夏の夜、騎士は幽霊に恋をする
第9話 皮肉にも（ジゼルside）
私の弱点が鏡だと言うことは、アベル様にしか伝えていない。
今、私を跨いで立つこの男が大きな鏡を持っているというのは、何を意味するのか。
私にはよく分かる。
アベル様は、私の心を要らないと言った。私のアベル様に対する愛情は、ハッキリと拒まれたのだ。
この一か月毎日共に過ごし、私のことを少しは可哀そうだと思ったのだろうか。だから、私の最期はこの男に任せたのだろうか。
（もう、頑張らなくていいかな……）
このまま鏡を見て、無になって。そうすれば私はまた人間に生まれ変われるかもしれない。
継母に呪われたこの体を諦めて、アベル様への叶わぬ恋心もきれいさっぱり記憶から消して。
何もなかったように新たな命を受けて、生きていけるだろうか。
そんなことを考えながら、私は男の剣が付き下ろされるのを、そのまま受け入れた。
――カツン
もっとザクっという重たい音がするかと思っていた。幽霊って刺された時にまで変な音がするものだなあ、と考えているうちに、胸のあたりがまるで炎が燃え始めたように熱くなる。
「……ああぐうぅぅっ！」
焼けるような痛みに、もう動けないと思っていた手足に思い切り力が入り、体が跳ねた。
「これで刺さったかな？ 鏡を見せれば、幽霊は消滅するんだと聞いたよ。ああそうそう、俺のことを恨むなよ。恨むならヘレナ・ノールズを恨んでくれ。お前の心が欲しいんだそうだ」
「…………くっ……ヘレ……ンアァッ……」
気が遠くなりそうな痛みと戦いながら、いっそのことこのまま死んでしまいたい、早く鏡を持ってきてほしい、そんな気持ちで男の背中を見つめる。
（ヘレナって誰よ……私の心を欲しい？ その、ヘレナという人が？）
少し離れた場所に置いてあった鏡を持って、男が戻って来る。私は鏡を見るために、早く無に帰すために、力を振り絞って目を開いていた。
「……幽霊さん、顔はこのあたりか？ さあ、鏡を見て。サファイアを残して消えてくれ」
今にも閉じてしまいそうな目を必死に開き、ぼやけた視界の中でウロウロと焦点を探す。
何年も探し続けた運命の人。
私の姿を見つけてくれた、大切な人。
できることならばまた、来世で貴方に会いたい。
もし生まれ変わったとしても、私たちはお互いの記憶を失くしているはずなのに、そんなことを願っても仕方がないのは分かっていた。私は最後にふっと笑い、男がかざした鏡の方に視線を向ける。
――その時、
突然、ほんの一瞬の間に。
男の持っていた鏡が、突然大きな音を立てて粉々に砕け散った。破片が私の体の周りに散り散りに飛ぶ。
鏡が割れるのと同時に、私のぼやけた視界の端に飛び込んできたのは、アベル様の姿だった。
素手で鏡を殴って割ったのか、彼の拳からは血が流れている。それが、私の刺繍のドレスの上にポタポタと落ちた。
「……おのれぇぇっ！！ 何をした！ この剣を刺したのはお前か！！」
突然現れたアベル様に蹴り飛ばされ、暴漢の男は地面に吹っ飛んだ。アベル様は自分の持っていた剣を抜き、男の首元の地面をめがけて剣を突き刺す。
首元スレスレの場所に剣を刺されたその男は、あまりの恐怖に気絶してしまったようだ。
アベル様は、私の方に振り向いた。
私の体に触れることはできないけれど、私の体の横に膝を付く。
「ジゼル、ジゼル……！ 大丈夫か？ 剣を抜くぞ」
「……もう私に……鏡……を……見せて。痛いの……」
柄に手をかけて私の体から剣を引き抜いたアベル様の目からは、涙がこぼれている。彼に触れることはできないけれど、涙は私の頬にぽたりと落ちて、首筋を流れて地面に落ちた。
「ジゼル、俺は君のことを愛している。助けたいんだ。どうしたらいい？」
「嘘よ……アベル様は私の心を、要ら……ないって……」
「それは、君の心を受け取ってしまったら、君が消滅してしまうと思ったからだ！」
アベル様は何とかして私に触れようと、地面を必死でまさぐっている。でも、彼が掴めるのは、私の血にまみれた地面の砂だけ。
「色々と調べていたんだ。君はもしかして、魔女の呪いにかけられたんじゃないのか？ 運命の人と愛し合うことによって、人間に戻れると。おとぎ話にはそう書いてあった。俺は、君の運命の人になれないだろうか？ 君を人間に戻すことはできないだろうか？」
「アベル様は……私のこと……を、愛して……くださる……の？」
「ジゼル！ 君のことを愛してる。君が幽霊だろうと人間だろうと、どんな姿でもいいから、側にいてほしいんだ」
アベル様の涙が私の胸の傷に落ちる。
そしてそこから、サファイア色の光の柱が、夜空に向かって真っすぐに伸びた。
「ジゼル！」
遠のく意識の向こうで、アベル様が何度も私の名前を呼んでいるのが聴こえる。そして私の体はふんわりと宙に浮き、アベル様に抱きかかえられたのだと知った。
（アベル様と触れることができたということは、私は人間に戻れたのね）
夜空に上がった光の柱はきっと、呪いが解けたことの証だ。しかし皮肉なことに、人間の体はこの剣の傷に耐えられない。
幽霊のまま痛みに耐え続けることもできなかった。人間に戻って生き続けることもできなかった。
せっかくアベル様に触れることができたのに。これが最後だなんて。
アベル様、貴方に私の心を捧げます。
さようなら、これからの未来、貴方に最高の幸せが待っていますように。
今、私を跨いで立つこの男が大きな鏡を持っているというのは、何を意味するのか。
私にはよく分かる。
アベル様は、私の心を要らないと言った。私のアベル様に対する愛情は、ハッキリと拒まれたのだ。
この一か月毎日共に過ごし、私のことを少しは可哀そうだと思ったのだろうか。だから、私の最期はこの男に任せたのだろうか。
（もう、頑張らなくていいかな……）
このまま鏡を見て、無になって。そうすれば私はまた人間に生まれ変われるかもしれない。
継母に呪われたこの体を諦めて、アベル様への叶わぬ恋心もきれいさっぱり記憶から消して。
何もなかったように新たな命を受けて、生きていけるだろうか。
そんなことを考えながら、私は男の剣が付き下ろされるのを、そのまま受け入れた。
――カツン
もっとザクっという重たい音がするかと思っていた。幽霊って刺された時にまで変な音がするものだなあ、と考えているうちに、胸のあたりがまるで炎が燃え始めたように熱くなる。
「……ああぐうぅぅっ！」
焼けるような痛みに、もう動けないと思っていた手足に思い切り力が入り、体が跳ねた。
「これで刺さったかな？ 鏡を見せれば、幽霊は消滅するんだと聞いたよ。ああそうそう、俺のことを恨むなよ。恨むならヘレナ・ノールズを恨んでくれ。お前の心が欲しいんだそうだ」
「…………くっ……ヘレ……ンアァッ……」
気が遠くなりそうな痛みと戦いながら、いっそのことこのまま死んでしまいたい、早く鏡を持ってきてほしい、そんな気持ちで男の背中を見つめる。
（ヘレナって誰よ……私の心を欲しい？ その、ヘレナという人が？）
少し離れた場所に置いてあった鏡を持って、男が戻って来る。私は鏡を見るために、早く無に帰すために、力を振り絞って目を開いていた。
「……幽霊さん、顔はこのあたりか？ さあ、鏡を見て。サファイアを残して消えてくれ」
今にも閉じてしまいそうな目を必死に開き、ぼやけた視界の中でウロウロと焦点を探す。
何年も探し続けた運命の人。
私の姿を見つけてくれた、大切な人。
できることならばまた、来世で貴方に会いたい。
もし生まれ変わったとしても、私たちはお互いの記憶を失くしているはずなのに、そんなことを願っても仕方がないのは分かっていた。私は最後にふっと笑い、男がかざした鏡の方に視線を向ける。
――その時、
突然、ほんの一瞬の間に。
男の持っていた鏡が、突然大きな音を立てて粉々に砕け散った。破片が私の体の周りに散り散りに飛ぶ。
鏡が割れるのと同時に、私のぼやけた視界の端に飛び込んできたのは、アベル様の姿だった。
素手で鏡を殴って割ったのか、彼の拳からは血が流れている。それが、私の刺繍のドレスの上にポタポタと落ちた。
「……おのれぇぇっ！！ 何をした！ この剣を刺したのはお前か！！」
突然現れたアベル様に蹴り飛ばされ、暴漢の男は地面に吹っ飛んだ。アベル様は自分の持っていた剣を抜き、男の首元の地面をめがけて剣を突き刺す。
首元スレスレの場所に剣を刺されたその男は、あまりの恐怖に気絶してしまったようだ。
アベル様は、私の方に振り向いた。
私の体に触れることはできないけれど、私の体の横に膝を付く。
「ジゼル、ジゼル……！ 大丈夫か？ 剣を抜くぞ」
「……もう私に……鏡……を……見せて。痛いの……」
柄に手をかけて私の体から剣を引き抜いたアベル様の目からは、涙がこぼれている。彼に触れることはできないけれど、涙は私の頬にぽたりと落ちて、首筋を流れて地面に落ちた。
「ジゼル、俺は君のことを愛している。助けたいんだ。どうしたらいい？」
「嘘よ……アベル様は私の心を、要ら……ないって……」
「それは、君の心を受け取ってしまったら、君が消滅してしまうと思ったからだ！」
アベル様は何とかして私に触れようと、地面を必死でまさぐっている。でも、彼が掴めるのは、私の血にまみれた地面の砂だけ。
「色々と調べていたんだ。君はもしかして、魔女の呪いにかけられたんじゃないのか？ 運命の人と愛し合うことによって、人間に戻れると。おとぎ話にはそう書いてあった。俺は、君の運命の人になれないだろうか？ 君を人間に戻すことはできないだろうか？」
「アベル様は……私のこと……を、愛して……くださる……の？」
「ジゼル！ 君のことを愛してる。君が幽霊だろうと人間だろうと、どんな姿でもいいから、側にいてほしいんだ」
アベル様の涙が私の胸の傷に落ちる。
そしてそこから、サファイア色の光の柱が、夜空に向かって真っすぐに伸びた。
「ジゼル！」
遠のく意識の向こうで、アベル様が何度も私の名前を呼んでいるのが聴こえる。そして私の体はふんわりと宙に浮き、アベル様に抱きかかえられたのだと知った。
（アベル様と触れることができたということは、私は人間に戻れたのね）
夜空に上がった光の柱はきっと、呪いが解けたことの証だ。しかし皮肉なことに、人間の体はこの剣の傷に耐えられない。
幽霊のまま痛みに耐え続けることもできなかった。人間に戻って生き続けることもできなかった。
せっかくアベル様に触れることができたのに。これが最後だなんて。
アベル様、貴方に私の心を捧げます。
さようなら、これからの未来、貴方に最高の幸せが待っていますように。
