あの日の素直を追いかけて
第2話 「帰る?」「帰らない?」は人生の選択
「鈴木は帰っちゃったしなぁ。波江はどうするんだ?」
「まだ決まってないけどなぁ」
土曜日の昼食の時間、中学3年の教室はこんな話題が必ずと言っていいほど交わされる。
教室と言っても、ここは日本にある普通の学校ではない。
海外で暮らす日本からの駐在員の家族、その子どもたちにとって、日本語という言語や日本のカリキュラムでの授業というものは大変重要な課題となる。
これが大きな主要都市になると、正式な『日本人学校』というものが存在し、国内にいるのと同様の教育を受けることが可能だが、全ての駐在員の家族がそのような恵まれた条件にあるわけではない。
普段は現地の学校に通い、週に一度、限られた時間に日本の教科書を用いての授業を受けにくる。
補習校という扱いだが、普段は現地の言語で授業を受けている中で、日本語での授業は貴重なものだし、同い年でなんの不自由もなく話せる友人が出来ることは他に代え難い時間でもある。
俺も小学6年生で親の仕事の関係で渡米した。
そう、みんな言う。『親の仕事の関係』『海外に転校』に「いいなぁ!」と。
実際はそんな生易しいものじゃない。
それまで海外旅行にも出たことがないような平凡な小学生だった自分が、突然の外国行き。ニューヨークやサンフランシスコのように誰でも聞いたことがあるような地名や州名ならまだいい。
テネシー州と言って、どのくらいの人が的確に場所を当てることができるだろう。
「どこそれ?」
それが普通の反応だと思う。
アメリカ合衆国の中南部にある東西に細長い州だと知ったのは、実際に転勤の話を両親から聞かされた数ヶ月前。
当時はいくら調べたって詳しい情報は今のようにまだなかったし。
そもそも学校はどうする? 聞けば現地校に通うことになるそうで、当然授業は英語だという。
今の時代小学生からでも少しずつ始まる『英語の授業』ではなく『授業そのものや日常生活が全て英語で行われる』わけだ。
これがどれだけの強烈なストレスになるか想像できるだろうか。
こんな平日を過ごし、本当ならば遊びたい土曜日に補習授業を受けると言うことは負担が増えることになる。ただし、先に言ったとおりこの数時間は苦労を共にする同級生との貴重な時間だ。
こんな俺たちにも、日本の教育システムが突きつける問題がある。
高校を日本で受験するか、このまま残るかという選択だ。
これは中学3年生にとって、国内で高校の私立・公立受験を迷うなんてこととは重みのレベルが違う。
語学力を伸ばし、生かしたいために残ることも一つの選択肢だ。
しかし、今度は大学受験で帰国したときに、選択肢が非常に狭まってしまう。
特に理系に進みたいと思っていると、帰国子女の枠では皆無に等しい。
一般受験で特殊とも言える日本の大学受験システムの対策をした同級生には歯が立たない。
一方で、このタイミング帰国することは、ネイティブに近い状況の、ほかでは絶対に味わうことの出来ない貴重な時間と体験の終焉を意味する。
再び自分で留学を実現させるためには、費用や生活基盤を全て自力で準備する必要がある。
もちろん、帰国を選んだとしても簡単なことではない。赴任期間や、場合によっては家族が離れて暮らすことになる。
この年になると、どの家も家族会議が開かれるのは普通のことで、各自の進路希望などで前の州と反対なことを言い出すことだって珍しいことじゃない。