ヤンデレくんは監禁できない!

※犯罪です

(皆して大げさなんだよ…あのクスリ男つかまえてくれたほうがよっぽどメンタルに良いのに)

芽衣里は日傘を揺らしながらそう思う。空は忌々しいくらいの青空で、太陽は淡々とアスファルトを熱している。…こんな状況では人気があまりないのも無理はない。
芽衣里だって一秒でも早くクーラーの効いた部屋に入りたい。アパートにある恋しい自室を思い出し、無意識に芽衣里は足を速めた。

(さっさと駅に行こう)

ただそれだけを考える。それでも、路上駐車をしている車からクラクションを鳴らされては芽衣里も気付く。見覚えのあるグレーのセダン、その窓が開いた。

「凌? どうして…」

「カウンセリングは今日だって、自分で言ったんだろ」

「来てくれたんだ」

芽衣里は目を細めて一ヶ月ぶりの恋人を見た。二重で切れ長の目は黒々としていて、高めの鼻梁(びりょう)も薄い口唇も、記憶と変わりはない。ただ、緩くうねる髪は少し元気がなさそうだ。

この暑さだもんなぁ、と芽衣里が現実逃避をしかけていると悟ったのか、凌は普段より低い声で芽衣里に告げた。

「乗って」

有無を言わさない雰囲気に、芽衣里は大人しく従った。助手席に乗り、シートベルトを装着したのを確認した凌は、ゆっくりと車を発進させた。ラジオもつけていない車内は緊張感に包まれ、芽衣里は膝に乗せたバッグを握った。
今までメッセージだかメールの説明が足らないだとか、危険な真似はやめてくれとか、不服そうな言動をすることはあったがここまで怒ることはなかった。

(どうしよう、説教されたほうがマシ…)

芽衣里は凌にチラッと視線を向けた。整った横顔は普通に見えるし、車はバイパスを安全運転で走行中である。それがもう芽衣里にとっては恐ろしい。

「…入院してる時なんだけどさ、」

芽衣里は声が震えていませんように、と祈った。


「うーちゃんがノートとか持ってきてくれてさ、ほんっと助かった」

「明日香や和泉も来てくれたよ、大学でのお知らせとか、教えにきてくれた」

「兄ちゃんはさ、お見舞いにメロン持って来てくれて、その場で切ってくれたよ…あれ、絶対に自分が食べたかったんだよ」

「カウンセリングの先生ね、何かあったらまた来てくださいって」

ペラペラと喋る芽衣里に、凌は無言のままだ。話し始めた最初こそ勢いは良かったが、あまりにも凌が無反応すぎて芽衣里の言葉は次第に途切れていった。ついには話すことも尽きて、また気まずい沈黙が車内に満ちた。

(…そもそも話題が良くなかった? これじゃ見舞いに来なかったことを責めてるみたいじゃない)

何か別の話題、聞いてて楽しい話題…芽衣里が脳みそをフル稼働しているうちに、車は地下の駐車場に滑り込んでいった。ああ、凌のマンションだ、と芽衣里が気付いた時には全てが遅すぎた。

明るく照らされた駐車場を、凌の車だけがゆっくりと進む。今なら無理矢理ドアを開けて逃げられないか、と芽衣里は映画のようなことを考える。──本当に考えるだけだ。

割り振られた駐車スペースに慣れた手で停めた凌は、芽衣里にも降りるよう目で促した。ここまで来てしまえば従うしかない、そう腹を括った芽衣里はバッグを抱えると、大人しく降りて凌の後をついていった。

(無表情なのが一番怖いよ、この人は)

少し前まではあんなに暑かったと言うのに、芽衣里は全身の毛穴が広がるような感覚を覚える。掃除が行き届いたエントランスホールはいつ見ても美しくて感激するのに、今はそんな余裕さえない。

凌はオートロックを解除して、着々と部屋へと向かう。内廊下の灯りは妙な心細さを煽り、芽衣里は全神経を周囲に向け、息を潜めて歩いた。カーペットが敷かれた廊下は静まりかえって、ホラー映画のワンシーンのようだと、いつか凌に伝えたことがある。それを聞いた凌はなんと返してきたのだったか。

「入って」

とうとう部屋の前まで来てしまったらしい。凌の声が随分と懐かしく聞こえて、芽衣里は反応が少し遅れてしまった。

「…お邪魔します」

しかし凌は気にも留めなかった。ただ単に顔に出さなかったのかもしれない。芽衣里にはわからないことだが、気にしても仕方のないことだと急いで靴を脱いで上がった。

1LDKの部屋は相変わらず生活感がない。せっかくのウォークインクローゼットは資料が所狭しと置かれているし、リビングには申し訳程度のソファとテーブル、仕事用のパソコンが一台、キッチンに至っては使用された形跡すらない。

だがコーヒーメーカーだけはよく使われていたのを芽衣里は思い出して、自分にも使わせてほしいとせがんだのを少しだけ恥ずかしい思いで振り返る。

「座ってて」

凌の言葉に芽衣里はソファに座って下を向いた。バッグを抱きしめ、背中を丸めているとコーヒーの香りが漂ってきた。

(…?)

芽衣里が顔を上げるのと、凌が話しかけるのは同時だった。

「コーヒー、飲むよね」
「うん…ありがとう」

真っ白なマグカップが芽衣里の前に置かれる。エスプレッソコーヒーが湯気を立てていて、淹れたてなのだと一目でわかった。
凌も芽衣里の隣りに座り、コーヒーを口にする。芽衣里もコーヒーをちびちびと口に含むが、落ち着きなく視線をさまよわせた。

「それで、廻さんはメロンが好きなんだ?」

芽衣里は一瞬、凌が何の話をしているのかわからなかった。

「!…うん、そう、甘いものが好きでね」

「包丁とかまな板とか全部もってきたの?」

「そう、お皿もフォークも全部!」

バックパックから次々と取り出す廻の嬉しそうな顔を思い出し、芽衣里は微笑んだ。ポリ袋やウェットティッシュまで完備しているのには驚いたが、廻ならばおかしくはない。メロンは果汁たっぷりで美味しくて、四人で食べ切ってしまい、ゴミは廻が持ち帰った。

それを饒舌(じょうぜつ)に、楽しそうに語る芽衣里を、にこやかに凌は見つめていた。時どき相づちをうっては話を促すので、芽衣里は気持ちよく話すことができた。もちろんコーヒーを飲むタイミングにも凌は気を配り、芽衣里が持つマグカップの中身はだいぶ減ってしまっていた。

「…」

「芽衣里?」

緊張が解けた反動だろうか、芽衣里は瞼がひどく重くて仕方なかった。頭も重く、ともすればマグカップを落としてしまいそうだった。

「芽衣里、いいよ、寝ても」

凌の声は遠く、芽衣里は返事ができない。それでも何とかマグカップをテーブルに置いて、凌に肩を抱かれたまま目を閉じた。

(ああ、凌の匂い…久しぶりだな)
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