政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
第三章
初めてニコラス医師の診療所を訪れてから一週間が経った。

「奥様、明日も行かれるのですか?」

自室の書き物机に座って考え込んでいる私にマリアンナが訊いてきた。

「そういう約束だもの」

顔を上げず真っ白なままの便箋を見つめながら答える。

「奥様がそこまでなさる必要があるのですか?辞めても誰も困らないのでは」

ぐっさり彼女は私の痛いところを突く。
マリアンナが言いたいこともわからないでもない。

この一週間の私はひどかった。

朝から昼までの半日とは言え、慣れない仕事は体力的にきつかった。

ニコラス医師の診療所は、外来だけではなかった。
ベッドは二十床ほどで、常に八割は埋まっている。後の二割は緊急に運ばれてくる患者のために空けているそうだ。

私の仕事はまず洗濯。洗濯機などない。ただ有難いことに水の摩石があるのでいちいち水を汲む必要がなく、洗濯桶に汚れ物と石鹸と摩石を入れて洗濯板でごしごしすればいい。

洗濯が終われば次に掃除。埃を箒で掃いてモップをかける。モップをかけたら風の摩石で乾燥させる。

その次が食事の下ごしらえの手伝い。

洗濯と掃除は日本でもやっていたが、やはり家電がないと難しい。
それに量が多かった。

習い事がある日はお手伝いさんに来てもらっていたし、父が亡くなる前は父と自分と夫の三人だったから量も大したことはなかった。

慣れない労働で初日は帰宅してから夕食も食べずに眠ってしまった。

次の日は筋肉痛に苦しみながらの作業だった。

意外にもニコラス先生は私が初日で根をあげると踏んでいたらしい。

二日目に診療所に現れた私を見て驚いた他の従業員がそう言っていた。
一日だけ面倒みてやってくれと頼まれたと。

確かにクリスティアーヌの外見を見れば、働く必要がある身分には見えない。

記憶にはないが、話を聞く限りクリスティアーヌも単なるお嬢様ではなかったようだ。
世間ずれした母親の代わりに小さい頃から苦労していたみたいだ。
記憶はなくても体が覚えているのか、ひととおり教えてもらえばある程度のことは出来るようになってきた。
まだまだ失敗も多かったが、最初は腫れ物に触るように接していた他の人達も、一週間も経てば私を受け入れてくれるようになった。

診療所に通うため、始めていたレッスンは暫く休むことになったが、フォルトナー先生の授業だけは回数を減らして続けることにしていた。


課題だと思っていた手紙が本当に戦地のルイスレーン様に届けられていたとわかり、せっかくだからと続けてみてはと先生に言われ、書こうとするのだが、いざ本当に書くとなると何て書けばいいのかわからず、診療所に通いだしてから一行も書けていない。

「あー、もう何も思い浮かばない!」

頭をかきむしり、机に突っ伏した。

明日も朝が早いので早く寝なければと思うのに、またもや夕食まで寝てしまい、寝る前の僅かな時間で手紙を書こうとするが、診療所でのことを書くわけにもいかず、今日も書けないまま終わろうとしている。

「あまり根を詰めすぎないでください。今日はもうお休みになられては?」

「他の人はどんなことを書いているのかしら」

ネットでもあれば検索でも出来るが、情報収集するにもここでは簡単にはいかない。

「誰か教えてくれる人はいないかなぁ」

クリスティアーヌに友達はいない。
いれば彼女宛に手紙でも届いているはずだ。

だが結婚して半年も経つが誰からも届いていなかった。
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