愛を知るまでは★ビターチョコレート編★
従兄
中学の卒業式を待たずに、俺は実家を出た。
必要最低限の物だけ段ボールに詰め、大学生になる従兄の陽平に車を出してもらい、荷物を運んでもらった。
親父は初めの内は俺が家を出ることに難色を示した。
息子のことで実の兄に借りを作ることが嫌だったのだ。
しかし自分の一存で愛人を妻にした負い目があるからか、渋々俺の決断に首を縦に振った。
名前を呼ぶのも汚らわしいあの女、寺坂みれいは視線も合わせない俺に一言
「今までのことはお父さんには内緒にしてね。」と誰にも聞こえないような声で楔を刺した。
お前みたいな女と関係があったなんて、口が裂けても言うわけがない。
呑気なことに親父は、俺とみれいの事に、全く気付いていないらしい。
気付かれても困るが、同時に鈍感な親父に対して無性に腹が立った。
伯父の鹿内誠一は、一部上場企業の部長として営業の最前線で馬車馬のように働く親父とは正反対の性格で、国文学専攻の教授として某有名大学へ勤めていた。
教授といっても週に一回講義を生徒に教えるだけで、名誉や権威より研究肌の性格が災いしてか、大学内では孤高の存在として隅に追いやられているらしかった。
物静かで仙人のような佇まいの伯父は、俺が居候することになっても、今までと何も変わらないという態度で接してくれた。
俺はその無関心さが逆に心地よかった。
伯母は7年前に心臓病で他界している。
伯父とお似合いの、ひそやかで物静かな、百合のような女性だった。
その伯父の一人息子で俺の従兄にあたる男が鹿内陽平だ。
陽平は両親のDNAを全く受け継がなかったようで、今風にいうとしたら「パリピ」という人種だった。
明るい茶色の髪はゆるいウエーブがかかっていて、細身の身体にいつも流行のファッションを身に着けている。
男女問わず友人が多く、大学の「レインボー」という微妙な名前のサークルに所属していた。
陽平は伯父の専門である国文学ではなく、英文学を大学では専攻していた。
夏はサーフィン、冬はスキーやスノボーと大学生活を満喫しているリア充。
高校に入って再び野球に打ち込みだした俺とは性格も趣味趣向も全く違うが、
俺はこの従兄が嫌いではなかった。
その裏表のない明るさ、何事も柔軟に受け入れるしなやかさは、
俺にはないもので見ていて眩しかった。
俺が伯父の家に居候したいと真っ先に相談したのも、陽平だった。
母親を早くに失った者同士、心の根底に流れる淋しさの川の流れのようなものがお互いの精神を知らぬ間に理解し合っていたのかもしれない。
しかしそんな湿っぽさを持つ俺と比べて、陽平は底抜けにポジティブな男だった。
陽平はたびたび俺をサークルのイベントに誘って来た。
「行かない。年上の知らない人間と話すなんて面倒くさい。」
俺はいつも頑なに断った。
しかし陽平はめげずに何度もしつこく俺をサークルのイベントに引き込もうとした。
「お前の写真見せたら、サークルの女達がお前に会いたいってうるさいんだよ。」
また女か・・・。
俺はうんざりした。
「勝手に人の写真見せんなよ。個人情報だぞ。」
「それくらい許してくれよ。俺とお前の仲だろ?
それに女はいいぞ~。人生を潤してくれるし、野郎相手じゃ得られないやすらぎをくれるぜ?」
「勝手に潤ってろ。」
俺は陽平の言葉なんかに、心を動かされることはなかった
ある日陽平の部屋で、ずっと探していた、マイナーな戦国武将の生涯を描いた、興味深い歴史の本を見つけた。
「陽平、この本貸してくれない?!」
俺は流行のロックバンドの曲を、イヤホンを付けて聴き入っていた陽平が聞こえる様に、陽平の耳元で大声を出した。
「え?なに?」
「だから、この本貸してくれよ。」
俺はその黒い表紙の分厚い本を掲げてみせた。
「えーと。それ親父から貰った大切な本なんだよな。」
「・・・・・・。」
「でも条件付きならいいよ。」
「なんだよ?」
「今度サークルでバーベキューやるから来いよ。なに、俺が車で連れていってやるし、準備や買い物もしなくていい。お前はただ肉食ってのんびりしてればいいからさ。」
「・・・・・・。」
どうしてもその本を読みたかった俺は、渋々その誘いを受けることにした。
初夏の太陽の光が降り注ぐ祝日に、俺は陽平に連れられて、相模湖畔にあるキャンプ場へ行った。
着いた時にはもう、熱い鉄板の上に串にさされた肉や野菜が並べられ、飲み物の缶も冷たい氷水が張られたバケツに放り込まれていた。
陽平はキャンプ場に着くとすぐに仲間の輪に入り、馬鹿話に興じている。
俺はひとり所在なく、鉄板の上の焼きあがった肉を他の人間が食べやすいように、串から外す作業をしていた。
すると背後から甘ったるいラベンダーの香りが漂ってきた。
「陽平君の従弟の弘毅君?」
振り向くとワンレングスの髪を茶色に染め、官能的な唇をした女が俺に向かって微笑んでいた。
「私は三浦喜代美っていうの。陽平君と同じ英文学部の3年生。今日は遠いところをご苦労様。」
「・・・どうも。」
「高校生なのに随分背が高いのね。鹿内家の血筋なのかしら?」
たしかに俺の背丈も陽平と同じくらいで身長185センチくらいの筈だ。
女は俺の身体を、不躾に頭からざっと見定めた。
「なにかスポーツでもやっているの?」
「野球を・・・。」
「そう。食べ盛りじゃない。どんどん食べてね。」
俺に冷たいオレンジジュースを渡すと、三浦喜代美と名乗った女は、自分の持ち場に戻っていった。
しばらくして陽平は、やっと俺の隣の席に座り、仲間たちに俺を紹介した。
「こいつ、俺の家に居候している従弟の弘毅。
真面目そうに見えるけど、中学の時はヤンチャ坊主だったんだぜ。
しょっちゅう喧嘩してたんだってさ。」
「へえ・・・。人は見かけによらないね。今日は楽しんでいってね!」
陽キャ人間達が、次々に俺に声を掛けた。
「ね?サーフィンとか興味ない?今度俺達が教えてあげるよ。」
サーフィンなどまったく興味なかったが、社交辞令として
「ありがとうございます。機会があったらよろしくお願いします。」
と思ってもいないことを口にしていた。
大学生は思っていたよりはるかに自由気ままで休みも多いと知った。
おれを取り囲む中に、三浦喜代美の姿も見えた。
三浦喜代美は俺に向かって小さく手を振っていた。
家に帰ると開口一番、陽平はどや顔で、バーベキューで余ったビールのプルタブを開けながら、俺の顔色を窺っていた。
「どう?楽しめた?」
「まあ、それなりに。」
「大学生っていいだろ?俺の入っているサークルはインカレと言って、他校のヤツらも入っているんだ。だから人脈を作るのにもってこいなんだ。また就活に有利な情報も教えて貰える。色んな価値観のヤツがいて刺激的だぜ?より多くの女とも知り合えるしな。弘毅もたまにはサークルに顔出せよ。」
ただの遊び人だと思っていたが、陽平は将来のことも見据えてサークル活動に励んでいることを知り、陽平への見方が少し変わった。
俺は陽平に言われた通り、たまにサークルに顔を出すようになった。
そして面倒見の良いサークルの常連者からは、大学受験に有利な情報を教えて貰うことができた。
そんな俺を陽平は弟のように可愛がってくれた。
自分の好きなロックバンドのライブに連れて行ってくれたり、安くても見栄えのする古着屋を紹介してくれた。俺が普段手を出さないようなベストセラー小説を貸してくれたりもした。
俺は陽平の好きなロックバンドの曲を口ずさめるくらいになり、スマホのアップルミュージックで何回もそれらの曲を聴いた。彼らの時に激しく時に暗く悲しげなメロディは、俺の心を慰めてくれた。
ただその曲の歌詞や、泣けるという小説にたびたび出てくる「愛」という感情はまったく理解できなかったが・・・。
陽平は少し強引だが、その俺への干渉は確実に俺の世界を広げてくれ、それは複雑な家庭環境で育った俺への優しさなのだと気づくのに時間はかからなかった。
必要最低限の物だけ段ボールに詰め、大学生になる従兄の陽平に車を出してもらい、荷物を運んでもらった。
親父は初めの内は俺が家を出ることに難色を示した。
息子のことで実の兄に借りを作ることが嫌だったのだ。
しかし自分の一存で愛人を妻にした負い目があるからか、渋々俺の決断に首を縦に振った。
名前を呼ぶのも汚らわしいあの女、寺坂みれいは視線も合わせない俺に一言
「今までのことはお父さんには内緒にしてね。」と誰にも聞こえないような声で楔を刺した。
お前みたいな女と関係があったなんて、口が裂けても言うわけがない。
呑気なことに親父は、俺とみれいの事に、全く気付いていないらしい。
気付かれても困るが、同時に鈍感な親父に対して無性に腹が立った。
伯父の鹿内誠一は、一部上場企業の部長として営業の最前線で馬車馬のように働く親父とは正反対の性格で、国文学専攻の教授として某有名大学へ勤めていた。
教授といっても週に一回講義を生徒に教えるだけで、名誉や権威より研究肌の性格が災いしてか、大学内では孤高の存在として隅に追いやられているらしかった。
物静かで仙人のような佇まいの伯父は、俺が居候することになっても、今までと何も変わらないという態度で接してくれた。
俺はその無関心さが逆に心地よかった。
伯母は7年前に心臓病で他界している。
伯父とお似合いの、ひそやかで物静かな、百合のような女性だった。
その伯父の一人息子で俺の従兄にあたる男が鹿内陽平だ。
陽平は両親のDNAを全く受け継がなかったようで、今風にいうとしたら「パリピ」という人種だった。
明るい茶色の髪はゆるいウエーブがかかっていて、細身の身体にいつも流行のファッションを身に着けている。
男女問わず友人が多く、大学の「レインボー」という微妙な名前のサークルに所属していた。
陽平は伯父の専門である国文学ではなく、英文学を大学では専攻していた。
夏はサーフィン、冬はスキーやスノボーと大学生活を満喫しているリア充。
高校に入って再び野球に打ち込みだした俺とは性格も趣味趣向も全く違うが、
俺はこの従兄が嫌いではなかった。
その裏表のない明るさ、何事も柔軟に受け入れるしなやかさは、
俺にはないもので見ていて眩しかった。
俺が伯父の家に居候したいと真っ先に相談したのも、陽平だった。
母親を早くに失った者同士、心の根底に流れる淋しさの川の流れのようなものがお互いの精神を知らぬ間に理解し合っていたのかもしれない。
しかしそんな湿っぽさを持つ俺と比べて、陽平は底抜けにポジティブな男だった。
陽平はたびたび俺をサークルのイベントに誘って来た。
「行かない。年上の知らない人間と話すなんて面倒くさい。」
俺はいつも頑なに断った。
しかし陽平はめげずに何度もしつこく俺をサークルのイベントに引き込もうとした。
「お前の写真見せたら、サークルの女達がお前に会いたいってうるさいんだよ。」
また女か・・・。
俺はうんざりした。
「勝手に人の写真見せんなよ。個人情報だぞ。」
「それくらい許してくれよ。俺とお前の仲だろ?
それに女はいいぞ~。人生を潤してくれるし、野郎相手じゃ得られないやすらぎをくれるぜ?」
「勝手に潤ってろ。」
俺は陽平の言葉なんかに、心を動かされることはなかった
ある日陽平の部屋で、ずっと探していた、マイナーな戦国武将の生涯を描いた、興味深い歴史の本を見つけた。
「陽平、この本貸してくれない?!」
俺は流行のロックバンドの曲を、イヤホンを付けて聴き入っていた陽平が聞こえる様に、陽平の耳元で大声を出した。
「え?なに?」
「だから、この本貸してくれよ。」
俺はその黒い表紙の分厚い本を掲げてみせた。
「えーと。それ親父から貰った大切な本なんだよな。」
「・・・・・・。」
「でも条件付きならいいよ。」
「なんだよ?」
「今度サークルでバーベキューやるから来いよ。なに、俺が車で連れていってやるし、準備や買い物もしなくていい。お前はただ肉食ってのんびりしてればいいからさ。」
「・・・・・・。」
どうしてもその本を読みたかった俺は、渋々その誘いを受けることにした。
初夏の太陽の光が降り注ぐ祝日に、俺は陽平に連れられて、相模湖畔にあるキャンプ場へ行った。
着いた時にはもう、熱い鉄板の上に串にさされた肉や野菜が並べられ、飲み物の缶も冷たい氷水が張られたバケツに放り込まれていた。
陽平はキャンプ場に着くとすぐに仲間の輪に入り、馬鹿話に興じている。
俺はひとり所在なく、鉄板の上の焼きあがった肉を他の人間が食べやすいように、串から外す作業をしていた。
すると背後から甘ったるいラベンダーの香りが漂ってきた。
「陽平君の従弟の弘毅君?」
振り向くとワンレングスの髪を茶色に染め、官能的な唇をした女が俺に向かって微笑んでいた。
「私は三浦喜代美っていうの。陽平君と同じ英文学部の3年生。今日は遠いところをご苦労様。」
「・・・どうも。」
「高校生なのに随分背が高いのね。鹿内家の血筋なのかしら?」
たしかに俺の背丈も陽平と同じくらいで身長185センチくらいの筈だ。
女は俺の身体を、不躾に頭からざっと見定めた。
「なにかスポーツでもやっているの?」
「野球を・・・。」
「そう。食べ盛りじゃない。どんどん食べてね。」
俺に冷たいオレンジジュースを渡すと、三浦喜代美と名乗った女は、自分の持ち場に戻っていった。
しばらくして陽平は、やっと俺の隣の席に座り、仲間たちに俺を紹介した。
「こいつ、俺の家に居候している従弟の弘毅。
真面目そうに見えるけど、中学の時はヤンチャ坊主だったんだぜ。
しょっちゅう喧嘩してたんだってさ。」
「へえ・・・。人は見かけによらないね。今日は楽しんでいってね!」
陽キャ人間達が、次々に俺に声を掛けた。
「ね?サーフィンとか興味ない?今度俺達が教えてあげるよ。」
サーフィンなどまったく興味なかったが、社交辞令として
「ありがとうございます。機会があったらよろしくお願いします。」
と思ってもいないことを口にしていた。
大学生は思っていたよりはるかに自由気ままで休みも多いと知った。
おれを取り囲む中に、三浦喜代美の姿も見えた。
三浦喜代美は俺に向かって小さく手を振っていた。
家に帰ると開口一番、陽平はどや顔で、バーベキューで余ったビールのプルタブを開けながら、俺の顔色を窺っていた。
「どう?楽しめた?」
「まあ、それなりに。」
「大学生っていいだろ?俺の入っているサークルはインカレと言って、他校のヤツらも入っているんだ。だから人脈を作るのにもってこいなんだ。また就活に有利な情報も教えて貰える。色んな価値観のヤツがいて刺激的だぜ?より多くの女とも知り合えるしな。弘毅もたまにはサークルに顔出せよ。」
ただの遊び人だと思っていたが、陽平は将来のことも見据えてサークル活動に励んでいることを知り、陽平への見方が少し変わった。
俺は陽平に言われた通り、たまにサークルに顔を出すようになった。
そして面倒見の良いサークルの常連者からは、大学受験に有利な情報を教えて貰うことができた。
そんな俺を陽平は弟のように可愛がってくれた。
自分の好きなロックバンドのライブに連れて行ってくれたり、安くても見栄えのする古着屋を紹介してくれた。俺が普段手を出さないようなベストセラー小説を貸してくれたりもした。
俺は陽平の好きなロックバンドの曲を口ずさめるくらいになり、スマホのアップルミュージックで何回もそれらの曲を聴いた。彼らの時に激しく時に暗く悲しげなメロディは、俺の心を慰めてくれた。
ただその曲の歌詞や、泣けるという小説にたびたび出てくる「愛」という感情はまったく理解できなかったが・・・。
陽平は少し強引だが、その俺への干渉は確実に俺の世界を広げてくれ、それは複雑な家庭環境で育った俺への優しさなのだと気づくのに時間はかからなかった。