政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
無限大の愛情
ほぎゃほぎゃと沙羅が泣きだす声を聞いた気がして由梨の意識が浮上する。もう少し寝ていたい気もするけれど、起きて抱いてあげなくては。
でもなぜかすぐにまた静かになる。
ならもう少し寝られるかなと思い由梨はうっすらと目を開けた。
産院の新生児用ベビーベッドは横が透明になっているから由梨が寝たままでも沙羅の顔がよく見える。
するとそのベッドの中に彼女の姿はなく、代わりに窓際に背の高い人物が立っていることに気がついた。
「……隆之さん?」
隆之がゆっくりとこちらを振り返り、人差し指でしーとする。腕に沙羅を抱いていた。
大きな腕で小さな沙羅をすっぽりと包んでもう一方の手で彼女の背中を優しくトントンとしている。
どうやら泣き出しそうになった彼女を抱きあげてくれたようだ。
隆之の腕の中で彼女は気持ちよさそうに目を閉じている。
もう少し眠ることにしたようだ。
隆之は、沙羅がすぴすぴと寝息を立てはじめてもベビーベッドに寝かせることはなく、窓際にあるひとり掛けのソファに腰をおろして、優しげな目で見つめている。
由梨は枕に頬をつけて、窓から差し込む柔らかな日の光に包まれた幸せな光景を見つめていた。
由梨が沙羅を出産して四日が経った。
夏の強い日差しに負けないくらい大きな声で泣きながら、沙羅は元気に生まれてきた。
初産にしては、随分とスムーズなお産だった、よかったねと、担当の助産師には言われ たが、由梨にとっては壮絶な出来事で身体はまだ全然、本調子とは程遠い。
それでもその経験はなにものにも替えがたい幸せな、幸せなものだった。
隆之が、これ以上ないくらいに喜んだのも嬉しかった。
「性別はどちらでもいいと思っていたけど、生まれてみたらやっぱり女の子がほしかったんだって思ったよ」
なんだかどこかで聞いたようなことを言って、少し照れたように"名前は沙羅にしたい"と言ったのだ。
それから四日、彼は仕事の都合がつく限り、病院へ会いにきてくれる。
病室は忙しい彼がいつでも来られるように特別室を借りているから、面会時間を気にすることなく、二十四時間会いに来ることができるのだ。
夜中に来て夜の授乳の後の彼女を抱いたり、早朝に来て寝顔だけを見て出勤していったり、でもこんな日中に来るのははじめてだった。
「よく寝てる。もうすぐ授乳の時間?」
沙羅がすっかり熟睡モードに入ったのを確認して隆之が小声で問いかける。
由梨は枕に頬をつけたまま答えた。
「まだです。だから助かりました。沙羅、お父さんの抱っこが好きだから」
本当にその通りで彼女は隆之に抱かれるとよく眠る。
はじめての時こそ戸惑いながら恐る恐る抱いていた隆之だけれどすぐにコツを掴んで、しっかりと抱くようになった。
きっとそんな彼の腕の中は、母親の由梨と同じくらいに安心できるだろう。
「沙羅、気持ちよさそう」
言いながら、由梨もまた目を閉じる。
沙羅が生まれてからは日中は起きていて夜は寝るのだという常識がひっくり返ったようなリズムだから、お昼だし昼寝をしたばかりだけれどまだ眠たい。
助産師や秋元からは、赤ちゃんのリズムに合わせて寝られる時に寝ておけと厳命されているから、きっとこのまま眠るのが正解なのだ。
でもちょっともったいないな、と由梨は思う。
——だってせっかく隆之さんが来ているのに。
出産後の入院だから仕方がないとはいえ、夜に彼と違うベッドで眠るのは少し寂しい。
なにせ由梨は結婚以来、ずっと彼と同じベッドに寝ていたのだ。
こんなに離れて過ごすのは、トラブルがらみで隆之が東京へ行っていた時以来だ。
——でも、こんな風に思うのは母親としてはどうなんだろう。赤ちゃんのことを一番に考えるのが普通なのかな。
まどろみながら由梨はそんなことを考える。
出産に向けて読んでいたマタニティ雑誌には、産後の母親のホルモンのバランスのことについても書かれていた。
赤ちゃん以外のことは考えられなくなるから、夫がうっとおしく思えたり、相手に男性としての魅力を感じなくなったりする場合があるという。
どちらも一時的なことだからあまり気にしないようにと書かれていたが、そうだとしてもそうなったらつらいなと思っていた。
——その心配はなさそうだけど。
由梨は相変わらず隆之のことが、好きで好きで仕方がない。
彼の腕の中にすっぽりと収まって、すやすや眠る沙羅が羨ましく思えるくらいだった。
忙しい彼がここに何時間もいられるはずがないから、きっと少ししたらすぐにまた行かなくちゃいけないのだ。
今寝て、起きたらいなくなってるかもしれない。
——そしたらすごく寂しいな。
でも産後の身体は思う通りにならなくて、とにかく瞼が重かった。
するとその由梨の考えが届いたかのように、隆之がゆっくりと立ち上がり近づいてくる気配がする。
ベッド端にそっと座り、目を閉じる由梨の前髪をさらりと撫でた。
「おやすみ、由梨。愛してるよ」
愛情は、無限大に増えるのだということを由梨は今、実感している。
沙羅を産む前はこんなにも愛おしい存在は、世界中でただひとり彼だけだと思っていた。
でも沙羅は、生まれた瞬間から彼と同じくらい尊くて大切な存在だ。
そしてそれはきっと、彼も同じ。
「由梨、愛してる」
優しい声、こめかみにふわりと触れる彼の唇。幸せな思いで心が隅々まで満たされてゆくのを感じながら、由梨はまた眠りに落ちていった。
でもなぜかすぐにまた静かになる。
ならもう少し寝られるかなと思い由梨はうっすらと目を開けた。
産院の新生児用ベビーベッドは横が透明になっているから由梨が寝たままでも沙羅の顔がよく見える。
するとそのベッドの中に彼女の姿はなく、代わりに窓際に背の高い人物が立っていることに気がついた。
「……隆之さん?」
隆之がゆっくりとこちらを振り返り、人差し指でしーとする。腕に沙羅を抱いていた。
大きな腕で小さな沙羅をすっぽりと包んでもう一方の手で彼女の背中を優しくトントンとしている。
どうやら泣き出しそうになった彼女を抱きあげてくれたようだ。
隆之の腕の中で彼女は気持ちよさそうに目を閉じている。
もう少し眠ることにしたようだ。
隆之は、沙羅がすぴすぴと寝息を立てはじめてもベビーベッドに寝かせることはなく、窓際にあるひとり掛けのソファに腰をおろして、優しげな目で見つめている。
由梨は枕に頬をつけて、窓から差し込む柔らかな日の光に包まれた幸せな光景を見つめていた。
由梨が沙羅を出産して四日が経った。
夏の強い日差しに負けないくらい大きな声で泣きながら、沙羅は元気に生まれてきた。
初産にしては、随分とスムーズなお産だった、よかったねと、担当の助産師には言われ たが、由梨にとっては壮絶な出来事で身体はまだ全然、本調子とは程遠い。
それでもその経験はなにものにも替えがたい幸せな、幸せなものだった。
隆之が、これ以上ないくらいに喜んだのも嬉しかった。
「性別はどちらでもいいと思っていたけど、生まれてみたらやっぱり女の子がほしかったんだって思ったよ」
なんだかどこかで聞いたようなことを言って、少し照れたように"名前は沙羅にしたい"と言ったのだ。
それから四日、彼は仕事の都合がつく限り、病院へ会いにきてくれる。
病室は忙しい彼がいつでも来られるように特別室を借りているから、面会時間を気にすることなく、二十四時間会いに来ることができるのだ。
夜中に来て夜の授乳の後の彼女を抱いたり、早朝に来て寝顔だけを見て出勤していったり、でもこんな日中に来るのははじめてだった。
「よく寝てる。もうすぐ授乳の時間?」
沙羅がすっかり熟睡モードに入ったのを確認して隆之が小声で問いかける。
由梨は枕に頬をつけたまま答えた。
「まだです。だから助かりました。沙羅、お父さんの抱っこが好きだから」
本当にその通りで彼女は隆之に抱かれるとよく眠る。
はじめての時こそ戸惑いながら恐る恐る抱いていた隆之だけれどすぐにコツを掴んで、しっかりと抱くようになった。
きっとそんな彼の腕の中は、母親の由梨と同じくらいに安心できるだろう。
「沙羅、気持ちよさそう」
言いながら、由梨もまた目を閉じる。
沙羅が生まれてからは日中は起きていて夜は寝るのだという常識がひっくり返ったようなリズムだから、お昼だし昼寝をしたばかりだけれどまだ眠たい。
助産師や秋元からは、赤ちゃんのリズムに合わせて寝られる時に寝ておけと厳命されているから、きっとこのまま眠るのが正解なのだ。
でもちょっともったいないな、と由梨は思う。
——だってせっかく隆之さんが来ているのに。
出産後の入院だから仕方がないとはいえ、夜に彼と違うベッドで眠るのは少し寂しい。
なにせ由梨は結婚以来、ずっと彼と同じベッドに寝ていたのだ。
こんなに離れて過ごすのは、トラブルがらみで隆之が東京へ行っていた時以来だ。
——でも、こんな風に思うのは母親としてはどうなんだろう。赤ちゃんのことを一番に考えるのが普通なのかな。
まどろみながら由梨はそんなことを考える。
出産に向けて読んでいたマタニティ雑誌には、産後の母親のホルモンのバランスのことについても書かれていた。
赤ちゃん以外のことは考えられなくなるから、夫がうっとおしく思えたり、相手に男性としての魅力を感じなくなったりする場合があるという。
どちらも一時的なことだからあまり気にしないようにと書かれていたが、そうだとしてもそうなったらつらいなと思っていた。
——その心配はなさそうだけど。
由梨は相変わらず隆之のことが、好きで好きで仕方がない。
彼の腕の中にすっぽりと収まって、すやすや眠る沙羅が羨ましく思えるくらいだった。
忙しい彼がここに何時間もいられるはずがないから、きっと少ししたらすぐにまた行かなくちゃいけないのだ。
今寝て、起きたらいなくなってるかもしれない。
——そしたらすごく寂しいな。
でも産後の身体は思う通りにならなくて、とにかく瞼が重かった。
するとその由梨の考えが届いたかのように、隆之がゆっくりと立ち上がり近づいてくる気配がする。
ベッド端にそっと座り、目を閉じる由梨の前髪をさらりと撫でた。
「おやすみ、由梨。愛してるよ」
愛情は、無限大に増えるのだということを由梨は今、実感している。
沙羅を産む前はこんなにも愛おしい存在は、世界中でただひとり彼だけだと思っていた。
でも沙羅は、生まれた瞬間から彼と同じくらい尊くて大切な存在だ。
そしてそれはきっと、彼も同じ。
「由梨、愛してる」
優しい声、こめかみにふわりと触れる彼の唇。幸せな思いで心が隅々まで満たされてゆくのを感じながら、由梨はまた眠りに落ちていった。