夏の夜、騎士は幽霊に恋をする

第10話 最終話

 あの夏の日から、一年が過ぎた。

 あの日、痛みに耐えるジゼルを目の前にして、彼女を失いたくなくて、最後まで繋ぎ止めたくて、必死にもがいた。
 ジゼルに愛していると伝えて、やっと彼女に触れて抱きかかえることができたのに。

 ジゼルの体はそのまま、青白い光と共に跡形(あとかた)もなく消えてしまった。

 彼女のオーラがその場から消えると、あばら家の周りは再び闇に閉ざされた。
 あの日は確か、夏至だったと記憶している。短い夜が終わって空が白み始めると、絶望して流した涙の向こうに小さな青い光の粒が見えた。
 元々ジゼルが倒れていた場所に散らばっていたその小さな光の欠片(かけら)に手を伸ばすと、それは幽霊の(こころ)、サファイアの宝石だった。

 粉々になったサファイアを地面の砂ごとかき集めて、俺は声を上げて泣いた。 

 ジゼルを消滅させようとしたアーヴィン・キーガンやヘレナを裁くことはできなかった。この国には人間を殺めた者を罰する法は存在しても、幽霊を守る法など一つもない。
 彼らが何事も無かったかのように生きていることも、俺が幽霊退治に成功した英雄のように讃えられたことも、全て気に入らなかった。

 アーヴィンやヘレナに対しての怒りもあったが、俺の一番の怒りの対象は自分自身だ。

 もっと早く魔女の呪いに気付いていれば。
 ジゼルの弱点が鏡だなんて、独り言を言わなければ。
 もっと早くジゼルの元に到着していれば。
 痛みに耐えるジゼルに、愛しているなんて言わなければ。

 一つ一つの自分の行動の選択肢を毎日のように後悔し、飲めない酒を飲んだ。

 後悔の日々が続く中で、あの日ジゼルが残した(サファイア)をペンダントに入れて首にぶら下げながら、俺は今日も生きている。


「アベル、そろそろ騎士団の寮を出て戻ってきたらどうだ。お前ももう二十五だし、新人騎士のように寮に住み続ける必要はないだろう。結婚してこの屋敷に住めばいいじゃないか」
「……父上。私は結婚するつもりはありません」
「何を言っているんだ、お前が結婚して爵位を継いでくれなければ。クラウザー家をどうするつもりだ!」
「分かっていますよ。いつかは何とかするつもりです」


 父との言い合いは日常茶飯事。
 貴族の家に生まれた以上、いつかは俺も誰かと結婚して爵位を継がなければいけないことは分かっていた。でも、今の俺にはやらなければならないことがある。

 それは、ジゼルの生きた証を見つけることだ。

 あの夏、俺は幽霊のジゼルと毎日一緒に過ごした。
 お互いの好きなもの、嫌いなもの、その日にあったこと考えたこと、一晩中語り合った日もあった。
 それなのに、俺はジゼルの生きていた頃のことを何も知らないのだ。幽霊になる前に、ジゼルはどんな場所で暮らしていたのか。ジゼルの家族はどんな人なのか。

 『ジゼル』という名だけを頼りに、俺は彼女の痕跡を探して回っていた。

 しかしこの国ではごく一般的な『ジゼル』という名だけでは、彼女にたどり着くことはできなかった。そもそも彼女がこのオルタナ出身なのかどうかさえ、俺は知らなかった。

 こうして毎日を悶々と過ごしていた俺のところに、あのオルタナの森のあばら家を取り壊すという報せが入ってきた。





「あ、アベルさん! どうしたんですか?」

 急いでオルタナの森に駆けつけると、後輩騎士のロベールが解体作業者を集めて準備をしているところだった。

「待て、取り壊しは待ってくれ。頼む」
「えっ! でも、この辺りに隣国への道を通すから撤去しないといけないらしくて……僕に言われても困りますよ」
「後から必ず何とかするから。とにかく今日の作業は止められないか?」

 ジゼルとの唯一の思い出の場所がなくなってしまうなんて、今の俺には耐えられない。せめて彼女の生家を探し出すまでは、この場所を残しておいて欲しかった。

 何とかロベールを説き伏せて、久しぶりにあばら家の中に足を踏み入れた。壁や家具は蜘蛛の巣で覆われていて、割れた窓ガラスから雨水のせいか、窓枠や床もところどころ腐って崩れかけていた。
 いつもジゼルがお茶を入れる時に立っていたキッチンらしき場所に立ち、目の前の戸棚にかかった蜘蛛の巣を取り除く。

「あった……」

 彼女の手作りの、木のカップがそのまま残っていた。中に入っていた埃や虫をふっと吹いて、俺はそのカップを握りしめた。

「アベルさん、ちょっといいですか?」

 街に戻ると言っていたはずのロベールが、開いたままにしてあった扉から覗き込む。

「どうした、ロベール。まだいたのか」
「はい、帰ろうとしたんですが……外に女性が一人立っていて。アベルさんを探しています」
「俺を?」

 こんな森の中で俺を探している女性なんて、いるはずがない。ロベールの体を突き飛ばしてあばら家から飛び出し、俺は辺りを走って見回した。首にかけていたペンダントをこぶしにギュッと握りしめ、反対の手には木のカップを持ったまま。

(まさか、そんなはずはない。期待するな)

 奇跡が起こるんじゃないかと期待する自分を諫めながらも、心臓の鼓動はどんどんと速くなり、胸が締め付けられる。

 湖のほとりに背中を向けて立っている女性が目に入り、俺は足を止める。

 ライトブルーのワンピースに白い帽子。帽子の下からは、金色の髪が見え隠れしている。湖からの風が彼女のワンピースの(すそ)を揺らすと、見覚えのある刺繍模様が目に入った。

 その女性は風で飛ばされないように白い帽子を押さえながら、俺の方にゆっくりと振り向いた。



「…………ジゼル?」
「アベル様!」

 俺を見つけて走ってきた彼女を抱き止めた。
 幽霊じゃない、生きている。間違いなく生きているジゼルだ。俺は夢を見ているのだろうか。


「ジゼル、ジゼルなのか?」
「はい、アベル様! やっと会えました」
「どうして? 君はあの時……」

 (あふ)れる涙で声が詰まる。俺はジゼルの存在を確かめるように、彼女の両頬を手のひらで包む。彼女も涙を流して、俺の手の上から自分の手を重ねた。

「あの時、アベル様が私のことを人間に戻してくださったんです。私の体は自分の屋敷で何年も眠ったままになっていたみたいで。アベル様に会った幽霊の私は、体から抜けた(たましい)だったの!」
「どういうことだ? 全然分からない……」

 ジゼルは笑顔ではしゃいでいるくせに、目からはポロポロと涙をこぼしている。笑っているのか泣いているのか、忙しい子だ。
 俺は俺で、ジゼルが目の前に現れた理由なんて、もうどうでも良かった。彼女の頬をそのまま抱き寄せて、背中に手を回して力いっぱい抱き締めた。

 

 湖のほとりに並んで座り、あの夏の日からの顛末(てんまつ)を聞いた。

 ジゼルの本名はジゼル・レヴェナント。
 オルタナの国境近くに領地を持つ貴族のご令嬢だそうだ。実の母を亡くし、後妻として屋敷に入った女性に呪いをかけられ、幽霊になってしまった。
 ジゼルの体は魂を失い、レヴェナントの屋敷に何年も横たわっていた。そして彼女の体から抜けた魂だけが幽霊となり、このオルタナの森にたどり着いたらしい。

 人間に戻った瞬間、彼女の魂はレヴェナントの屋敷にあった体の中に戻り、この一年はアーヴィンに刺された傷の療養をしながら過ごしていた。
 記憶も意識も曖昧になるほど生死の境をさまよい、最近になってやっと一人で動けるほどに回復したそうだ。

 大切な娘に呪いをかけた継母を、ジゼルの父親は許さなかった。ジゼルが屋敷で目覚めた時には、既に継母はこの世にいなかったと言う。


「剣が体に刺さった時、とても変な音がしたんです。今思えば、きっと剣の先が体を貫通しないように、(サファイアが)守ってくれたんじゃないかなって」
「……そう言えばあの日、君の(サファイア)が粉々になって散らばっていたんだ」

 胸元からペンダントを引き出してロケットを開く。砂粒の中から俺が必死に拾い集めたサファイアの欠片を見て、ジゼルは再び涙を流した。


「アベル様、こんなにボロボロになっても、私の(サファイア)をちゃんと受け取ってくれたのですね」
「当たり前だ。君の心が欲しいと言ったのは俺だから」
「一年間、私のことをずっと待っていてくれたんですか?」
「……ずっと君のことを探してたよ」
「さすが私の運命の人ですね! アベル様、知ってましたか? 私、ずっとアベル様と手を繋ぎたいと思っていたんです。今日は夢が叶ってしまいました」

 決して触れることのできなかったジゼルの手が、俺の指を掴んで優しく撫でる。

「ジゼル。じゃあ、今度は俺の願いも叶えてくれる?」
「……はい、何でも! お花のお茶が飲みたいですか? それとも」

 ジゼルの肩を抱き寄せて、俺は彼女の耳元で願い事を囁く。
 しばらくきょとんとした顔をしていたジゼルは、満面の笑みに変わって、しっかりと(うなず)いた。


(Fin)
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