政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
「私が君を笑ったことなどない」
「私も……どんな理由があってもきちんと聞く耳は持っています。嫌いになるなど……」

私たちが二人でそう言うと、彼がゆっくりと口を開いた。

「嫉妬……したのだと思います」

「は?」「え?」

二人同時にぽかんとした顔で気の抜けた声を出した。
嫉妬?誰に?何に?

「嫉妬?」

先生が先に聞き返す。

「戦争という公務で長く留守にして、彼女との時間を共有できなかったことは、王の臣下として軍に籍を置く者として仕方ないことだったと思います。執事からの手紙で彼女の様子を聞き及んでいたとしても、彼女が倒れたときにすぐに駆けつけられなかった。酷い夫だと言われても反論すらできません」

そんなことはないと言いかけたが、先生がそれを手を差し出して止めた。

「急に届くようになった彼女からの手紙を嬉しく思い、彼女と近づけたと思っていましたが、戦争が終わり、自分の知らなかった彼女の生活を知るにつれ、その時間を彼女と共有できなかったことを、自分の知らない彼女を他の人たちが知ることが……なぜか腹立たしかった」
「つまり、第三者が自分の気づかなかった……知らない彼女の側面に接していたことが気に入らない……嫉妬したと?」

先生の問いに彼がこくりと頷き、深々とため息を吐く。

「ですが、それは私の勝手な感情です。私がそう感じただけで、彼女を縛り付けるつもりもそれを押し付けるつもりもありません。こんな気持ちは初めてで……自分が何をしているのか…先生に何が気に入らないのかと訊ねられて、そのことに気がつきました」

沈黙が流れる。先生は何かを深く考え込み、ルイスレーン様はうつむき、私は……どう言葉をかけていいかわからない。彼は私をクリスティアーヌだと思っている。手紙をやり取りしたのも、ニコラス先生の所に通っていたのも、今ここにいるのも私だが、彼が思っているクリスティアーヌではない。それでも彼の知らない私を知る人たちに嫉妬を覚えたと聞いて、彼が私のことをもっと知りたいと思ってくれていると知り、胸がじんとなった。

「人の側面はひとつとは限らない。永年連れ添っているが、私とてレジーナの全てを理解しているかと言えば自信がない。ましてや二人はまだ一緒になって日が浅い。互いに知らない側面があって当たり前だ。そのことに嫉妬するほど相手を思っているなら、これからもっと知っていることを増やしていけばいい。これからではないか」

「お食事ができましたよ」

そこにレジーナさんが支度ができたと呼びに来た。

「とりあえず食事にしよう」

先生が立ち上がり先に歩き出し、その後ろを二人でついていく。

隣を歩く顔を見上げると先程先生に言われたことについてまだ考えているようだ。

「さあさあ、たくさん作りましたので召し上がってください」

レジーナさんの大きな声が場を明るくする。
そこにいるだけで人を和ませられる彼女はやっぱり私の理想だった。

食卓にはミートパイ、鶏肉のトマト煮込み、野菜のオーブン焼き、オムレツに焼き立てパンが並べられていた。

四人なのにその量は倍の人数でも食べきれるかどうかの量だった。

「デザートにプディングもあるからね」

一切れが大きく切り分けられたミートパイをそれぞれの皿に乗せ野菜を添える。

「侯爵邸のものとは比べ物になりませんが味は保証するよ」

「懐かしい……昔、セオドアたちと一緒に食べたな」

「覚えていらっしゃいましたか。お皿を舐めるように食べておられたのを思い出しまして」

舐めるようにって、比喩だと思うけど想像してしまった。

「セオドアたちを羨ましく思っていた。いつもこんな温かくて美味しいものが食べられるのかと……我が家の料理人の料理が不味いと言っているのではないが」

ルイスレーン様の言いたいことが何となくわかる。侯爵家の食卓は食材も豪華でいかにもプロの料理だ。
たまにならいいが、毎日だと飽きてくるものだ。
レジーナさんの料理はシンプルだが毎日食べても飽きの来ない家庭料理。
子ども心にそれが羨ましいと思っていたのだと思うと、何だか切なくなってくる。

「そう言っていただけて作った甲斐がありますわ。お代わりたくさんありますから」

「遠慮なくいただこう」

レジーナさんのミートパイは茹でて潰したポテトと玉ねぎが入っていた。
表面のパイ生地はサクサクだが具の水分で下のパイ生地はしっとりしていた。

「記憶にあるままの味だ。何も変わっていない」

ひとくち目を咀嚼しながら目を瞑りルイスレーン様が懐かしむ。

「お口に合って良かったですわ」

料理を気に入ってもらえてレジーナさんも満足している。
それから暫くは先生たちの三人のお子さんたちの近況や先生のお仕事についての話題などで話が弾んだ。
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