか?

10.準備

「色々と驚かせて済まない」


 ハンネス様が口にする。陛下が用意してくれた応接室に二人きり、私はようやく、彼とゆっくり向き合うことを許されている。


「いいえ。驚きはしましたけど……私は今、とても嬉しいです」


 ハンネス様が私に会おうとしてくれたこと。結婚を望んでくれたこと。
 もちろん、今はまだ婚約が正式に決まったわけではない。だけど、ハンネス様のためなら、どんなことでも頑張れる。頑張りたいと心から思った。


「俺も……すごく嬉しい」


 はにかむ様に笑いながら、ハンネス様が私の頬に手を伸ばす。鼓動が跳ね、身体が一気に熱くなった。


「ねぇ……俺もエラ、って呼んでも良い?」

「……! もちろんです」


 寧ろ、そうして欲しいって思ってた。早く呼んでほしくて、ソワソワしながら続きを待つ。ハンネス様はそんな私を見つめながら、愛し気にそっと目を細める。


「エラ」


 ハンネス様が私を呼ぶ。それだけで、舞い上がりそうな程嬉しかった。彼との距離が縮まった――――そのことを肌で感じる。


「俺のことはそのまま、ハンネスと呼んでくれる? 親しい人は皆、そちらの名前で呼ぶんだ」

「はい、ハンネス様」


 ただ名前を呼び合うだけ――――ほんの少し彼に近付けただけで、とてつもなく嬉しい。ハンネス様に関わることならきっと、何でも。


「あの、国を発つのはいつ頃の予定ですか?」


 善は急げというけれど、仕事の引継ぎや準備の時間は必要だ。妃となる以上、こちらに戻ってくる機会は殆どないだろうし、両親や領地の皆にも、きちんと別れを告げねばならない。


「そうだね。本当はゆっくり準備をさせてあげたいのだけど、エラと早く一緒になりたいから」


 頭を優しく撫でられる。とてつもない破壊力。一瞬で色んなことがどうでも良くなった。


(いやいや、それじゃダメなんだけど!)


 彼と結婚するからこそ、通すべき筋はきちんと通さなければならない。今すぐに! と言ってしまいたくなるのを必死で抑えつつ、胸の鼓動を必死に宥めた。


「一ヶ月後、というのはどうだろう?」


 ハンネス様が首を傾げる。きっと、私の置かれた状況や感情、色んなことを配慮してくださったのだろう。


「十分過ぎるぐらいです。ありがとうございます」


 本当は、もっと早くハンネス様の元に行きたい。毎日彼に会いたい。そう伝えてみたいけれど、あまり甘えてばかりでは嫌われてしまうかもしれない。ジレンマを抱えつつ、ハンネス様を見上げれば、彼は私のことをギュッと抱き締めた。


「出発までの間も、できる限り会うようにしよう」


 優しい声音でハンネス様が囁く。私の気持ちなんてお見通しらしい。


「良いのですか? お忙しいのでは?」


 ハンネス様は今、縁のある公爵家に身を寄せているらしい。遊学目的の短期来訪ではあるけれど、その間も王太子として、視察や外交といった公務をこなしていらっしゃる。


「俺がそうしたいんだよ」


 甘い囁き。胸が勢いよく撃ち抜かれた。


(もうダメ。好きすぎてヤバい)


 心地よく響く彼の鼓動を聞きながら、甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込む。このまま死んじゃうんじゃないかってぐらい、ドキドキしていた。


(それにしても)


 ハンネス様の来国を含めた全ての情報を、ヨナス様は私から意図的に隠していたらしい。私はヨナス様付きの女官なのだから、本来なら、出迎えや滞在に掛かるお世話を任されてしかるべきだもの。

 どうしてヨナス様はそんなことをしたんだろう。分からない。彼の考えがちっとも理解できない。


「エラ」


 愛し気に名前を呼ばれ、顔を上げる。宝石みたいに美しいハンネス様の瞳が、私を真っすぐに見つめていた。
 胸が騒ぐ。思わずゴクリと唾を呑む。

 ゆっくりと彼の顔が近付いてきて、私は静かに目を瞑った。

 唇が甘い。触れ合った部分がトクトクと疼いている。温かくて優しい口付けに、空っぽだった心が満たされていく。


「好きだよ、エラ」


 ハンネス様の言葉に、私は泣きながら笑った。
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