政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
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「それが届いたのが二週間前。その三日後にこれが届いた」
皇子がそう言ってもう一通手紙を出してきた。
それも同じように既に開封されている。
それ事態は珍しくない。例え高位の者であろうと私信は万が一のことを考えて検閲される。
差出人は同じダレクから。
その内容は妻の病状についての経過が書かれていた。
医師の診断によれば記憶のことの他は体に異常はないこと。食事もきちんと取り、受け答えもしっかりしているとのことだった。
ただ読み書きの文字は忘れているということで、当分は自分からの手紙で我慢してくれということが書いてあった。
結婚する前もしてからも、一度も彼女から手紙が送られてなどきていないと言うのに、何を今さらと思う。
「奥方の大変なときにすぐに知らせずに悪かった。新婚早々離ればなれにさせているというのに」
再度皇子が詫びの言葉を発する。
「いえ、そのことは妻も承知で結婚しましたので」
とは言え、記憶がないと言うことなのでその話も忘れ、自分が倒れたのに帰ってこない夫に失望しているかも知れない。
ルイスレーンは結婚式の夜、初めて二人で迎えた夜の妻の様子を思い出していた。
子猫のように震え、まるで夫に暴力を加えられるかのように怯えていた。
妻が初めてなのはわかっていたことなので、初夜を迎える花嫁とは皆、こんなものなのかと思った。
結局、その夜は何もなく二人で同じベッドで眠っただけで終わった。
情けないと言われても嫌がる女性を無理矢理手込めにする趣味は彼にはない。
マリアンナ辺りは二人がまだ正式には結ばれていないと勘づいているだろうが、ここでは皆が花嫁との床入りを既に済ませたと思い込んでいるため、無難に話を合わせて誤解させたままにしている。
「今からでも戻るか?」
一年前に結婚したばかりの皇子が気をつかって訊ねる。
新婚の妻が倒れて記憶を失った。そのことをすぐ知らせなかったことを責められても仕方ないと思っていたオリヴァーは、せめてもの償いに今からでも戻らせてもいいと思っていた。
最初の報せが届いてすぐに知らせるべきだったのを躊躇っている内に次の手紙が届いた。
三日後に届いた手紙には心配ではあるが、今すぐできることはないという医師の見解が記されてあったので、彼が戻るまで報せなかった。
なぜ躊躇ったのか、理由はわかっている。
ルイスレーンの妻は国王である父が取り持った相手であることは彼も知っている。
彼女の母方が王室の血を継いでいるが、王位継承権はずっと低い。
しかも彼女の生活は平民のそれよりも水準が低かったと聞く。
いかに国王からの命令だったとは言え、彼にこの縁談を受ける義理もなかった。断ったところで命令違反に問うつもりは王にもなかった。
そんな外れのカードを引いたみたいな結婚だが、それでも夫婦として幸せならまだ良かったが、結婚式をあげて夫婦になって以来、戦地の彼に妻からの手紙が一通も届かないことを皇子は知っている。
これまでたった一行、元気かという手紙すら寄越さなかった彼女に皇子はいい印象を持っていなかった。
報せは執事からだったが、夫が戦地へ赴任しているというのに、その気遣いもないのか。
彼女が大変だからと言って、なぜルイスレーンが戻らなければならない。
そういう思いがあったのは否定しない。
「いえ、私と同じ境遇の者は他にもおります。私だけ特別扱いは無用です。どうやら大事ないようですし、ご心配には及びません。それよりも一刻も早く戦争を終わらせ、王都に凱旋いたしましょう」
彼の回答は軍人としては完璧だったが、一人の男としては難ありだった。
ダークブロンドの髪は普段は肩の辺りに切り揃えられているが、伸びて麻紐で後ろにひとつに纏めている。
野外での生活が長いため肌は日に焼け、軍の質素な食事のせいで頬も痩せてきているが、野営地から戻ったばかりでいくらか伸びた髭のせいであまり目立っていない。
下を向いて手紙をもう一度読み直しているため瞳の色はわからないが、光の加減で見え方が変わる美しい色をしている。
背も高く、鼻筋の通ったかなりの男前だと皇子も思っている。
「そなたが構わないなら、無理にとは言わないが、本当にそれでいいのか?私の命令であっちの仕事にかこつけて戻っても……」
これが最後だと皇子が念を押すが、ルイスレーンの答えは変わらなかった。
あっちの仕事。
皇子は彼のもうひとつの任務まで持ち出したが、それこそ職権乱用だ。
皇子の知らない夫婦の間のことだ。彼もそれ以上は何も言わなかった。
そう思いながら、目の前の忠実な副官のことを心配せずにはいられなかった。
「それが届いたのが二週間前。その三日後にこれが届いた」
皇子がそう言ってもう一通手紙を出してきた。
それも同じように既に開封されている。
それ事態は珍しくない。例え高位の者であろうと私信は万が一のことを考えて検閲される。
差出人は同じダレクから。
その内容は妻の病状についての経過が書かれていた。
医師の診断によれば記憶のことの他は体に異常はないこと。食事もきちんと取り、受け答えもしっかりしているとのことだった。
ただ読み書きの文字は忘れているということで、当分は自分からの手紙で我慢してくれということが書いてあった。
結婚する前もしてからも、一度も彼女から手紙が送られてなどきていないと言うのに、何を今さらと思う。
「奥方の大変なときにすぐに知らせずに悪かった。新婚早々離ればなれにさせているというのに」
再度皇子が詫びの言葉を発する。
「いえ、そのことは妻も承知で結婚しましたので」
とは言え、記憶がないと言うことなのでその話も忘れ、自分が倒れたのに帰ってこない夫に失望しているかも知れない。
ルイスレーンは結婚式の夜、初めて二人で迎えた夜の妻の様子を思い出していた。
子猫のように震え、まるで夫に暴力を加えられるかのように怯えていた。
妻が初めてなのはわかっていたことなので、初夜を迎える花嫁とは皆、こんなものなのかと思った。
結局、その夜は何もなく二人で同じベッドで眠っただけで終わった。
情けないと言われても嫌がる女性を無理矢理手込めにする趣味は彼にはない。
マリアンナ辺りは二人がまだ正式には結ばれていないと勘づいているだろうが、ここでは皆が花嫁との床入りを既に済ませたと思い込んでいるため、無難に話を合わせて誤解させたままにしている。
「今からでも戻るか?」
一年前に結婚したばかりの皇子が気をつかって訊ねる。
新婚の妻が倒れて記憶を失った。そのことをすぐ知らせなかったことを責められても仕方ないと思っていたオリヴァーは、せめてもの償いに今からでも戻らせてもいいと思っていた。
最初の報せが届いてすぐに知らせるべきだったのを躊躇っている内に次の手紙が届いた。
三日後に届いた手紙には心配ではあるが、今すぐできることはないという医師の見解が記されてあったので、彼が戻るまで報せなかった。
なぜ躊躇ったのか、理由はわかっている。
ルイスレーンの妻は国王である父が取り持った相手であることは彼も知っている。
彼女の母方が王室の血を継いでいるが、王位継承権はずっと低い。
しかも彼女の生活は平民のそれよりも水準が低かったと聞く。
いかに国王からの命令だったとは言え、彼にこの縁談を受ける義理もなかった。断ったところで命令違反に問うつもりは王にもなかった。
そんな外れのカードを引いたみたいな結婚だが、それでも夫婦として幸せならまだ良かったが、結婚式をあげて夫婦になって以来、戦地の彼に妻からの手紙が一通も届かないことを皇子は知っている。
これまでたった一行、元気かという手紙すら寄越さなかった彼女に皇子はいい印象を持っていなかった。
報せは執事からだったが、夫が戦地へ赴任しているというのに、その気遣いもないのか。
彼女が大変だからと言って、なぜルイスレーンが戻らなければならない。
そういう思いがあったのは否定しない。
「いえ、私と同じ境遇の者は他にもおります。私だけ特別扱いは無用です。どうやら大事ないようですし、ご心配には及びません。それよりも一刻も早く戦争を終わらせ、王都に凱旋いたしましょう」
彼の回答は軍人としては完璧だったが、一人の男としては難ありだった。
ダークブロンドの髪は普段は肩の辺りに切り揃えられているが、伸びて麻紐で後ろにひとつに纏めている。
野外での生活が長いため肌は日に焼け、軍の質素な食事のせいで頬も痩せてきているが、野営地から戻ったばかりでいくらか伸びた髭のせいであまり目立っていない。
下を向いて手紙をもう一度読み直しているため瞳の色はわからないが、光の加減で見え方が変わる美しい色をしている。
背も高く、鼻筋の通ったかなりの男前だと皇子も思っている。
「そなたが構わないなら、無理にとは言わないが、本当にそれでいいのか?私の命令であっちの仕事にかこつけて戻っても……」
これが最後だと皇子が念を押すが、ルイスレーンの答えは変わらなかった。
あっちの仕事。
皇子は彼のもうひとつの任務まで持ち出したが、それこそ職権乱用だ。
皇子の知らない夫婦の間のことだ。彼もそれ以上は何も言わなかった。
そう思いながら、目の前の忠実な副官のことを心配せずにはいられなかった。