課長に恋してます!
 
「何です?」

 こっちを見たままの一瀬君が聞いてくる。
 微かに揺れた気持ちを誤魔化すように、手酌で飲んだ。

「何でもない」     

 ほんの冗談のつもりで言おうとした言葉に動揺しているとは、とても口に出せない。

「何です?」
「だから、何でもない」
「隠されると気になります。でもね、僕だっての後は何です?」
「さあ、なんだったかな」
「今度は忘れたふりですか?」
「本当に忘れたんです。若い君と違って言ったそばから忘れるんです。君も46才になればわかりますよ」
「そうですか」  
 
 ふてくされたように言い捨て、彼女はカウンターに突っ伏した。    
 
 一体何してるんだろう。27才の女の子を相手に。  
 そう思うが、帰る気にはならなかった。    
 
 結婚前の娘と最後の親子の時間を過ごすような気持ちでいたから、この時間が終わるのがもったいなかった。

「一瀬君、お茶もらいましょうか」  

 突っ伏したままの一瀬君を見ると、頷くように少しだけ頭を動かした。  

 お茶を二つ、カウンター越しのマスターに注文した。マスターは僕と同世代ぐらいだ。紺色の割烹着が渋く決まっていて、気さくな人だ。

 一瀬君の様子を伺いながら、マスターと長野の話を少しだけした。

「お連れさん、大丈夫?」  
 
 カウンター越しにお茶を差し出しながら、マスターが言った。

「大丈夫ですよ。いつもの事です」と答えた時、一瀬君との仲が、急に親しいもののように感じられた。  

 例えば、一瀬君と同じ年だったら、僕たちは今どういう関係でいるんだろう、なんて。  

 この後、居酒屋を出た後も一緒にいる関係なんだろうか。  
 朝まで一緒にいる関係なんだろうか。  

 酔ってるな。こんな事を思うなんて。自分の想像に飽きれる。
< 14 / 174 >

この作品をシェア

pagetop