政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
★
一度気持ちを認めてしまうと全てが違って見えた。
彼女が部屋を出てくる頃合いを見計らって、偶然を装い部屋を出る。
淡いグリーンのドレスに着替えた彼女を見て、鼓動が跳ね上がった。
髪はサイドを編み込んで後ろに流し、ほっそりした首から肩、鎖骨の白さが眩しい。
一緒に行こうと言いながら動揺を見せないように先に階段まで歩いたところで、待つべきだったと気づいてそこで彼女を待った。
遅れて現れた彼女に手を差し出す。始めは抵抗を見せた彼女もやがて差し出した手に手を重ねてきた。
結婚式の冷たく震えていた手とは違い温かい。
階段を降りても手を離したくなくて握ったまま歩く。
それほど強く握ってはいないので、彼女から振り払えばいつでも離すつもりでいた。
しかし彼女から振りほどくこともなく食事室に入ると、二人の席が遠く対極に設置されていた。
これでは彼女の声も満足に聞こえず表情もわからない。
飲酒について訊ねるとわからないと言う。
記憶のことを失念していたことに我が身を呪った。
ワインをひとくち飲んでしばらくすると、白磁の肌が薄いピンクに染まった。
食事の間は主に彼女がしゃべっていた。
食事とワインを堪能しながら彼女の話に耳を傾ける。
甲高くもなく低すぎず、彼女の声は耳に心地良かった。
満腹そうなのでデザートを断ろうとしたが、食べたいと言うので運ばせると、満面の笑みでそれを頬張る。
そんなに美味しいのか。
彼女が食べようとしたひとくちを奪って口に含む。
これくらいの甘さなら食べられないことはない。
甘いものは敢えて必要とはしないが、彼女が望むなら今度は一緒に食べてもいいと思った。
それより目を丸くして驚いている彼女がまた愛らしい。
これを食べ終えれば食事の時間は終わる。
終われば彼女はこのまま部屋に戻ってしまうのではないか。
ダンスを口実に彼女を音楽室に誘い、ともにダンスを踊った。
自信がないという言葉のとおり、何度も足を踏まれたが、それよりも真剣に踊りに取り組む彼女が愛らしく、他の男どもと踊らせたくないとも思った。
ダンスを終えて彼女を部屋の前まで送り届けると、 楽しかったと言われて自分も彼女と過ごす時間が楽しいと感じていたことに気づいた。
これまでどうしても侯爵として外せない夜会以外は出席を拒んできた。
夜会で出会う令嬢や奥方たちの取り留めもない会話を聞いているのは、はっきり言って苦痛だった。
なのに彼女の話はどうしていつまでも聞いていたいと思えるのだろう。
相変わらず謝罪の言葉しか口にしない。それが彼女の口癖なのだろうか。もう謝るなと言っているのに………我知らず体が動き、唇を口づけで塞ごうとしてすんでのところで思いとどまり、額に軽く口づけを落とした。
驚いていぽかんと口を開けている彼女に挨拶をしてさっさと自室へ引き上げた。
あのまま居ては、今度はあの唇に口づけを落としたくなる。
暫くしてダレクとマリアンナが入ってきた。
「よく我慢なさいましたね」
「……お前たちが控えているとわかっているのに、無茶なことはしない。酒は飲んでいるが理性を失うほどではない」
彼らが主夫婦の目に触れないところで様子を窺っていたことは気がついていた。
スカーフを首から外しベスト、シャツの順に脱いでいく。
「私が留守の間、彼女をずいぶん助けて見守ってくれたのだな。礼を言う」
「私たちは侯爵家に仕える者として当然のことをしたまでです」
「これからもよろしく頼む。それで、二人から見て彼女はどんな人物だ」
「私どもの目から見て……でございますか?」
「そうだ。私が知っている彼女と今の彼女……正確には倒れる前の彼女と今日見た彼女は本当に同一人物か?」
「それは………」
二人が互いに顔を見合せ言い澱む。
「二人の口から言いにくいことか?彼女の変化は、記憶を失くしたことと関係があるのだな」
「専門的なことは存じ上げませんが、確かにその時を境に奥さまのご様子は変わりました」
結婚式の翌日にここを離れてからの彼女の様子は彼からの手紙を読んで知っていた。
あまり表に出ず、使用人たちとも一定の距離を取り、することと言えば読書ばかりだったようだ。
なのに記憶を失ってからの彼女は、失くした記憶を補うための勉強だけでなく、これまでやってこなかった習い事に積極的に取り組み、使用人たちともすっかり打ち解けている。
一番驚いたのは彼女の表情。
街中で出会った時も今日も、彼女は生き生きとしている。
さっきは泣かせてしまったが、何も言わずただ涙していた彼女とは泣き方すら変わっていた。
別人のように感じても仕方ない。
彼らの様子から察するに、何か心当たりがあるように感じた。
一度気持ちを認めてしまうと全てが違って見えた。
彼女が部屋を出てくる頃合いを見計らって、偶然を装い部屋を出る。
淡いグリーンのドレスに着替えた彼女を見て、鼓動が跳ね上がった。
髪はサイドを編み込んで後ろに流し、ほっそりした首から肩、鎖骨の白さが眩しい。
一緒に行こうと言いながら動揺を見せないように先に階段まで歩いたところで、待つべきだったと気づいてそこで彼女を待った。
遅れて現れた彼女に手を差し出す。始めは抵抗を見せた彼女もやがて差し出した手に手を重ねてきた。
結婚式の冷たく震えていた手とは違い温かい。
階段を降りても手を離したくなくて握ったまま歩く。
それほど強く握ってはいないので、彼女から振り払えばいつでも離すつもりでいた。
しかし彼女から振りほどくこともなく食事室に入ると、二人の席が遠く対極に設置されていた。
これでは彼女の声も満足に聞こえず表情もわからない。
飲酒について訊ねるとわからないと言う。
記憶のことを失念していたことに我が身を呪った。
ワインをひとくち飲んでしばらくすると、白磁の肌が薄いピンクに染まった。
食事の間は主に彼女がしゃべっていた。
食事とワインを堪能しながら彼女の話に耳を傾ける。
甲高くもなく低すぎず、彼女の声は耳に心地良かった。
満腹そうなのでデザートを断ろうとしたが、食べたいと言うので運ばせると、満面の笑みでそれを頬張る。
そんなに美味しいのか。
彼女が食べようとしたひとくちを奪って口に含む。
これくらいの甘さなら食べられないことはない。
甘いものは敢えて必要とはしないが、彼女が望むなら今度は一緒に食べてもいいと思った。
それより目を丸くして驚いている彼女がまた愛らしい。
これを食べ終えれば食事の時間は終わる。
終われば彼女はこのまま部屋に戻ってしまうのではないか。
ダンスを口実に彼女を音楽室に誘い、ともにダンスを踊った。
自信がないという言葉のとおり、何度も足を踏まれたが、それよりも真剣に踊りに取り組む彼女が愛らしく、他の男どもと踊らせたくないとも思った。
ダンスを終えて彼女を部屋の前まで送り届けると、 楽しかったと言われて自分も彼女と過ごす時間が楽しいと感じていたことに気づいた。
これまでどうしても侯爵として外せない夜会以外は出席を拒んできた。
夜会で出会う令嬢や奥方たちの取り留めもない会話を聞いているのは、はっきり言って苦痛だった。
なのに彼女の話はどうしていつまでも聞いていたいと思えるのだろう。
相変わらず謝罪の言葉しか口にしない。それが彼女の口癖なのだろうか。もう謝るなと言っているのに………我知らず体が動き、唇を口づけで塞ごうとしてすんでのところで思いとどまり、額に軽く口づけを落とした。
驚いていぽかんと口を開けている彼女に挨拶をしてさっさと自室へ引き上げた。
あのまま居ては、今度はあの唇に口づけを落としたくなる。
暫くしてダレクとマリアンナが入ってきた。
「よく我慢なさいましたね」
「……お前たちが控えているとわかっているのに、無茶なことはしない。酒は飲んでいるが理性を失うほどではない」
彼らが主夫婦の目に触れないところで様子を窺っていたことは気がついていた。
スカーフを首から外しベスト、シャツの順に脱いでいく。
「私が留守の間、彼女をずいぶん助けて見守ってくれたのだな。礼を言う」
「私たちは侯爵家に仕える者として当然のことをしたまでです」
「これからもよろしく頼む。それで、二人から見て彼女はどんな人物だ」
「私どもの目から見て……でございますか?」
「そうだ。私が知っている彼女と今の彼女……正確には倒れる前の彼女と今日見た彼女は本当に同一人物か?」
「それは………」
二人が互いに顔を見合せ言い澱む。
「二人の口から言いにくいことか?彼女の変化は、記憶を失くしたことと関係があるのだな」
「専門的なことは存じ上げませんが、確かにその時を境に奥さまのご様子は変わりました」
結婚式の翌日にここを離れてからの彼女の様子は彼からの手紙を読んで知っていた。
あまり表に出ず、使用人たちとも一定の距離を取り、することと言えば読書ばかりだったようだ。
なのに記憶を失ってからの彼女は、失くした記憶を補うための勉強だけでなく、これまでやってこなかった習い事に積極的に取り組み、使用人たちともすっかり打ち解けている。
一番驚いたのは彼女の表情。
街中で出会った時も今日も、彼女は生き生きとしている。
さっきは泣かせてしまったが、何も言わずただ涙していた彼女とは泣き方すら変わっていた。
別人のように感じても仕方ない。
彼らの様子から察するに、何か心当たりがあるように感じた。