課長に恋してます!
「やっぱり弁当箱は一瀬君にあげる。もう遅いから帰るよ」

 気持ちに応える事ができない僕が、これ以上ここにいたら一瀬君を悲しませる。
 そう思って、ソファから立ち上がった。

「……課長」

 弱々しい声で呼ばれた。

 玄関で靴を履き、一段高い所にいる一瀬君を見た。
 卵型の美しい顔立ちが、今は眉頭を寄せた険しい表情を浮かべている。

「課長……」
「今までありがとう。体には気をつけなさい」
「離れたくありません」

 潤んだ黒い瞳に胸が締め付けられる。

「そんな顔しないで」

 宥めるようにポンポンと細い腕を叩くと、一瀬君が玄関の床に降りて胸に飛び込んで来る。

 胸に顔が押し付けられ、細い腕が僕の背にしがみつく。
 バニラのような甘い匂いがした。一瀬君からいつも香っていた匂いに、肺の奥が締め付けられて切なくなる。

「少しだけ、このままでいさせて下さい」

 弱々しい声が胸を搔き乱す。
 ちゃんと一瀬君と別れなければいけないと思うのに、離れがたい。

「往生際が悪くてすみません。困らせてるってわかってるんです。わかってるんですけど……」

 心細そうに見上げる潤んだ黒い瞳と合った。

「やっぱり、好きなんです」

 ドクンと胸が高鳴る。

「僕の事なんて、すぐに忘れるよ」
「忘れたくないです」
「忘れなさい」
「いやです」

 背中に回った一瀬君の腕が、抵抗するように力が入る。
 妻以外の女性に、こんなに強く抱きしめられた事はなかった。

 僕では一瀬君を幸せにできない。僕は相応しくない。
 だから、一瀬君の気持ちには絶対に応えてはいけない。

 そう思うけど……。

 ほんの少しだけ、応えたい。
 
 一瀬君が明日から前を向けるように、強く抱きしめた。

 さよなら。
 さよなら、一瀬君。
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