政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
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届いた手紙を読みながらルイスレーンはふと顔をあげて、部屋の窓から夜空を見上げる。
「アイザック」
空を見上げたまま彼は自分の身の回りの世話をする部下に声をかける。
「はい、何でございますか、副官」
呼ばれたアイザックがさっと彼の側につくと、相変わらず空を見上げながら呟く。
「もう春……なのだな」
「はい?」
一瞬意味がわからず彼は思わず聞き返した。
「王都は春も終わりだそうだ。ここはまだこれからだな」
「………作用でございますね。ですが今年はいつもより早いようで、庭にある木々の蕾もかなり膨らんでおりました」
この近くの出身であるアイザックがそう言葉を返すと、徐にルイスレーンが振り返った。
「そうか」
ほんの一瞬、瞬きの間の出来事。アイザックはいつも小難しい顔の上官の口元が僅かながら緩むのを見た気がした。
「すまない……手を止めてしまったな。仕事を続けてくれ」
再び手元の手紙に視線を戻した上官がそう言うので、小首を傾げながらもアイザックは言われたとおり洗い終えた上官の衣服を櫃に戻す作業を続けた。
急に春がどうとか言い出したのは何故なのだろう。隣国が戦を仕掛けてきたのが秋の初め。冬を越してやがて春になろうとしている。長引く戦に痺れを切らしているのか。そろそろ戦局が大きく動こうとしているのだろうか。
アイザックは副官が戦について思いを馳せていると思っていた。
まさか王都から届いた妻からの手紙に感化されてのことだとは思いもよらなかった。
◇◇◇◇◇◇
王都から届いた彼女からの手紙を読みながらルイスレーンは季節の移り変わりを気にかけたことなどなかったと思った。
もちろん進軍にあたって暑いか寒いか。雨季か乾季か、雪が深いのかを考慮するのは重要なことだ。
また、年中行事についてもそろそろ狩猟シーズンだとか社交シーズンだとかは貴族として重要なことなので気にはしている。
だが、それ以外で季節の訪れを感じて思いを馳せるなどはこれまでになかった。
それに彼女は何を気にしているのだろう。
妻となったからには夫のお金を遣うのは当然のことなのに、たかが衣装ひとつ仕立てることを詫びている。
ダレクには彼女の望むとおりの生活をさせてやれと言っているし、女性の衣装ごときで財産が底をつくなどあり得ない。
おもしろいことを気にするものだと思った。
妻が浪費しすぎると愚痴るのを聞いたことがあるが、彼も妻を迎えるにあたってそれは覚悟していたことだし、散財し過ぎるのは困るが、衣装ひとつで細かいことを言うつもりもない。
それくらいの資産は十分すぎるほどに持っている。しかもダレクが構わないと言っているくらいなのだ。彼に異論はない。
ニコラス・ベイル殿と言えば王室の主治医まで勤めた彼のことか。
彼が主治医を辞したことは知っていたが診療所を開いたとは初めて知った。
フォルトナー先生の友人と知っていたので、先生からの紹介だろうとは思った。
だが、彼をもってしても妻の記憶については時間任せにするしか方法がないのかと残念に思い、彼女がどれ程落胆しただろうかと想像する。
彼女が診療所の運営に興味を持ったことに驚いたが、それで彼女の気持ちがいくらか晴れるなら好きにさせてやろうと思った。
貴族の妻が社会奉仕をすることも珍しくないことだ。
顔を見たのは二度。名前と素性しか知らなかった妻がどんなことを考え、何に興味があるのか考えたことがなかった。
一度は忘れた文字を一生懸命学び直し、文章はまだたどたどしいがとても美しい文字を書く。
育った環境のせいなのか衣装を仕立てることにも罪悪感を感じ、社会奉仕に感心がある。
季節の移り変わりに目を止める風情も持ち合わせているようだ。
自分が感情の起伏に乏しくいつもしかめ面なのはある程度自覚がある。
そんな自分に怯えていた彼女と、こうして手紙を読んでわかってくる彼女がまったく重ならず少々違和感を覚える。
貴族社会や軍生活において人を見てどのような人物か見抜くことには慣れていても、女性と深く向かい合ったことがなかったため、感じた違和感に彼は深く気に止めることはなかった。
届いた手紙を読みながらルイスレーンはふと顔をあげて、部屋の窓から夜空を見上げる。
「アイザック」
空を見上げたまま彼は自分の身の回りの世話をする部下に声をかける。
「はい、何でございますか、副官」
呼ばれたアイザックがさっと彼の側につくと、相変わらず空を見上げながら呟く。
「もう春……なのだな」
「はい?」
一瞬意味がわからず彼は思わず聞き返した。
「王都は春も終わりだそうだ。ここはまだこれからだな」
「………作用でございますね。ですが今年はいつもより早いようで、庭にある木々の蕾もかなり膨らんでおりました」
この近くの出身であるアイザックがそう言葉を返すと、徐にルイスレーンが振り返った。
「そうか」
ほんの一瞬、瞬きの間の出来事。アイザックはいつも小難しい顔の上官の口元が僅かながら緩むのを見た気がした。
「すまない……手を止めてしまったな。仕事を続けてくれ」
再び手元の手紙に視線を戻した上官がそう言うので、小首を傾げながらもアイザックは言われたとおり洗い終えた上官の衣服を櫃に戻す作業を続けた。
急に春がどうとか言い出したのは何故なのだろう。隣国が戦を仕掛けてきたのが秋の初め。冬を越してやがて春になろうとしている。長引く戦に痺れを切らしているのか。そろそろ戦局が大きく動こうとしているのだろうか。
アイザックは副官が戦について思いを馳せていると思っていた。
まさか王都から届いた妻からの手紙に感化されてのことだとは思いもよらなかった。
◇◇◇◇◇◇
王都から届いた彼女からの手紙を読みながらルイスレーンは季節の移り変わりを気にかけたことなどなかったと思った。
もちろん進軍にあたって暑いか寒いか。雨季か乾季か、雪が深いのかを考慮するのは重要なことだ。
また、年中行事についてもそろそろ狩猟シーズンだとか社交シーズンだとかは貴族として重要なことなので気にはしている。
だが、それ以外で季節の訪れを感じて思いを馳せるなどはこれまでになかった。
それに彼女は何を気にしているのだろう。
妻となったからには夫のお金を遣うのは当然のことなのに、たかが衣装ひとつ仕立てることを詫びている。
ダレクには彼女の望むとおりの生活をさせてやれと言っているし、女性の衣装ごときで財産が底をつくなどあり得ない。
おもしろいことを気にするものだと思った。
妻が浪費しすぎると愚痴るのを聞いたことがあるが、彼も妻を迎えるにあたってそれは覚悟していたことだし、散財し過ぎるのは困るが、衣装ひとつで細かいことを言うつもりもない。
それくらいの資産は十分すぎるほどに持っている。しかもダレクが構わないと言っているくらいなのだ。彼に異論はない。
ニコラス・ベイル殿と言えば王室の主治医まで勤めた彼のことか。
彼が主治医を辞したことは知っていたが診療所を開いたとは初めて知った。
フォルトナー先生の友人と知っていたので、先生からの紹介だろうとは思った。
だが、彼をもってしても妻の記憶については時間任せにするしか方法がないのかと残念に思い、彼女がどれ程落胆しただろうかと想像する。
彼女が診療所の運営に興味を持ったことに驚いたが、それで彼女の気持ちがいくらか晴れるなら好きにさせてやろうと思った。
貴族の妻が社会奉仕をすることも珍しくないことだ。
顔を見たのは二度。名前と素性しか知らなかった妻がどんなことを考え、何に興味があるのか考えたことがなかった。
一度は忘れた文字を一生懸命学び直し、文章はまだたどたどしいがとても美しい文字を書く。
育った環境のせいなのか衣装を仕立てることにも罪悪感を感じ、社会奉仕に感心がある。
季節の移り変わりに目を止める風情も持ち合わせているようだ。
自分が感情の起伏に乏しくいつもしかめ面なのはある程度自覚がある。
そんな自分に怯えていた彼女と、こうして手紙を読んでわかってくる彼女がまったく重ならず少々違和感を覚える。
貴族社会や軍生活において人を見てどのような人物か見抜くことには慣れていても、女性と深く向かい合ったことがなかったため、感じた違和感に彼は深く気に止めることはなかった。