政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
「お父様、ご本を読んでください」
「クリスティアーヌ……もうすぐ叔父さんが来るんだ。後にしてくれ」

絵本を抱え、書斎の父を訪ねた。
机の前に座り、いつも優しい光を放つ父の焦げ茶色の瞳が、その日は何故か厳しい。
父に本を読んでもらうのが好きだった私は、父が仕事をする書斎によく押し掛けた。
いつもはどんなに忙しくても相手をしてくれる父が、その日に限って我が儘をきいてくれなかった。

「やだ、今読んで……叔父さん嫌い……」

いつもと違う父の厳しい顔が叔父のせいだとなぜか悟り、そんな父が怖かった。
そんなことがなくても叔父のことは好きではなかった。
父の弟である叔父は子爵家の領地に住み、領地の管理人をしている。時折訪ねてきては父と書斎にこもってはさっさと帰ってしまう。
子どもが嫌いなのか、私に笑顔ひとつ向けない。

「クリスティアーヌ……今日は我慢しておくれ」

父が説得する。いつもは諭しながらでも言うことを聞いてくれるのに、その日だけは駄目だった。
諦めて書斎を出るが、諦めきれず書斎の窓の外で叔父が帰るのを待つことにした。

叔父がやってきて、父と二人の話し声が聞こえるが、話の内容はよく聞き取れないし、何を言っているか難しくてよくわからなかったが、時折聞こえる声は言い争っているようだ。
なかなか話が終わらず、窓の下でうつらうつらとし出した。

「もういい!兄上に俺の気持ちなんかわからないさ」

ひときわ大きな声が聞こえて、バタンと扉を乱暴に閉める音が聞こえ目が覚めた。

恐る恐る窓から中を覗くと、父が書斎の椅子に座り項垂れていた。


「あなた、どうしても行くのですか?」
「ああ」

父と母の寝室。私たち三人でいる。

コートの襟を立て今まさに出掛けようとする父に母が心配そうに訊ねる。私は母のスカートを握りながら、ただならぬ父の強張った顔を見上げている。

「誰か別の者を使いに出すか、手紙ではだめなのですか?」
「これは兄としての私の仕事だ。ミゲルには悪いが、いつか改心してくれるだろうと信じて今日まできた私が愚かだった。もうこれ以上弟を庇いきれない。この前で最後だと言い聞かせたのに……彼とはもう縁を切る」
「それは……でも、あなたのたった一人の弟……」
「そう思うから今までも彼に言われるままに援助はしてきた。だが、これで何度目だ。いくら私がお金を工面して穴埋めしても、次から次へと一攫千金を狙って怪しい投資に飛び付いたり、賭け事に没頭してすぐに使いきってしまう」
「でも……」
「心配するな。何も無一文で放り出すわけではない。住み込みで雇ってくれるところも探してある。そこで一から商売人として修行すればそれなりの生活はできるようになる。すぐに戻る。いい子にしてるんだよ」

「お父様……」

「クリスティアーヌは心配しなくていいよ。カロリーヌがそんな暗い顔をする必要はない。もっと早く思いきれなかった私の責任だ」

母に寄り添う私の頭を撫でて父が泣きそうな、でも強い決意を込めた目で見下ろす。

「あなた、お気を付けて」
「すぐに帰る。待っていてくれ」

私たちを見て微笑むお父様。

パチリと目が覚めると、自室の寝台の上だった。

まだ少し日の出には少し早い時間。
頬が濡れているのを感じ手を触れる。夢を見て泣いていたのだとわかり、今見ていた夢について思いを巡らした。

あれが父の姿を見た最後だった。

叔父と父の関係は最後には悪化していた。

あの時、父は叔父との関係を断絶するため領地へと向かった。その途中で事故に合い還らぬ人となった。
叔父としてはまさに天の采配だったに違いない。

そこからもう眠ることは出来ず、白々と明けていく空をまんじりともせず眺めていた。

ガチャン。暫く明けていく空を眺めていると、向かいのルイスレーンの部屋の扉が開く音がした。

立ち上がって扉を開けて廊下を覗いた。

「すまない。起こしてしまったか?」

私が部屋から出てきたのを見て、階段に向かおうとしていたルイスレーンが振り返った。

「いいえ……少し前から起きておりましたから……もうお出掛けになるのですか?」

少し躊躇った後に彼が近寄ってきて中へ入ってくると、扉を背後で閉めた。

「ルイス……」

見上げると彼はいきなり扉に押し付け、唇を重ねてきた。
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