政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
遂に王都へ帰還する日が来た。

正午を待って正門から入っていく。

前日に宿泊した街で正装に着替え、隊列を組んで行軍する。
国旗と軍旗をそれぞれ掲げた兵が乗った馬が先頭を進み、そのすぐ後ろを総大将であるオリヴァー殿下が白い軍服を着て白馬に乗って進む中、半馬下がって護衛の兵士が皇子を囲む。

そしてその後ろをルイスレーンが黒馬に跨がって進む。

「何か不審な点でも?」

自分の護衛としてすぐ横を進むライデルクが声をかけてきて、無意識に周囲を見渡していたことに気づく。

「……いや、大丈夫だ。何でもない……随分大勢の人が出迎えてくれているのだな」

適当に言い繕い、周囲を見渡していた理由を誤魔化す。

ーいる筈はないか……

下級兵士の家族ならいざしらず、貴族兵の家族は今日は自宅で待機している筈だ。

大通りの両脇を埋め尽くす人々の中にいるはずもない。
それでも視界の端で彼女の髪色に似た色を見ると一瞬はっとする。

気にしすぎだ。

殿下に言われたことが気になって、かえって意識し過ぎているのだと、自分に言い訳する。

王宮までの道のりを半ばまで進んだ時、どこかの店に入ろうとしているキャラメル色の女性が目に入った。

後ろ姿なので顔は見えなかったが、子どもを二人連れているので恐らくは違うだろう。

まったく、これでは恋に溺れる三文芝居の主人公ではないか。

幻想を振り払うように頭を振り、毅然と前を向く。

今は一人の女性に思い悩む時ではない。沿道を埋め尽くす何万もの国民に意識を向ける。

軍に籍を置いているのはリンドバルク侯爵家が代々そうだったからだけではない。

ここにいる人達を含むエリンバウアの国民を護りたい。それができる自分にないたいと思ったからだ。


王宮に着いて国王を始めとした王族、諸侯にオリヴァー殿下と共に謁見を済ませると、待ち構えていた侯爵家の馬車へと向かった。

「お待ちしておりました。旦那様」

侯爵家の家紋が付いた馬車の脇に控えていたのは御者のトムだった。

「トムか」

「はい、旦那様。トムです」

確認するように名前を訊かれ、トムは不思議そうな顔をする。

「……クレープは美味しかったか?」

「はい……え?………いえ……」

いきなり変なことを訊かれて戸惑うトムを尻目に馬車に乗り込んだ。

「それでは、出発いたします。邸の皆も旦那様のお帰りを心待ちにしておりますよ」

馬車の扉を閉める前にトムがそう言った。

「私も皆に会うのが楽しみだ」

トムの言う皆にクリスティアーヌが入っているのか。
馬車の中で一人になると、最初の一声は何て言うべきか、それをどんな表情で伝えるかを試行錯誤するうちに、何も思い付かないまま目の前に侯爵邸が見えてきた。

王宮から侯爵邸までの距離が意外に短く感じた。

ダレクが扉を開けて彼と言葉を交わす。

しかし扉が開いた瞬間、鮮やかな青いドレスを身に纏った彼女に目を奪われた。

うつ向いているため顔は見えないが艶やかなキャラメル色の髪がドレスの青に映えている。

回りの使用人たちの着ている服が黒や濃紺、灰色という色のため、殊更その青が目に眩しい。

ダレクの次にあいさつに進み出たマリアンナが含みのある笑いを向けてくる。

彼女に向かって歩みを進め、もう一度彼女に視線を移せば、さっきは気づかなかったが、深く切り込んだ襟元からこぼれそうな豊かな胸の谷間が目に飛び込んできた。

「…………」

最初に何と声をかけるべきか考えていた言葉は全て忘れた。
それどころかあまりの衝撃に息をすることも忘れていた。

「旦那様、クリスティアーヌ様です」

ダレクが囁き呪縛が解かれる。

慌てて取り繕い言葉をかけると、徐に彼女が頭を上げ、金色の瞳に自分の顔が写り込んだ。

ルーティアスとしては二度会話を交わしているが、ルイスレーンとして彼女とこうやって見つめ合うのは初めてかもしれない。

暮れかけた夕陽が金色の瞳をより鮮やかに輝かせ、そこに映る彼の影も濃くなる。

互いに見つめ合いながらどれ程時間が経っただろう。
異変に気づいたのはその時だった。

何かを言いかけていた彼女の表情が強張り、輝きを放っていた瞳から光が失われたと思った瞬間、ぐらりと彼女の体が前に傾いで、自分の腕の中に飛び込んできた。

「クリスティアーヌ!」

力を失った彼女を抱き止め大声で名を呼んだ。
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