妹と人生を入れ替えました~皇太子さまは溺愛する相手をお間違えのようです~
「――――で、お前は一体何をしてるんだ?」
その日、遅くに後宮を訪れた憂炎は、呆れたような表情でそんなことを口にした。
「何って……見て分からない? 鍛錬だけど」
花々の咲き誇る後宮の庭を走り回ること数時間。化粧は剥げ落ち、汗がダラダラ流れ落ちる。
普段実家で使っているのよりは動きづらいけど、妃用のヒラヒラしたものよりは数段マシのため、衣装は宦官のものを拝借している。めちゃくちゃ抵抗されたけど、武力行使して手に入れた。
(そうよ。もっと早くにこうしていたら良かったんだわ)
閉ざされた後宮。現皇帝の妃達と顔を合わせる機会も無い。
侍女や宦官からは苦言を呈されたけど、そんなことはどうでもいい。だってわたしは凛風だもの。元々妃の枠に収まるような人間じゃないんだから、大人しくしている理由は無かった。
「そんなにここが退屈なのか?」
憂炎はため息を吐きつつ、上衣を宦官へと預ける。それからため息を一つ、指をくいくいと上向けた。どうやら手合わせをしてくれるらしい。思わず口の端が上がった。
「まあね」
言いながら、思い切り地面を踏み込む。憂炎は俊敏に後退り、寸でのところで蹴りを躱した。続けざまに懐へと潜り込み、拳を振ろうとしたところで、憂炎がニヤリと笑う。
「あまりブランクは感じないな」
「そっちもね。デスクワークばっかりで鈍ってるんじゃないかと思ってた」
腕や足が勢いよく風を切る。宦官達がハラハラした様子でこちらを見ながら息を呑む。だけど、これでも大分手加減しているのだ。この程度の手合わせなら、互いに怪我をすることは無い。
さっき憂炎に『退屈なのか?』ってそう聞かれた。退屈だ。毎日優雅なティータイムばかりで飽き飽きしている。
だけど、それだけが鍛錬を再開した理由じゃない。
だって相手は――皇后は――腹の中の赤子を躊躇いなく殺すような女なのだ。自分の身は自分で守る。そのぐらいの努力は必要だろう。
それに、わたしがこうして鍛えていることは、現皇帝の後宮にも伝わる筈だ。入れ替わりを果たした後に、そのことが少しでも華凛の盾になったら良い。力を持っていると誇示することは、時に抑止力としても働く筈だ。
(それにしても)
どのぐらいぶりだろう。久しぶりに心の底から笑えている気がする。
憂炎とこうして拳を交わして。汗を掻いて。ようやく本当の自分に――――わたし達に戻れたみたいな、そんな心地。
「楽しいな、凛風」
憂炎が笑う。こいつのこんな笑顔を、久しぶりに見た気がする。最近の憂炎はいつも不機嫌な顔をして、わたしのことを見つめてばかりだったから。
全身が熱い。鼓動が早く、胸が小さく打ち震える。
それは生まれて初めて感じる、訳の分からない感覚だった。
憂炎の笑顔から目が離せない。あいつが笑っているのが何故だか無性に嬉しくて、それからすごく照れくさい。別に恥ずべきことではない筈なのに、口にするのがどうにも憚られる。
「――――ああ、そうだな」
久方ぶりに身体を動かせたから――――それがとても嬉しいから。
そんな風に結論付けて、わたしは笑った。
その日、遅くに後宮を訪れた憂炎は、呆れたような表情でそんなことを口にした。
「何って……見て分からない? 鍛錬だけど」
花々の咲き誇る後宮の庭を走り回ること数時間。化粧は剥げ落ち、汗がダラダラ流れ落ちる。
普段実家で使っているのよりは動きづらいけど、妃用のヒラヒラしたものよりは数段マシのため、衣装は宦官のものを拝借している。めちゃくちゃ抵抗されたけど、武力行使して手に入れた。
(そうよ。もっと早くにこうしていたら良かったんだわ)
閉ざされた後宮。現皇帝の妃達と顔を合わせる機会も無い。
侍女や宦官からは苦言を呈されたけど、そんなことはどうでもいい。だってわたしは凛風だもの。元々妃の枠に収まるような人間じゃないんだから、大人しくしている理由は無かった。
「そんなにここが退屈なのか?」
憂炎はため息を吐きつつ、上衣を宦官へと預ける。それからため息を一つ、指をくいくいと上向けた。どうやら手合わせをしてくれるらしい。思わず口の端が上がった。
「まあね」
言いながら、思い切り地面を踏み込む。憂炎は俊敏に後退り、寸でのところで蹴りを躱した。続けざまに懐へと潜り込み、拳を振ろうとしたところで、憂炎がニヤリと笑う。
「あまりブランクは感じないな」
「そっちもね。デスクワークばっかりで鈍ってるんじゃないかと思ってた」
腕や足が勢いよく風を切る。宦官達がハラハラした様子でこちらを見ながら息を呑む。だけど、これでも大分手加減しているのだ。この程度の手合わせなら、互いに怪我をすることは無い。
さっき憂炎に『退屈なのか?』ってそう聞かれた。退屈だ。毎日優雅なティータイムばかりで飽き飽きしている。
だけど、それだけが鍛錬を再開した理由じゃない。
だって相手は――皇后は――腹の中の赤子を躊躇いなく殺すような女なのだ。自分の身は自分で守る。そのぐらいの努力は必要だろう。
それに、わたしがこうして鍛えていることは、現皇帝の後宮にも伝わる筈だ。入れ替わりを果たした後に、そのことが少しでも華凛の盾になったら良い。力を持っていると誇示することは、時に抑止力としても働く筈だ。
(それにしても)
どのぐらいぶりだろう。久しぶりに心の底から笑えている気がする。
憂炎とこうして拳を交わして。汗を掻いて。ようやく本当の自分に――――わたし達に戻れたみたいな、そんな心地。
「楽しいな、凛風」
憂炎が笑う。こいつのこんな笑顔を、久しぶりに見た気がする。最近の憂炎はいつも不機嫌な顔をして、わたしのことを見つめてばかりだったから。
全身が熱い。鼓動が早く、胸が小さく打ち震える。
それは生まれて初めて感じる、訳の分からない感覚だった。
憂炎の笑顔から目が離せない。あいつが笑っているのが何故だか無性に嬉しくて、それからすごく照れくさい。別に恥ずべきことではない筈なのに、口にするのがどうにも憚られる。
「――――ああ、そうだな」
久方ぶりに身体を動かせたから――――それがとても嬉しいから。
そんな風に結論付けて、わたしは笑った。