政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
「ようこそ、お待ちしていました」
「よく来てくれたね」
乗ってきた馬を少し手前の繋ぎ場に預け、フォルトナー先生のお宅に着くと、夫婦二人で出迎えてくれた。
「突然連絡してすいません」
「気にしないで。その代わりご馳走は用意できないが、ゆっくりしてくれ」
「さあさあ、遠慮しないで中に入って」
二人で大歓迎で招き入れてくれ、私たちは居間へと通された。
「今すぐお茶を持ってきますね」
二人で勧められるまま応接用の椅子に腰かけると、先生が向かいに座り奥様が部屋を出ていく。
三人になるとルイスレーン様が立ち上がったので私も立ち上がった。
「ご無沙汰しておりました。この度は妻までお世話になって、大変助かりました」
一緒に頭を下げると先生も慌てて立ち上がった。
「座って下さい。それに世話をしたとは思っていません。もうお金のためだけにあくせくする必要のない身の上だ。自分がやりたい、楽しいと思うことしかしていない。そんなだから礼には及ばない。年寄りの道楽ですから」
三人でもう一度座り直す。
「そう言っていただけて、こちらも幾分気が楽になります」
「それはそうと、無事の帰還おめでとう。早速二人揃って訪問してくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます。お陰さまで無事に帰還することができました」
「私は何もしていないよ。実力と運があったからだ。私の家庭教師生活初めての生徒が君だからな。思い入れもある。ずいぶん立派になったようだが、外見だけでないことを祈るよ」
ルイスレーン様の無事な帰還は喜んでくれているのは間違いないが、表向きは立派でも中身が伴っているのかと指摘するあたり、厳しい方なんだろう。私には優しかったが、あれは記憶喪失を気遣って手加減してくれていたのかも。
「ご期待に添えるよう、日々精進していくつもりです」
ちょうどそこへ奥様がお茶のセットを運んできた。
「何かお手伝いすることはありますか?」
何度かここへ来ていて、その度に娘のように接してくれるので、すっかり慣れ親しんで彼女の側に寄った。
「あらぁ、今日はお客様のつもりでお迎えしたのに座ってらっしゃいな」
「そうだよ。今日はレジーナに任せておきなさい」
「ほら、また今度は一緒に手伝ってちょうだい」
「では、ここは私に……レジーナさんは料理の方へ戻ってください」
今日は構わないからと二人に言われ、それならとこの場は任せて欲しいと申し出た。
「それは助かりますが、でも……」
それも申し訳ないとレジーナさんが先生の方を見る。ルイスレーン様に気遣っているのだろう。
「そうおっしゃるならここはクリスティアーヌ様にお願いしよう。お前は食事の支度に戻りなさい」
「わかりました。じゃあ、ここはお任せしますわ。気を遣わなくていいのに」
ティーワゴンの押手を私に託し、レジーナさんは台所へと戻っていった。
「クリスティアーヌはここへ来ると調理の手伝いをしているのか?」
お茶の出具合を確認しようとティーポットの蓋を開けて中を見たときに、ルイスレーン様が呟いた。
「え!」
蓋を持って中を覗き込むために少し腰を曲げたまま、ルイスレーン様の方を見た。
何を思っているかわからないが、その口振りは驚いているのがわかる。
こちらを見つめるルイスレーン様の横で先生が複雑な顔をしている。
私が『愛理』だと知る先生は、私の行動をある程度理解してくれて好きにさせてくれていた。
社長令嬢でもひととおりの家事は仕込まれていたので家事は苦手ではない。
でもよそ様の家庭の台所まで立ち入って何かをするのはさすがに行き過ぎだったかもしれない。
「何がきっかけで記憶が甦るかわからない。やれることは何でもやった方がいいと思ってな。ほら、歩き方や食事の仕方のような体ですることは覚えているだろう」
「治療の一環……ということですか」
「そうそう、それだ!」
先生が力強く言うのでルイスレーン様もそれ以上は何も言わない。
「ベイル医師の所を紹介したのも先生だと聞いていますが、それもそうなのですか」
「まあ侯爵家の主治医のスベンには悪いが、他の医者の意見も必要だと思ってな……」
「診察についての話でなく、なぜ彼女が子どもの世話をすることになったのですか?」
「もう話したのか」
カップにお茶を入れて二人の前に置いた私に先生が訊ねた。
私が頷くと先生はルイスレーン様に訊ねた。
「不満なのかな?」
「ベイル先生のやろうとしていること自体は良いことだと思います。その支援をするのに出した資金が惜しいと思っているわけでもありません。ですが、彼女が働きたいと言ったことを先生がなぜ後押しされるのか理解できません」
「貴族の奥方が働くなど考えられんことだからな」
「そう思われるなら反対してくれても良かったのでは?」
「何が気に入らないのだ。世間体か?」
「何が………」
ルイスレーン様が私の顔を見て考え込む。
「誰かに必要とされたい。彼女がそう言うのでニコラスの所を紹介した。一ヶ月以上も持つとは思っていなかったが、案外彼女はしっかり者で頑張り屋だとわかった。自慢していいのではないかな」
「自慢……」
「私の教え子は常識や固定観念で人を判断せず、人の本質を見極められる男だと思うが、違ったか」
「そのように私を買い被らないでください。私はただ……」
「ただ?」
「笑わないで聞いてくださいますか?クリスティアーヌも、こんなことを言う私を嫌いにならないで欲しいのだが……」
彼の口ぶりが重くなり、私たちを交互に見た。
「よく来てくれたね」
乗ってきた馬を少し手前の繋ぎ場に預け、フォルトナー先生のお宅に着くと、夫婦二人で出迎えてくれた。
「突然連絡してすいません」
「気にしないで。その代わりご馳走は用意できないが、ゆっくりしてくれ」
「さあさあ、遠慮しないで中に入って」
二人で大歓迎で招き入れてくれ、私たちは居間へと通された。
「今すぐお茶を持ってきますね」
二人で勧められるまま応接用の椅子に腰かけると、先生が向かいに座り奥様が部屋を出ていく。
三人になるとルイスレーン様が立ち上がったので私も立ち上がった。
「ご無沙汰しておりました。この度は妻までお世話になって、大変助かりました」
一緒に頭を下げると先生も慌てて立ち上がった。
「座って下さい。それに世話をしたとは思っていません。もうお金のためだけにあくせくする必要のない身の上だ。自分がやりたい、楽しいと思うことしかしていない。そんなだから礼には及ばない。年寄りの道楽ですから」
三人でもう一度座り直す。
「そう言っていただけて、こちらも幾分気が楽になります」
「それはそうと、無事の帰還おめでとう。早速二人揃って訪問してくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます。お陰さまで無事に帰還することができました」
「私は何もしていないよ。実力と運があったからだ。私の家庭教師生活初めての生徒が君だからな。思い入れもある。ずいぶん立派になったようだが、外見だけでないことを祈るよ」
ルイスレーン様の無事な帰還は喜んでくれているのは間違いないが、表向きは立派でも中身が伴っているのかと指摘するあたり、厳しい方なんだろう。私には優しかったが、あれは記憶喪失を気遣って手加減してくれていたのかも。
「ご期待に添えるよう、日々精進していくつもりです」
ちょうどそこへ奥様がお茶のセットを運んできた。
「何かお手伝いすることはありますか?」
何度かここへ来ていて、その度に娘のように接してくれるので、すっかり慣れ親しんで彼女の側に寄った。
「あらぁ、今日はお客様のつもりでお迎えしたのに座ってらっしゃいな」
「そうだよ。今日はレジーナに任せておきなさい」
「ほら、また今度は一緒に手伝ってちょうだい」
「では、ここは私に……レジーナさんは料理の方へ戻ってください」
今日は構わないからと二人に言われ、それならとこの場は任せて欲しいと申し出た。
「それは助かりますが、でも……」
それも申し訳ないとレジーナさんが先生の方を見る。ルイスレーン様に気遣っているのだろう。
「そうおっしゃるならここはクリスティアーヌ様にお願いしよう。お前は食事の支度に戻りなさい」
「わかりました。じゃあ、ここはお任せしますわ。気を遣わなくていいのに」
ティーワゴンの押手を私に託し、レジーナさんは台所へと戻っていった。
「クリスティアーヌはここへ来ると調理の手伝いをしているのか?」
お茶の出具合を確認しようとティーポットの蓋を開けて中を見たときに、ルイスレーン様が呟いた。
「え!」
蓋を持って中を覗き込むために少し腰を曲げたまま、ルイスレーン様の方を見た。
何を思っているかわからないが、その口振りは驚いているのがわかる。
こちらを見つめるルイスレーン様の横で先生が複雑な顔をしている。
私が『愛理』だと知る先生は、私の行動をある程度理解してくれて好きにさせてくれていた。
社長令嬢でもひととおりの家事は仕込まれていたので家事は苦手ではない。
でもよそ様の家庭の台所まで立ち入って何かをするのはさすがに行き過ぎだったかもしれない。
「何がきっかけで記憶が甦るかわからない。やれることは何でもやった方がいいと思ってな。ほら、歩き方や食事の仕方のような体ですることは覚えているだろう」
「治療の一環……ということですか」
「そうそう、それだ!」
先生が力強く言うのでルイスレーン様もそれ以上は何も言わない。
「ベイル医師の所を紹介したのも先生だと聞いていますが、それもそうなのですか」
「まあ侯爵家の主治医のスベンには悪いが、他の医者の意見も必要だと思ってな……」
「診察についての話でなく、なぜ彼女が子どもの世話をすることになったのですか?」
「もう話したのか」
カップにお茶を入れて二人の前に置いた私に先生が訊ねた。
私が頷くと先生はルイスレーン様に訊ねた。
「不満なのかな?」
「ベイル先生のやろうとしていること自体は良いことだと思います。その支援をするのに出した資金が惜しいと思っているわけでもありません。ですが、彼女が働きたいと言ったことを先生がなぜ後押しされるのか理解できません」
「貴族の奥方が働くなど考えられんことだからな」
「そう思われるなら反対してくれても良かったのでは?」
「何が気に入らないのだ。世間体か?」
「何が………」
ルイスレーン様が私の顔を見て考え込む。
「誰かに必要とされたい。彼女がそう言うのでニコラスの所を紹介した。一ヶ月以上も持つとは思っていなかったが、案外彼女はしっかり者で頑張り屋だとわかった。自慢していいのではないかな」
「自慢……」
「私の教え子は常識や固定観念で人を判断せず、人の本質を見極められる男だと思うが、違ったか」
「そのように私を買い被らないでください。私はただ……」
「ただ?」
「笑わないで聞いてくださいますか?クリスティアーヌも、こんなことを言う私を嫌いにならないで欲しいのだが……」
彼の口ぶりが重くなり、私たちを交互に見た。