冷酷御曹司の激情が溢れ、愛の証を宿す~エリート旦那様との甘くとろける政略結婚~
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菫のことは、母が縁談を持ってくる前から知っていた。
彼女と初めて会ったのは一年前のちょうど今頃。梅雨に入った六月の曇り空の下だった。
仕事で訪れた取引先のビルのエントランスで秘書が地下駐車場から車を回してくるのを待ちながら、目の前の歩道を行き交う人々をぼんやりと眺めていたとき。
腕時計をちらちらと確認しながら、急いで移動している二十代ぐらいのスーツ姿の男がふと目に留まった。
男の前方からは七十代後半ぐらいの高齢女性がゆっくりとしたペースで歩いてきて、すれ違い様に男と体が接触。あきらかに男の前方不注意が原因だった。
高齢女性はよろけて転倒してしまい、ハンドバッグから財布や手鏡などの荷物が落ちて地面に散らばる。さらに女性は腰を強く打ち付けたのか、すぐに立ち上がることができないでいた。
けれど、ぶつかった男は高齢女性を気遣うことなくその場を立ち去ろうとする。そこへ、ひとりの若い女性が颯爽と現れて『大丈夫ですか』と、座り込む女性の体に手を添えた。
立ち上がるのを手伝ったあとで若い女性は、立ち去る男の背中に向かって叫ぶように声を掛ける。
『謝罪の言葉もないんですか。あなたが前を見ずに歩いていたからぶつかったんですよ』