悪役王子とラスボス少女(ただしバッドエンドではモブ死します)
14 ハーベルの誤解
リーチェの様子がおかしい。
ハーベルは王都から北の森へ旅立ってから、ずっと違和感を覚えていた。
常にそばにいようとしてくれるのは嬉しいのだが、彼女がハーベルに向けてくる眼差しは恋人同士の甘いものではなく、どちらかというと看守が囚人を監視しているかのような鋭いものだった。
(俺、何かしたかな……?)
思い当たるものはない。
浮気などはしたことはないし、魅力的なリーチェを前に、そんなことをしたいとも思えない。
しかし、リーチェから厳しい目を向けられる理由が分からないのだ。
最初こそ騎士団のサポート役になって初めての遠征だから緊張しているのだろう、と無理矢理、己を納得させようとしたのだが、リーチェの視線は常に彼の腰に捧げられているのである。
(……なぜ、俺のあそこばかり見てくるんだろう?)
なんとなく落ち着かない気分になり、ハーベルは「小用に行ってくる」と言って天幕から離れようとした。
いつものリーチェだったら遠慮してそこで席を辞するだろうに、その時ばかりは「待ってます」と言った。
(……やはり、おかしい)
リーチェの態度がいつもと違うことに困惑しつつ用を済ませて自身の天幕に戻ろうとしたところで、副長のダンに声をかけられた。
「ハーベル、どうした。浮かない顔だな」
ダンは砕けた口調で話しかけてきた。彼とは長い付き合いで、立場を気にせず気安く話せる間柄だ。
ハーベルは少し悩んだが、一人で考えても答えは出ないため、いっそダンに相談してみることにした。
「じつは……リーチェの様子がいつもと違うんだ」
「違うって、どんなふうに?」
そしてハーベルはリーチェの態度をダンに話した。常にそばを離れず、彼の腰から下ばかりをチラチラ見てくることを。
ダンは顎に手をあてて考えるような仕草をした後、深刻な表情で言った。
「なるほど……お前、にぶいな。それは誘われているんだよ」
「は?」
(誘う? あのリーチェが?)
「いやいや、彼女に限って、それはないだろう!」
何しろ新婚旅行にも父親や友人を同行させたいと言うくらい奥ゆかしい女性なのだ。
「外に出て開放的になったんだろう。女には昼と夜の顔があるものさ。昼は淑女、夜は娼婦のようにってな。よく言うだろう?」
「そっ、そんな訳があるはず……ない、だろう」
そう否定しつつも、己の顔が熱くなっていくのをハーベルは感じる。喜び、期待と高揚が身の内を荒れ狂い、狼狽した。
(リーチェに誘われているだって!?)
いや、そんなはずはない……と思いながらも、ダンほど女性経験がないハーベルには否定できるほどの根拠がない。
ダンはニヤニヤしながらハーベルの肩に腕を回して耳打ちする。
「よし、俺の経験を話そうか。最近とあるパーティで御婦人に、こう言われたんだ。『お腰の剣で一夜のお情けをくださいませんか?』と」
どういう意味か、と戸惑うハーベル。
ダンはニヤつきながら言った。
「つまり、それは俺への夜の誘いだったんだ。近頃、流行ってるらしいぜ。そういう言い方」
「っ!? 嘘だろ……?」
「いやいや、マジだ。御婦人方は『同衾しましょう』だなんて言いにくいだろう? だから遠まわしに気持ちを伝えるんだよ。リーチェ嬢がお前の腰をじっと見てくるのだって、そうに違いない」
「そ、そんな、馬鹿な話が……」
あまりの衝撃に頭を殴られたのかと一瞬錯覚するほどだった。
しばし放心したが、ダンに背中を叩かれて、ようやくハーベルは正気付く。
「女の期待に応えてやらねば男がすたるってもんだ。もし彼女がお前の剣の話をしてきたら……良いな? 男になってこい」
そう叱咤激励され、ハーベルはふらつきながら己の天幕に戻っていく。
未だに信じられないという思いで、彼は迎えてくれたリーチェを見つめた。
彼女はまたハーベルの腰の剣を熱心に見つめてくる。
(リーチェの目は清らかで性的なものとは無縁に見えるのに──……やはり彼女も、昼と夜の顔は別物だと言うのだろうか)
「……何かあったのですか?」
そうリーチェに尋ねられ、ハーベルは口ごもりながら言う。
「その……リーチェ、なんだか今朝から様子がおかしくないか?」
「えっ、そんなことはありませんよ……っ!? あっ、も、もしかしたら、明日が討伐だから緊張しているのかもしれませんね……!」
リーチェはそう言って苦笑いしていた。
(そうだよな。彼女はただ緊張しているだけなんだ)
そうハーベルは強引に己を納得させた。
(……まったく。ダンがおかしなことを言うから、変な想像をしてしまったじゃないか)
己の思い違いが恥ずかしくなり、ハーベルは彼女から目をそらしながら言う。
「そうか……。いつもより一緒にいられるのは嬉しいが、休まねば疲れも解消できない。今日はもう休むといい。俺も風呂に入るよ」
そう言って彼女を己の天幕に戻るよう、遠回しに促したのだが──。
リーチェがおずおずと言う。
「では天幕に戻りますが……その前に、不躾で恐縮なのですが、その……ハーベル様のお腰の剣を見せて頂けませんか?」
ハーベルはあまりのことに動揺を抑えきれずに、むせてしまった。
「だっ、大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ……」
今ほど自分の無表情がありがたかったことはない。
彼女の口から出た言葉が未だに信じられなかった。
(まさか、リーチェがこんなに大胆な一面を持っていただなんて……本当にダンの言う通りなのか? だったら、俺はどうすれば良い……?)
婚約者なのだから、多少のことは許される……かもしれない。恋人からの誘いを断るなんて男としてどうなんだ、という思いもある。いや、むしろ彼女の申し出は歓迎すべきだろう。
しかし婚前交渉。まだ未婚の、十八歳の貴族の女性に手を出すだなんて……許されないことだ。
ハーベルはしばらく葛藤し、リーチェの両肩をつかんだ。
「まだ、駄目だ……。早すぎる。俺達にはもう少し時間が必要だ」
「えっ? は、はい……」
ハーベルの勢いに飲まれたのか、リーチェはコクコクと首を縦に振った。
そして、しょんぼりと肩を落としながら退席するリーチェの背中を見つめながら、ハーベルはとてつもない後悔にさいなまれていた。
(リーチェが勇気を出して誘ってくれたのに、俺は……! 俺って奴は……!)
髪の毛を掻きむしり、ハーベルは重いため息を漏らす。
(いや、これで良かったんだ。俺は彼女を大事にしたい)
初めてが野営地だなんてシチュエーションとしては最悪じゃないか。ロマンチックさの欠片もないし、誰かに見られてしまう可能性もある。
そう自分に言い聞かせながら、己の不甲斐なさは見ない振りをして風呂のある天幕へと向かった。
衣服を脱ぎ、剣をその上に置く。カーテンをめくって奥の簡易風呂に浸かった。
鬱屈した感情を洗い流すように顔に湯を浴びせかけた時──。
「何をしているの!?」
カーテンの向こうから、愛しい人の声が響いた。
ハーベルは王都から北の森へ旅立ってから、ずっと違和感を覚えていた。
常にそばにいようとしてくれるのは嬉しいのだが、彼女がハーベルに向けてくる眼差しは恋人同士の甘いものではなく、どちらかというと看守が囚人を監視しているかのような鋭いものだった。
(俺、何かしたかな……?)
思い当たるものはない。
浮気などはしたことはないし、魅力的なリーチェを前に、そんなことをしたいとも思えない。
しかし、リーチェから厳しい目を向けられる理由が分からないのだ。
最初こそ騎士団のサポート役になって初めての遠征だから緊張しているのだろう、と無理矢理、己を納得させようとしたのだが、リーチェの視線は常に彼の腰に捧げられているのである。
(……なぜ、俺のあそこばかり見てくるんだろう?)
なんとなく落ち着かない気分になり、ハーベルは「小用に行ってくる」と言って天幕から離れようとした。
いつものリーチェだったら遠慮してそこで席を辞するだろうに、その時ばかりは「待ってます」と言った。
(……やはり、おかしい)
リーチェの態度がいつもと違うことに困惑しつつ用を済ませて自身の天幕に戻ろうとしたところで、副長のダンに声をかけられた。
「ハーベル、どうした。浮かない顔だな」
ダンは砕けた口調で話しかけてきた。彼とは長い付き合いで、立場を気にせず気安く話せる間柄だ。
ハーベルは少し悩んだが、一人で考えても答えは出ないため、いっそダンに相談してみることにした。
「じつは……リーチェの様子がいつもと違うんだ」
「違うって、どんなふうに?」
そしてハーベルはリーチェの態度をダンに話した。常にそばを離れず、彼の腰から下ばかりをチラチラ見てくることを。
ダンは顎に手をあてて考えるような仕草をした後、深刻な表情で言った。
「なるほど……お前、にぶいな。それは誘われているんだよ」
「は?」
(誘う? あのリーチェが?)
「いやいや、彼女に限って、それはないだろう!」
何しろ新婚旅行にも父親や友人を同行させたいと言うくらい奥ゆかしい女性なのだ。
「外に出て開放的になったんだろう。女には昼と夜の顔があるものさ。昼は淑女、夜は娼婦のようにってな。よく言うだろう?」
「そっ、そんな訳があるはず……ない、だろう」
そう否定しつつも、己の顔が熱くなっていくのをハーベルは感じる。喜び、期待と高揚が身の内を荒れ狂い、狼狽した。
(リーチェに誘われているだって!?)
いや、そんなはずはない……と思いながらも、ダンほど女性経験がないハーベルには否定できるほどの根拠がない。
ダンはニヤニヤしながらハーベルの肩に腕を回して耳打ちする。
「よし、俺の経験を話そうか。最近とあるパーティで御婦人に、こう言われたんだ。『お腰の剣で一夜のお情けをくださいませんか?』と」
どういう意味か、と戸惑うハーベル。
ダンはニヤつきながら言った。
「つまり、それは俺への夜の誘いだったんだ。近頃、流行ってるらしいぜ。そういう言い方」
「っ!? 嘘だろ……?」
「いやいや、マジだ。御婦人方は『同衾しましょう』だなんて言いにくいだろう? だから遠まわしに気持ちを伝えるんだよ。リーチェ嬢がお前の腰をじっと見てくるのだって、そうに違いない」
「そ、そんな、馬鹿な話が……」
あまりの衝撃に頭を殴られたのかと一瞬錯覚するほどだった。
しばし放心したが、ダンに背中を叩かれて、ようやくハーベルは正気付く。
「女の期待に応えてやらねば男がすたるってもんだ。もし彼女がお前の剣の話をしてきたら……良いな? 男になってこい」
そう叱咤激励され、ハーベルはふらつきながら己の天幕に戻っていく。
未だに信じられないという思いで、彼は迎えてくれたリーチェを見つめた。
彼女はまたハーベルの腰の剣を熱心に見つめてくる。
(リーチェの目は清らかで性的なものとは無縁に見えるのに──……やはり彼女も、昼と夜の顔は別物だと言うのだろうか)
「……何かあったのですか?」
そうリーチェに尋ねられ、ハーベルは口ごもりながら言う。
「その……リーチェ、なんだか今朝から様子がおかしくないか?」
「えっ、そんなことはありませんよ……っ!? あっ、も、もしかしたら、明日が討伐だから緊張しているのかもしれませんね……!」
リーチェはそう言って苦笑いしていた。
(そうだよな。彼女はただ緊張しているだけなんだ)
そうハーベルは強引に己を納得させた。
(……まったく。ダンがおかしなことを言うから、変な想像をしてしまったじゃないか)
己の思い違いが恥ずかしくなり、ハーベルは彼女から目をそらしながら言う。
「そうか……。いつもより一緒にいられるのは嬉しいが、休まねば疲れも解消できない。今日はもう休むといい。俺も風呂に入るよ」
そう言って彼女を己の天幕に戻るよう、遠回しに促したのだが──。
リーチェがおずおずと言う。
「では天幕に戻りますが……その前に、不躾で恐縮なのですが、その……ハーベル様のお腰の剣を見せて頂けませんか?」
ハーベルはあまりのことに動揺を抑えきれずに、むせてしまった。
「だっ、大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ……」
今ほど自分の無表情がありがたかったことはない。
彼女の口から出た言葉が未だに信じられなかった。
(まさか、リーチェがこんなに大胆な一面を持っていただなんて……本当にダンの言う通りなのか? だったら、俺はどうすれば良い……?)
婚約者なのだから、多少のことは許される……かもしれない。恋人からの誘いを断るなんて男としてどうなんだ、という思いもある。いや、むしろ彼女の申し出は歓迎すべきだろう。
しかし婚前交渉。まだ未婚の、十八歳の貴族の女性に手を出すだなんて……許されないことだ。
ハーベルはしばらく葛藤し、リーチェの両肩をつかんだ。
「まだ、駄目だ……。早すぎる。俺達にはもう少し時間が必要だ」
「えっ? は、はい……」
ハーベルの勢いに飲まれたのか、リーチェはコクコクと首を縦に振った。
そして、しょんぼりと肩を落としながら退席するリーチェの背中を見つめながら、ハーベルはとてつもない後悔にさいなまれていた。
(リーチェが勇気を出して誘ってくれたのに、俺は……! 俺って奴は……!)
髪の毛を掻きむしり、ハーベルは重いため息を漏らす。
(いや、これで良かったんだ。俺は彼女を大事にしたい)
初めてが野営地だなんてシチュエーションとしては最悪じゃないか。ロマンチックさの欠片もないし、誰かに見られてしまう可能性もある。
そう自分に言い聞かせながら、己の不甲斐なさは見ない振りをして風呂のある天幕へと向かった。
衣服を脱ぎ、剣をその上に置く。カーテンをめくって奥の簡易風呂に浸かった。
鬱屈した感情を洗い流すように顔に湯を浴びせかけた時──。
「何をしているの!?」
カーテンの向こうから、愛しい人の声が響いた。