あの日の素直を追いかけて
第30話 何事にもタイミングはある
「波江、会議が終わったら報告は後回しでいいからすぐに行ってやれ。時間は俺が適当に報告しておいてやる」
「いいんですか?」
羽田からの機内で部長が言ってくれた。照れくさそうな話を聞くと、奥さんと結婚したときに、周囲のせいで破談寸前まで行ってしまい、家を飛び出して彼女を迎えに行ったそうだ。
「男には、仕事だけでは生きていけないことがある。その彼女さんもおまえが必要なんだ。ちゃんと話してこい」
「分かりました。ありがとうございます」
「頑張って来いよ?」
本当に今は便利なものだ。国際線の機内の中から、自分の端末でメールが送信できる。
すぐに由実からの返信がきた。予約を変更したので、空港で告げて欲しいと。
金曜夕方の便なので、彼女も仕事が終わり次第駆けつけてくれると知らせてくれた。
2日間にわたるニューヨークでの会議を済ませ、金曜日の午後に俺は部長と別れた。彼はこの地でもう1泊して帰国する。
「うちの奥さんからの買い物を済ませてからにするよ。波江ありがとうな。よく頑張った。こっちにデスクを置くとしても来年以降だ。彼女とよく話し合って、結果を教えてくれ」
そう言い残してタクシー乗り場に消えた。俺は地下鉄で空港に向かう。
チェックインカウンターで名前を告げると、由実が手配してくれていたとおりに時間も変更されていた。
ナッシュビルまでの約2時間半。記憶が鮮明なうちに会議レポートを作成する。
国内線の場合は、機内からインターネットというわけにも行かない。あとで空港か由実の家から送信させて貰えばいいだろう。
ニューヨークからナッシュビルに向かう場合、1時間タイムゾーンが変わる。そのため実際は2時間半のフライトでも、時計的には1時間半しか経っていないという現象が起きる。
到着したのは夕方6時。サマータイム期間に入っているのでまだ明るい。
空港に迎えはいないからカフェに入って仕事を片づけてしまう。由実は仕事を終えてから迎えに来ると言っていたし、この時間では車もラッシュ帯だ。
レポートを打ち込んでいるうちに、夕方の出発ラッシュも終わり、到着客もすぐに消えてしまうので、閑散としてきたロビーにその足音が響いてきた。
何かを探すように、立ち止まっては再び走り出す。
そして、俺の前で止まった。
「遅くなってごめんなさい」
パソコンの画面をパタンと閉じると、申しわけなさそうにしょげ込んでいる顔。
「仕事お疲れさま。そんな顔するなよ」
立ち上がって、3ヶ月ぶりに小柄な体を抱き寄せた。
「祐樹君……」
「由実……」
何も言わずに、お互いの唇を求め合った。由実の目から涙が零れ落ちる。
「会いたかった。約束守ったぞ」
「うん……。会いたかったよ、ずっと待ってた」
彼女は本当に職場から駆けつけてくれたのだろう。トレーナーにデニムパンツ、パーカーを引っ掛けて、足元はスニーカーの普段着のまま。
でも、中学生の頃の由実の姿と重なって見えて、違和感が無かったのは俺だけだろうか。きっと彼女もそれを意識したコーディネートだったのだと思う。
「さて、10年前の続きを始めようぜ」
「うん」
パソコンをアタッシュケースに戻して、俺の休暇は始まった。