愛を知るまでは★ビターチョコレート編★
写真
それからというものの、俺は月に二回くらいの割合で、勉強をするために、信二の家を訪れるようになった。

信二の家は信二の父親である山本康太郎と母親の山本信江、そして信二の3人家族だ。

信二の家に行くときは甘党の信江さんの為に、必ず菓子を持参することにした。

それは時に羊羹だったり、饅頭だったり、カラフルな金平糖だったり、まるで実の母親への手土産を選ぶような気持ちになり、その時間は俺にとっても楽しいものとなった。

勉強に夢中で帰りが遅くなったある日、執拗に夕飯を食べていけと勧められ、信二の家族と一緒に食卓を囲むこととなり、やがてそれが常態化した。

康太郎さんはやはり野球ファンであり、信二はその影響でリトルリーグから野球を始めたという。

さらにピッチャーだったという康太郎さんと俺は、ピッチングの話題で盛り上がった。

「やっぱりね、正しいフォームで投げることでスピードとコントロールが安定するんだよ。
鹿内君はどんな投球フォームが得意なんだい?」

「オーバースローですね。少しでも速い球を投げたいので。
おじさんは何が得意だったんですか?」

「俺はサイドスロー。変化球が得意だったんだよね。巨人の斉藤って投手がサイドスローで有名なんだけど、知っているかい?」

「はい。名前だけは。」

「変化球が投げられる投手は強いよ。君も練習するといい。」

「はい。挑戦してみたいと思います。」

さらに康太郎さんの好きな小説家が司馬遼太郎だということで、歴史好きな俺と気が合い、「燃えよ剣」の土方歳三の生涯についてや、俺の恩師である流川が好きだった吉田松陰を描いた小説について語り合ったりもした。

康太郎さんは日本酒党で、お猪口に酒がなくなると、俺はすかさず徳利を持ち、酒を注いだ。

「弘毅。そんなに気を使わなくていいよ。父さんは手酌で勝手に飲むからさ。」

「いや、俺がやりたくてやっているんだ。」

俺がそう言うと、俺の家庭の事情を知っている信二は、暗黙の了解とでもいうように、俺のやることを気にも留めないという体で、受け流してくれた。

その日も信二の家の夕食をごちそうになっていると、信江さんが得意げな顔でなにか丸いものをお盆に載せて、キッチンからテーブル席にやって来た。

「ジャジャン!!今日はデザートにチーズタルトがありますよ~」

「おっ!やった!!母さん買ってきたの?」

信二がそのチーズタルトを覗き込むように、身を乗り出した。

「違うのよ~。今日の午前中にね、つぐみが持ってきてくれたの。

料理研究部で上手く作れたからって!

あの子、料理の腕あげたわね。誰に似たのかしら?」

「まあ母さんじゃないことだけは確かだな。」

康太郎さんがお茶をすすりながら、そうつぶやく。

「あら、失礼ね。つぐみにプリンの作り方を教えたのは私よ。」

つぐみと聞いて、俺の鼓動が早まった。

俺とつぐみがこの家で鉢合わせになったことは今まで一度もない。

俺がこの家に居るのは平日の夕方から遅くても21時くらいまで。

つぐみは祝日か、何故だか分からないが、午前中に来るのが常らしい。

その理由を信江さんがついでのように話しだした。

「つぐみの通っている桜蘭中学って、たまに午前中だけお休みになる日があるらしいの。

なんでも、桜蘭学園の理事長さんが午前中に良い行いをしてから学校に来なさいっていう理念を打ち出したんですって。さすが女子校を立ち上げるお人は考えることも高尚だわね。」

成程、それで午前中に祖父母孝行に顔を出すのか。

つぐみの生真面目で優しい性格が良くわかるエピソードだと思った。

「鹿内君も食べてね。」

俺は扇形に切り取られたそのチーズタルトを、舌が忘れないように堪能した。

それは今まで食べたどんなケーキより、甘くてほろ苦い味がした。

もしつぐみとこの家で出会うような事があったら、どう振舞えば良いのだろうか?

男嫌いのつぐみのことだから、用件を済ましたらすぐに帰ってしまうかもしれない。

俺はつぐみにとって、ろくに顔も覚えてもらえない、信二の友人Aのままなのか。

「どうした?弘毅。難しい顔して。」

信二がチーズタルトをフォークに差しながら、俺の顔を怪訝そうに見た。

「いや・・・なんでもない。美味いな。このチーズタルト。」

「ああ。まあつぐみが作るスイーツはシュークリームの方が美味いけどな」

相変わらず信二は贅沢なことをのたまった。

「それより、食べ終わったらちょっと俺の部屋に来てくれないか?

一緒に見てもらいたいものがあるんだ。」

「ああ。」

信二に促されて、俺達は二階へ上がった。

部屋に入ると信二はあらかじめ立ち上げてあったノートパソコンを広げて、写真のフォルダーがある画面を開いた。

信二は数あるフォルダーの中の「学校」と名付けられたフォルダーを開いた。

そこには体育祭や文化祭、合唱祭などの行事の時に撮ったと思われるクラスメート達の写真が収められていた。

体操服でピースしていたり、制服で肩を組んでいたりするクラスメートの写真が、かなりの枚数パソコン画面に映し出された。

信二は写真を撮るのが趣味で、行事の時は必ず自分の一眼レフのカメラを持ってきて、皆の姿をその機械に焼き付けていた。

そんなことをさらりと出来てしまうところが、クラスの皆に愛される理由のひとつなのだろう。

しかし俺は行事でも部活動でも、なるべくその被写体にならないように行動していた。

写真を見ると、お袋とお袋の新しい男が写ったあの映像がよみがえってしまう。

そしてお袋が俺を過去にした事実を思い出してしまう。

被写体になった時点で、自分が過去に閉じ込められてしまうようで、怖いのだ。

それでもこのフォルダーの写真の中に、確実に俺はいる。

「俺さ、卒業アルバム作成の責任者になっちゃったんだよ。どの写真が卒アルに載せたらいいか弘毅も一緒に選んでくれないか?」

「・・・いいけど。」

「ま、今日は遅いから、また家に来た時、ゆっくりな。」

「了解。」

そんなことより、俺は「家族」と名付けられた写真フォルダーが気になって仕方なかった。

あのフォルダーの中に、つぐみが写っている写真が、きっとあるはずだ。

その画像をどうにか入手できないものか。

俺はつぐみの過去、そして出来るならば現在進行形の姿を一目見たかった。

そんなことを考えている自分を気持ち悪い男だと、もうひとりの俺が蔑んでいる。

・・・本当にどうかしている。

でもつぐみを想うこの気持ちは、自分でも制御出来ないほど、日に日に大きくなっていく。

会えそうなのに会えない、このもどかしい状況が、つぐみに対する執着心を膨らませていく。

俺は信二の部屋を訪れるとき、大きな罪悪感を抱えながら、ポケットにUSBメモリを忍ばせるようになった。

そしてそのチャンスは意外と早くやってきた。

その日、俺と信二は体育祭の写真の選別を行っていた。

クラス全員が卒業アルバムに載るように、上手く写真を選ばなくてはならないこの作業は、パズルのようで難しくもあり楽しくもあった。

二人でやっと5枚の写真を選び終わったその時、階下から信二を呼ぶ信江さんの声が聞こえて来た。

信二はやれやれというように、一階へ降りていった。

しばらくして部屋に戻ってくると、俺に両手を合わせて頭を下げた。

「悪い!父ちゃんが駅で階段からこけて、足をくじいたらしい。そんで俺がタクシーで迎えにいかなくちゃならなくなった。俺は今すぐ家を出ないといけないから、弘毅は適当に帰ってくれないか?パソコンはそのままにしておいてくれればいいから。」

「大丈夫なのか?俺も行った方が良くないか?」

俺の提案に信二は首を振った。

「いや、病院にも寄らなくちゃならないから時間もかかるし、父ちゃんひとりくらい俺だけで大丈夫だ。もう遅いし、弘毅もすぐ帰れよな。」

そう早口にまくしたてると、信二はダウンジャケットを手にして、階段を駆け下りて行った。

ひとり信二の部屋に取り残された俺の脈拍は、どくどくと早鐘を鳴らしていた。

考える間もなく、俺はポケットからUSBメモリを取り出し、信二のパソコンの挿入口に震える手でそれを差し込んだ。

家族と名の付いたフォルダーにカーソルを合わせ右クリックし、送るという文字の隣に羅列された文字の一番下にある俺のUSBメモリのネーム部分をまたクリックする。

するとパーセンテージを表す緑色の線があっという間に100%に到達し、俺はすぐにUSBメモリを挿入口から引き抜いた。

その間、たったの5分。

人のデータを盗むことは立派な犯罪だと頭では理解していたが、すでに身体が勝手に行動を始めてしまっていた。

俺はそのUSBメモリを失くさないように、リュックの内側のポケットに収め、ノートや筆記用具もリュックに詰め込み、部屋を出た。

一階にいる信江さんに帰る旨を一声かけ、黒いニューバランスのスニーカーを慌てて履くと、逃げるように玄関を飛び出した。

外は肌寒いのに、体中が火照って仕方なかった。

とうとう俺は一線を越えてしまったのだ。

しかしどんな罪に問われてもいい、何でもいいから、つぐみの事が知りたかった。

家に着き、夕食も喉を通らず、早々に自室に籠り、机の上のノートパソコンを開き、電源を立ち上げる。パスワードを入れ、画面を開き、もどかしい思いでUSBメモリを挿入口に差し込んだ。

信二のパソコンから抜き取った家族フォルダーを開くと、おびただしい数の写真が保存されていた。最初の写真は信二が小学校低学年くらいなのか、赤いユニフォームを着てグラウンドを走る姿が写っていた。一枚一枚、丁寧に画像を確認していくと、信二の家族とともに幼稚園の制服を着た女の子が現れた。

つぐみだ。

写真が進むにつれ、つぐみはランドセルを背負った小学生になった。

どこかの公園で遊具に乗って笑っている写真、誕生日のケーキのろうそくを吹き消している写真、夏祭りで浴衣を着てピースをしている写真、どの写真のつぐみも愛らしくてお宝映像の山だった。思わず吐息がこぼれてしまう。

つぐみが写った最後の写真は、中学校の制服を着て、犬を抱き上げ頬ずりをしていた。

セミロングの黒髪に白い肌、黒目の大きい栗鼠のような瞳、頬に浮かぶえくぼ、桜色の唇。

制服は紺を基調としたタータンチェックのリボンとお揃いの柄のスカート。

いまどきの太ももを露わにした下品な女子高生とは違い、膝が隠れるくらいの絶妙なスカート丈に紺のソックス、そして濃い茶色のローファーを履いていた。

学校指定らしき紺色のカバンには、ひとつだけキーホルダーがぶらさがっている。

なにもかもが完璧だった。

俺が想像した通りの中学生のつぐみだ。

つぐみの通う桜蘭学園は中高一貫教育だ。

きっとつぐみは女の園で、どんな男にも汚されずに生きているに違いない。

俺はこの写真フォルダーの中身を、まるで大切な宝物を愛でるように眺めるのが日課となった。

私立桜蘭女子校の前を通ると、俺は少しだけ足を止めて、その黒い柵の向こうの校舎を眺めた。

グラウンドでは、テニス部の女学生たちが、ラケットを振り回し、黄色いボールを追いかけている。

あの校舎の中に、つぐみがいる。

黒板を見ながらノートを取り、友達とお弁当を食べ、図書室で本を借り、掃除当番をこなし・・・。

学校生活を送る様々なつぐみの姿を想像しながら、フッと小さく微笑して、その場を立ち去る。

しかしそれも、大学受験が間近に迫ってくると、次第に足が遠ざかっていった。

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