あの日の素直を追いかけて

第29話 時計の針は気まぐれだ




 7月の終わり、俺は機上の人となっていた。

 当初俺たちが予定していたよりも早く、今回アメリカでの会議のメンバーに選ばれて、ニューヨークに出張が決まった。

 その話が決まったとき、俺は思い切って同行してくれる部長にその後の休暇を申し出た。

 出張であるなら本来は真っ直ぐに帰らなければならないのだけれど、理由を聞いた部長は、「事前に仕事を整理すること」と「会議の報告書をメールで報告すること」を条件に、土日も合わせて10日間の休暇を追加してくれた。

 由実にその事を話すと、大喜びで休暇を取り、国内線の予約も引き受けてくれた。






 ここまでの道のりは、正直に話すとこれまでの平凡な一人暮らしとは変わってしまった。

 あの空港で見送りをした日、一人で帰宅した部屋に入って、由実のいない空間に呆然としてしまった。

 もともと一人で住んでいたのだから、部屋の中に他の気配がないのが当たり前の普通だったはず。

 それなのに……。

 たった数日、外泊もあったから、由実とこの部屋で過ごした時間は本当に短かったはずだ。

 この部屋で一人で過ごすことに物足りなさを感じてしまう。

 彼女の残していったお茶碗などの日用品を見るたびに思い出されてしまった。

 それも、由実が現地に到着して、送信してくれたメールを見て奮い立たせた。

 寂しいのは彼女も同じなのだ。一人で外国に渡り、自分の身体を治しながら仕事もする。

 夏に会おうというたった一つの約束を楽しみに頑張る由実に負けてはいられなかった。


 短期の新規プロジェクトに手を挙げて、その業務に没頭した。何故ならば、そのプロジェクトはアメリカでの事業についての話だったから。

 運が良ければ、現地駐在という可能性もある。由実があちらに残るという判断をしたときに、俺も対応できるようにしておきたかった。プロジェクトのマネージャーにも個人面談で包み隠さずに事情も話した。


 僅かな休日には時間を合わせて、由実とインターネットでのテレビチャットをした。声と姿がリアルタイムでやり取りできる。

『こんな便利なのが、10年前に欲しかったよね』

 由実も、この時間を楽しみに頑張ってくれた。画像越しだが、少しずつ顔色も良くなっているように見えた。

 本当にそうだ。あの当時にこんな便利なものがあれば。

 正確には存在してはいたのだけど、中学生が手軽に手にできるような値段でもなかったし、便利なアプリケーションも無料で使えるような時期にはもう少し早かったから。

『このあとお買い物に行ってくるね。一週間分の買い出し』

「そうか。気を付けてな」

『祐樹君もこれから寝るんだよね。風邪引かないでね』

 本当に、時差を考えなければ普通にビデオチャットをしているのと変わらない。

「由実も気を付けろよ。この時期いつも鼻風邪引いてたんだから」

『やだぁ、そんなの覚えてなくてよかったのにぃ。いつも薄着にするの失敗してねぇ……。でも今年は痩せた体格を隠さなくちゃだから、もうちょっと厚着でいると思う。たぶん大丈夫。じゃぁ、こっち明るくて変だけどおやすみなさい』

「おやすみー」

 本当に、他愛もない恋人同士の会話だった。


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