政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
幸せな日々
「沙羅ちゃん、さーらちゃん。ふふふ、かわいい~! 由梨先輩そっくりですねー」
奈々からの呼びかけに、由梨の腕の中で沙羅が足をパタパタさせる。まだ自分の名前を呼ばれているとわかってはいないだろうけれど、ご機嫌なのは確かだった。
「なんかこんなにかわいいなら、早く産みたくなっちゃいますね。ね? 長坂先輩」
「そうね」
隣で長坂が頷いた。
夏の盛りを過ぎたある日の加賀家のリビングである。
産院から戻り、子育てに奮闘する由梨に秘書課のふたりが会いにきてくれたのだ。産休に入ってから、三カ月あまり、外の空気が少し恋しくなっていた由梨は沙羅を抱きながら久しぶりの女子トークを楽しんでいる。
長坂が沙羅の頬にそっと触れて今まで見たことがないような優しい目をして微笑んだ。
「旦那はいらないけど、子供は欲しいって気持ちになるわね」
「えー! 旦那もいりますよ!」
奈々が声をあげる。
「かわいい妻子のために馬車馬のように働いてもらわなきゃ。私今年中に相手を見つけるって決めてるんです」
長坂が呆れたようにため息をついた。
「無理無理、あなた信じられないくらい面食いじゃない。まずはそこをなおさなきゃ」
「私妥協はしない主義なんです!」
相変わらずのふたりのやり取りに、由梨はぷっと噴いて、くすくすと笑いだしてしまう。
奈々が由梨の腕の中の沙羅を見てため息をついた。
「面食いといえば、沙羅ちゃんもきっと結婚相手には苦労しますよ」
「なんでよ?」
長坂が問いかける。
奈々はさも残念そうに口を開いた。
「だって社長がパパですよ? 絶対に絶対に面食いになるに決まってるじゃないですか。パパよりカッコいい人じゃなきゃやだなんて言ったら相手なんていないですよ」
真剣な奈々の意見を、長坂が鼻で笑った。
「そんなわけないじゃない。どんなにイケメンでも父親は父親。年頃になったら、"パパやだ、くさい、あっち行って"て言われるのよ」
心底愉快そうにはははと笑う。
すると三人の後ろからごほんごほんと咳払いがする。ダイニングの椅子に座る隆之が、長坂を睨んでいる。彼も今日は休みで家にいるのである。
流石に女子トークには参加していないが、少し離れたところで四人を見守っている。
長坂がケラケラと笑った。
「でもどっちにしろ、結婚には苦労しそう! 父親がうるさそうだもん! 今だって愛妻を見張るみたいにそばにいるんだから」
隆之がため息をついた。
「休みに、自分の家にいて何が悪い」
「ふふふ、本当は自分がいない間にいろいろバラされるのが怖いんじゃない? 全然育児を手伝わないとか。沙羅ちゃんが夜泣きをしてもいびきをかいて寝てるとか」
長坂からのからかいに、隆之はテーブルに肘をついてそっぽを向いた。
会社でない場所だからか、完全に同級生モードのふたりがおかしくて、由梨は笑いが止まらなくなってしまう。
腕の中の沙羅が、不思議そうに大きな目をパチパチさせた。
「実際のところどうなんですか、由梨先輩」
奈々が興味津々といった様子で口を開く。そしてソファに置いてある育児雑誌を手に取ってパラパラとめくった。
「社長って、この雑誌のパパたちみたいに、あれもこれもやってくれるんです?」
「え? ……えーと……」
由梨は隆之をチラリと見た。
もちろん彼だって、沙羅に関する一通りのことはできる。家にいる時は、積極的に手を出してくれて、由梨よりもたくさん彼女を抱いていることが多い。
でもなんといっても彼は忙しくて、そもそもあまり家にいられないのだ。
加賀ホールディングスが北部物産を買収してから、この地域で彼が果たす役割はどんどん大きくなりつつある。
育児雑誌に載ってるような"お風呂は必ずパパの担当"とか、"パパも育休をとりました!"という状況ではないのは確かだった。
それでも。
夫婦の形は、星の数ほどあると由梨は思う。
お互いがお互いの役割を理解し、思いやりをもって尊重し合えれば、どのような形でもいい。
しっかりとした信頼関係で結ばれていれば、困った時は相談すればいいだけなのだから。
由梨は言葉を選びながら口を開いた。
「うん、すごくたくさんやってくれる。もちろん隆之さんは忙しくて家にいられないことが多いから、この雑誌のパパたちみたいにとはいかないけど、それでも家にいる時はお風呂に入れたり、オムツを替えたり。いつも沙羅を抱いているし、わたしにも……がんばってるね、おつかれさまってたくさん言ってくれて。だからきっと沙羅は彼からの愛をしっかり感じていると思うし、……私も、すごく安心して幸せに過ごせているの」
言い終えて、由梨は頬を染める。
こんな風に人前で夫を褒めるなんてこと、普段の由梨なら絶対しない。
でもずっと一緒に働いた気心が知れている友人ふたりに甘えるような気持ちになって、素直な思いを口にした。
奈々が目を細めてほーと息を吐いた。
「さすがは由梨先輩」
「……え?」
その予想外の反応に由梨は目をパチクリさせる。
「理想的な奥さんですねぇ……長坂先輩?」
「そうね」
長坂が頷いた。
「殿にはもったいなかったかも。私旦那はいらないけど、加賀さんみたいな奥さんなら欲しいわね」
「……なにをわけのわからないことを言ってるんだ」
隆之がため息をついた。
彼を誉めたのに、なぜそういう話になるのだろうと由梨が首傾げていると、腕の中の沙羅がグズり始める。眉間にかわいいシワを寄せて、由梨の腕をキックした。
隆之が立ち上がった。
由梨は沙羅に視線を落として彼女の背中をとんとんとする。
オムツも替えたしお腹もいっぱいのはずの彼女がこの時間にグズるのは、眠たくなってきたからだ。
夜は比較的たくさん寝てくれる彼女だが、お昼寝前のこの時間は少しやっかいだった。
たいていはなかなか寝られずに長く泣く。
「私ちょっと寝かせてきますから、おふたりはゆっくりしててください」
そう言いながら、由梨が立ちあがろうとすると。
「いいよ、俺がやるから」
隆之が由梨の腕の中の沙羅を大きな手ですくいあげる。そして沙羅のふわふわの髪に頬を寄せて目を細め、
「冷蔵庫のケーキを出したらどうだ?」
と言い残して、リビングを出て行った。
加賀家には、赤ちゃんが昼寝するのに最適な日当たりのいい和室がいくつかあるからそこで寝かせるつもりなのだろう。
その背中を見て、このために彼はそばにいたのだと由梨は気がつく。この時間になると必ずグズリだす沙羅を気にしないで、由梨がゆっくりとふたりと話ができるように。
「お、ちゃんとやってるじゃない」
と言う長坂と、
「あ、写メ撮っとくんだった」
という奈々に、由梨はふふふと微笑んだ。
奈々からの呼びかけに、由梨の腕の中で沙羅が足をパタパタさせる。まだ自分の名前を呼ばれているとわかってはいないだろうけれど、ご機嫌なのは確かだった。
「なんかこんなにかわいいなら、早く産みたくなっちゃいますね。ね? 長坂先輩」
「そうね」
隣で長坂が頷いた。
夏の盛りを過ぎたある日の加賀家のリビングである。
産院から戻り、子育てに奮闘する由梨に秘書課のふたりが会いにきてくれたのだ。産休に入ってから、三カ月あまり、外の空気が少し恋しくなっていた由梨は沙羅を抱きながら久しぶりの女子トークを楽しんでいる。
長坂が沙羅の頬にそっと触れて今まで見たことがないような優しい目をして微笑んだ。
「旦那はいらないけど、子供は欲しいって気持ちになるわね」
「えー! 旦那もいりますよ!」
奈々が声をあげる。
「かわいい妻子のために馬車馬のように働いてもらわなきゃ。私今年中に相手を見つけるって決めてるんです」
長坂が呆れたようにため息をついた。
「無理無理、あなた信じられないくらい面食いじゃない。まずはそこをなおさなきゃ」
「私妥協はしない主義なんです!」
相変わらずのふたりのやり取りに、由梨はぷっと噴いて、くすくすと笑いだしてしまう。
奈々が由梨の腕の中の沙羅を見てため息をついた。
「面食いといえば、沙羅ちゃんもきっと結婚相手には苦労しますよ」
「なんでよ?」
長坂が問いかける。
奈々はさも残念そうに口を開いた。
「だって社長がパパですよ? 絶対に絶対に面食いになるに決まってるじゃないですか。パパよりカッコいい人じゃなきゃやだなんて言ったら相手なんていないですよ」
真剣な奈々の意見を、長坂が鼻で笑った。
「そんなわけないじゃない。どんなにイケメンでも父親は父親。年頃になったら、"パパやだ、くさい、あっち行って"て言われるのよ」
心底愉快そうにはははと笑う。
すると三人の後ろからごほんごほんと咳払いがする。ダイニングの椅子に座る隆之が、長坂を睨んでいる。彼も今日は休みで家にいるのである。
流石に女子トークには参加していないが、少し離れたところで四人を見守っている。
長坂がケラケラと笑った。
「でもどっちにしろ、結婚には苦労しそう! 父親がうるさそうだもん! 今だって愛妻を見張るみたいにそばにいるんだから」
隆之がため息をついた。
「休みに、自分の家にいて何が悪い」
「ふふふ、本当は自分がいない間にいろいろバラされるのが怖いんじゃない? 全然育児を手伝わないとか。沙羅ちゃんが夜泣きをしてもいびきをかいて寝てるとか」
長坂からのからかいに、隆之はテーブルに肘をついてそっぽを向いた。
会社でない場所だからか、完全に同級生モードのふたりがおかしくて、由梨は笑いが止まらなくなってしまう。
腕の中の沙羅が、不思議そうに大きな目をパチパチさせた。
「実際のところどうなんですか、由梨先輩」
奈々が興味津々といった様子で口を開く。そしてソファに置いてある育児雑誌を手に取ってパラパラとめくった。
「社長って、この雑誌のパパたちみたいに、あれもこれもやってくれるんです?」
「え? ……えーと……」
由梨は隆之をチラリと見た。
もちろん彼だって、沙羅に関する一通りのことはできる。家にいる時は、積極的に手を出してくれて、由梨よりもたくさん彼女を抱いていることが多い。
でもなんといっても彼は忙しくて、そもそもあまり家にいられないのだ。
加賀ホールディングスが北部物産を買収してから、この地域で彼が果たす役割はどんどん大きくなりつつある。
育児雑誌に載ってるような"お風呂は必ずパパの担当"とか、"パパも育休をとりました!"という状況ではないのは確かだった。
それでも。
夫婦の形は、星の数ほどあると由梨は思う。
お互いがお互いの役割を理解し、思いやりをもって尊重し合えれば、どのような形でもいい。
しっかりとした信頼関係で結ばれていれば、困った時は相談すればいいだけなのだから。
由梨は言葉を選びながら口を開いた。
「うん、すごくたくさんやってくれる。もちろん隆之さんは忙しくて家にいられないことが多いから、この雑誌のパパたちみたいにとはいかないけど、それでも家にいる時はお風呂に入れたり、オムツを替えたり。いつも沙羅を抱いているし、わたしにも……がんばってるね、おつかれさまってたくさん言ってくれて。だからきっと沙羅は彼からの愛をしっかり感じていると思うし、……私も、すごく安心して幸せに過ごせているの」
言い終えて、由梨は頬を染める。
こんな風に人前で夫を褒めるなんてこと、普段の由梨なら絶対しない。
でもずっと一緒に働いた気心が知れている友人ふたりに甘えるような気持ちになって、素直な思いを口にした。
奈々が目を細めてほーと息を吐いた。
「さすがは由梨先輩」
「……え?」
その予想外の反応に由梨は目をパチクリさせる。
「理想的な奥さんですねぇ……長坂先輩?」
「そうね」
長坂が頷いた。
「殿にはもったいなかったかも。私旦那はいらないけど、加賀さんみたいな奥さんなら欲しいわね」
「……なにをわけのわからないことを言ってるんだ」
隆之がため息をついた。
彼を誉めたのに、なぜそういう話になるのだろうと由梨が首傾げていると、腕の中の沙羅がグズり始める。眉間にかわいいシワを寄せて、由梨の腕をキックした。
隆之が立ち上がった。
由梨は沙羅に視線を落として彼女の背中をとんとんとする。
オムツも替えたしお腹もいっぱいのはずの彼女がこの時間にグズるのは、眠たくなってきたからだ。
夜は比較的たくさん寝てくれる彼女だが、お昼寝前のこの時間は少しやっかいだった。
たいていはなかなか寝られずに長く泣く。
「私ちょっと寝かせてきますから、おふたりはゆっくりしててください」
そう言いながら、由梨が立ちあがろうとすると。
「いいよ、俺がやるから」
隆之が由梨の腕の中の沙羅を大きな手ですくいあげる。そして沙羅のふわふわの髪に頬を寄せて目を細め、
「冷蔵庫のケーキを出したらどうだ?」
と言い残して、リビングを出て行った。
加賀家には、赤ちゃんが昼寝するのに最適な日当たりのいい和室がいくつかあるからそこで寝かせるつもりなのだろう。
その背中を見て、このために彼はそばにいたのだと由梨は気がつく。この時間になると必ずグズリだす沙羅を気にしないで、由梨がゆっくりとふたりと話ができるように。
「お、ちゃんとやってるじゃない」
と言う長坂と、
「あ、写メ撮っとくんだった」
という奈々に、由梨はふふふと微笑んだ。