悪役王子とラスボス少女(ただしバッドエンドではモブ死します)
4 マルク視点
マルクはパーティ会場で人を探していた。
リーチェとパーティの後で話をするつもりだったのに姿を見かけないのだ。
(せっかくハーベル暗殺計画に利用しようと思っていたのに……)
ロジェスチーヌ伯爵は来ていたからリーチェの居場所を聞いてみたが、伯爵は『何を言っているんだ?』と言いたげな奇妙な表情をしていた。
「娘なら、そこにいますよ」
そう言うロジェスチーヌ伯爵の視線の先には人だかりができていたが、リーチェの姿はない。
だが、その輪の中の一人の女性の姿にマルクは目が釘付けになった。
丁寧に結い上げられた茶色の髪、海のような青い神秘的な瞳。同色のマーメイド型ドレスを見事に着こなし、凛と立つその姿に目を奪われる。
社交界では見たことのない女性だ。周りの男達全員が彼女に見惚れて立ち尽くしている。
一目惚れとは、こういうことを言うのかもしれない、とマルクは思った。
(彼女の名前が知りたい)
「リーチェですわ……」
鈴が鳴るような声で、そう名乗った美少女。
どこか怯えたように縮こまっている、その子兎めいた姿に庇護欲をそそられる。ゾクゾクとした欲望が身の内から湧き上がってくるのを感じた。
(同じリーチェという名前でも、あの冴えない女とは大違いだ)
彼女の調子が悪そうなので外の空気を吸わせてやろうと、庭園までのエスコートを申し出たが、ハーベルに遮られてしまった。
(つくづく、腹立たしい男だ)
しかしマルクが何か言う前に彼女がハーベルの手を取ってしまったせいで、その場は引かざるを得なかった。
ふつふつとした怒りを堪えながら二人の後ろ姿を見つめる。
そばにいた男に彼女が何者なのか知っているか尋ねると「リーチェ・ロジェスチェーヌ伯爵令嬢ですよ」と言われて耳を疑った。
(え? 嘘だろ? あれが、あのリーチェだっていうのか?)
まるで醜いアヒルの子が白鳥に変わったかのように……いや、それ以上に元の面影がない。
いや、確かによく見れば髪色や瞳の色、背格好は似ている。
けれど髪型や化粧やドレス、立ち振る舞いでこんなに女は変わると言うのだろうか……。
マルクは呆然として、気付けばリーチェの後を追ってしまっていた。
途中、誰かに呼び止められた気配がしたが、もはやどうでも良い。彼女のことしか考えられない。まるで、この世界に己とリーチェしか存在しないかのような錯覚に陥る。
──そんな気持ちになったのは彼にとって生まれて初めてのことだった。
リーチェとハーベルは仲睦まじく庭園のガゼボへ歩いて行ってしまった。
二人はベンチに座り、至近距離で話をしている。
(なんだ、これは……)
その姿を見ていると、足元から不快な感情が湧き上がってくる。
リーチェはハーベル暗殺の駒にしようとしただけで、本気で付き合ってやるつもりなんて微塵もなかった。
けれど、今はもう誰にも彼女を渡したくない。そんな気持ちになってしまっている。
二人の間に割り込もうと足を踏み出しかけたところで、従者に呼び止められた。
「マルク様、陛下がお呼びでございます」
(クソッ、こんな時に……)
後ろ髪を引かれながら、マルクはその場を後にした。
リーチェは同じ王立学園の魔法科に所属しているが、クラスが違うため普段は休み時間にしか会えない。
だが、呼びつければすぐ会えるだろう、とマルクは楽観していた。
しかしパーティの日以降、リーチェと連絡が取れなくなっていた。体調不良で休んでいるのだ。
ならば、と病状回復を願う旨の手紙と花束をつけて送ったが、返事は未だに返ってこない。
(僕は第一王子だぞ!?)
あまりの不敬ぶりに頭に血がのぼる。
今までの彼女だったら、マルクから初めてプレゼントをもらえたら大喜びしていただろう。まるで突然人が変わったようにしか思えなかった。
いったい彼女に何が起こったというのか。
リーチェが心変わりする理由なんて思いつかない。少なくとも彼女の前ではマルクは紳士的な態度を崩したことはないのだ。王子様然とした彼に言い寄られて落ちない女はいない。
(そうだ、きっと彼女は俺の気を引こうとして無視をしているんだろう)
マルクはそう思うことで溜飲を下げた。
先日までリーチェが自分を見つめる瞳は惚れた男に対するものだった。マルクはそれには自信を持っている。これまで何人もの女性を落としてきた自負もあった。
だから、これは彼女の駆け引きに違いない、とマルクは決めつける。
「……そうだ。リーチェは俺に嫉妬して欲しいんだ。だからハーベルに近づいたんだろう。可愛い奴め」
彼女の企みは成功した。
ならばリーチェが謝ってきたら優しく迎えてやろう。
そう思い、彼は今日もまた手紙をしたためる。
魔法士団の業務もうまくいかない。
練習中に不注意で隊員が怪我をしたので「たるんでいるぞ!」と注意をすれば、「リーチェがいれば、こんな怪我すぐ治してくれたのに……」と不平を漏らす者が現れた。
(はぁ? どうして、ここでリーチェが出てくるんだ?)
マルクはそう思った。しかし団員から詳しく話を聞けば、リーチェは入団してから回復魔法や付与魔法で陰ながら彼らを支えていたのだという。
「回復魔法や付与魔法なんて、下っ端の魔法士でも使えるものじゃないか。別にリーチェじゃなくても……」
マルクがそう言えば、隊員達が「とんでもない!」と青くなった。
「リーチェは確かに攻撃魔法が不得手みたいですけど、補助魔法においては天才ですよ」
一般的な魔法士だと付与魔法でも『少し防御力を高める』『風属性や火属性の魔法で攻撃力をわずかに高める』程度しかできない。
しかしリーチェは付与魔法によって三割ほどは補助力を発揮していたのだという。
「三割だと……?」
馬鹿にできない数値だ。特に戦いの場においては、その違いが命取りになる。
「リーチェの付与魔法があれば、模擬戦でこんなに苦労することはなかったのに……」
「俺の唯一の癒やしが……」
そう口々に漏らす団員達の顔を、マルクは信じられない思いで見つめた。
(リーチェにそんな特技があったなんて知らなかった)
そばにいた副長のハインツに、マルクは詰め寄る。
「リーチェの能力の話は本当か?」
「……本当です」
「なぜ今まで僕に報告しなかった!?」
そう声を荒らげてマルクが問うと、副長のハインツは眼鏡を押し上げて、ため息を落とした。
「報告しようとしたことはあります。しかし殿下はあまりご興味がない様子でしたので……」
確かにマルクは第一王子だから学業の他に政務もある。いつも訓練に付き合っている訳ではない。
魔法士団を任されているとは言っても名ばかりのもので、ほぼ副長が実務を行ってきた。
ハーベルが騎士団長をしているから、父王の命令で箔付けのためにマルクも魔法士団長に収まったようなものだ。そもそも彼は魔法が得意な方ではない。マッチの先ほどの火魔法しか出せないのだ。
魔法士団では華々しい活躍をした者──特に攻撃魔法ができる者が目立ち、優遇される。
だから、リーチェのような地味な魔法ばかり使う者は評価されず埋もれやすい。
ゆえにマルクは気付かなかったのだ。
──リーチェの実力に。
ハインツが気まずげな顔で、懐から取り出した手紙をマルクに差し出してくる。
「こんな時に渡すものではないのかもしれませんが……リーチェから手紙を預かっています」
「リーチェから!?」
勢いよく、それを受け取る。
待ちに待った彼女からの手紙だ。なぜハインツが持っているのかは分からなかったが、マルクは逸る心で開封した。
簡素な白い手紙の一番上には『退団届』と書かれている。
「嘘だ……」
頭が真っ白になり、マルクは気付けばそうつぶやいていた。
「……残念ながら、殿下。事実であります」
眼鏡を押し上げて、ハインツが言う。
マルクは手紙をくしゃりと握りつぶす。
「認めない……」
(リーチェが魔法士団から抜けたいだって?)
そんなことマルクが許すはずがないのに。
彼女に魔法士団を辞めさせる訳にはいかない。
リーチェは公私共に己に必要な女性だ。マルクは今ではそう確信していた。
(絶対に僕の元に連れ戻してやる! ハーベルがどう言おうと、あれは僕の女だ!)
リーチェとパーティの後で話をするつもりだったのに姿を見かけないのだ。
(せっかくハーベル暗殺計画に利用しようと思っていたのに……)
ロジェスチーヌ伯爵は来ていたからリーチェの居場所を聞いてみたが、伯爵は『何を言っているんだ?』と言いたげな奇妙な表情をしていた。
「娘なら、そこにいますよ」
そう言うロジェスチーヌ伯爵の視線の先には人だかりができていたが、リーチェの姿はない。
だが、その輪の中の一人の女性の姿にマルクは目が釘付けになった。
丁寧に結い上げられた茶色の髪、海のような青い神秘的な瞳。同色のマーメイド型ドレスを見事に着こなし、凛と立つその姿に目を奪われる。
社交界では見たことのない女性だ。周りの男達全員が彼女に見惚れて立ち尽くしている。
一目惚れとは、こういうことを言うのかもしれない、とマルクは思った。
(彼女の名前が知りたい)
「リーチェですわ……」
鈴が鳴るような声で、そう名乗った美少女。
どこか怯えたように縮こまっている、その子兎めいた姿に庇護欲をそそられる。ゾクゾクとした欲望が身の内から湧き上がってくるのを感じた。
(同じリーチェという名前でも、あの冴えない女とは大違いだ)
彼女の調子が悪そうなので外の空気を吸わせてやろうと、庭園までのエスコートを申し出たが、ハーベルに遮られてしまった。
(つくづく、腹立たしい男だ)
しかしマルクが何か言う前に彼女がハーベルの手を取ってしまったせいで、その場は引かざるを得なかった。
ふつふつとした怒りを堪えながら二人の後ろ姿を見つめる。
そばにいた男に彼女が何者なのか知っているか尋ねると「リーチェ・ロジェスチェーヌ伯爵令嬢ですよ」と言われて耳を疑った。
(え? 嘘だろ? あれが、あのリーチェだっていうのか?)
まるで醜いアヒルの子が白鳥に変わったかのように……いや、それ以上に元の面影がない。
いや、確かによく見れば髪色や瞳の色、背格好は似ている。
けれど髪型や化粧やドレス、立ち振る舞いでこんなに女は変わると言うのだろうか……。
マルクは呆然として、気付けばリーチェの後を追ってしまっていた。
途中、誰かに呼び止められた気配がしたが、もはやどうでも良い。彼女のことしか考えられない。まるで、この世界に己とリーチェしか存在しないかのような錯覚に陥る。
──そんな気持ちになったのは彼にとって生まれて初めてのことだった。
リーチェとハーベルは仲睦まじく庭園のガゼボへ歩いて行ってしまった。
二人はベンチに座り、至近距離で話をしている。
(なんだ、これは……)
その姿を見ていると、足元から不快な感情が湧き上がってくる。
リーチェはハーベル暗殺の駒にしようとしただけで、本気で付き合ってやるつもりなんて微塵もなかった。
けれど、今はもう誰にも彼女を渡したくない。そんな気持ちになってしまっている。
二人の間に割り込もうと足を踏み出しかけたところで、従者に呼び止められた。
「マルク様、陛下がお呼びでございます」
(クソッ、こんな時に……)
後ろ髪を引かれながら、マルクはその場を後にした。
リーチェは同じ王立学園の魔法科に所属しているが、クラスが違うため普段は休み時間にしか会えない。
だが、呼びつければすぐ会えるだろう、とマルクは楽観していた。
しかしパーティの日以降、リーチェと連絡が取れなくなっていた。体調不良で休んでいるのだ。
ならば、と病状回復を願う旨の手紙と花束をつけて送ったが、返事は未だに返ってこない。
(僕は第一王子だぞ!?)
あまりの不敬ぶりに頭に血がのぼる。
今までの彼女だったら、マルクから初めてプレゼントをもらえたら大喜びしていただろう。まるで突然人が変わったようにしか思えなかった。
いったい彼女に何が起こったというのか。
リーチェが心変わりする理由なんて思いつかない。少なくとも彼女の前ではマルクは紳士的な態度を崩したことはないのだ。王子様然とした彼に言い寄られて落ちない女はいない。
(そうだ、きっと彼女は俺の気を引こうとして無視をしているんだろう)
マルクはそう思うことで溜飲を下げた。
先日までリーチェが自分を見つめる瞳は惚れた男に対するものだった。マルクはそれには自信を持っている。これまで何人もの女性を落としてきた自負もあった。
だから、これは彼女の駆け引きに違いない、とマルクは決めつける。
「……そうだ。リーチェは俺に嫉妬して欲しいんだ。だからハーベルに近づいたんだろう。可愛い奴め」
彼女の企みは成功した。
ならばリーチェが謝ってきたら優しく迎えてやろう。
そう思い、彼は今日もまた手紙をしたためる。
魔法士団の業務もうまくいかない。
練習中に不注意で隊員が怪我をしたので「たるんでいるぞ!」と注意をすれば、「リーチェがいれば、こんな怪我すぐ治してくれたのに……」と不平を漏らす者が現れた。
(はぁ? どうして、ここでリーチェが出てくるんだ?)
マルクはそう思った。しかし団員から詳しく話を聞けば、リーチェは入団してから回復魔法や付与魔法で陰ながら彼らを支えていたのだという。
「回復魔法や付与魔法なんて、下っ端の魔法士でも使えるものじゃないか。別にリーチェじゃなくても……」
マルクがそう言えば、隊員達が「とんでもない!」と青くなった。
「リーチェは確かに攻撃魔法が不得手みたいですけど、補助魔法においては天才ですよ」
一般的な魔法士だと付与魔法でも『少し防御力を高める』『風属性や火属性の魔法で攻撃力をわずかに高める』程度しかできない。
しかしリーチェは付与魔法によって三割ほどは補助力を発揮していたのだという。
「三割だと……?」
馬鹿にできない数値だ。特に戦いの場においては、その違いが命取りになる。
「リーチェの付与魔法があれば、模擬戦でこんなに苦労することはなかったのに……」
「俺の唯一の癒やしが……」
そう口々に漏らす団員達の顔を、マルクは信じられない思いで見つめた。
(リーチェにそんな特技があったなんて知らなかった)
そばにいた副長のハインツに、マルクは詰め寄る。
「リーチェの能力の話は本当か?」
「……本当です」
「なぜ今まで僕に報告しなかった!?」
そう声を荒らげてマルクが問うと、副長のハインツは眼鏡を押し上げて、ため息を落とした。
「報告しようとしたことはあります。しかし殿下はあまりご興味がない様子でしたので……」
確かにマルクは第一王子だから学業の他に政務もある。いつも訓練に付き合っている訳ではない。
魔法士団を任されているとは言っても名ばかりのもので、ほぼ副長が実務を行ってきた。
ハーベルが騎士団長をしているから、父王の命令で箔付けのためにマルクも魔法士団長に収まったようなものだ。そもそも彼は魔法が得意な方ではない。マッチの先ほどの火魔法しか出せないのだ。
魔法士団では華々しい活躍をした者──特に攻撃魔法ができる者が目立ち、優遇される。
だから、リーチェのような地味な魔法ばかり使う者は評価されず埋もれやすい。
ゆえにマルクは気付かなかったのだ。
──リーチェの実力に。
ハインツが気まずげな顔で、懐から取り出した手紙をマルクに差し出してくる。
「こんな時に渡すものではないのかもしれませんが……リーチェから手紙を預かっています」
「リーチェから!?」
勢いよく、それを受け取る。
待ちに待った彼女からの手紙だ。なぜハインツが持っているのかは分からなかったが、マルクは逸る心で開封した。
簡素な白い手紙の一番上には『退団届』と書かれている。
「嘘だ……」
頭が真っ白になり、マルクは気付けばそうつぶやいていた。
「……残念ながら、殿下。事実であります」
眼鏡を押し上げて、ハインツが言う。
マルクは手紙をくしゃりと握りつぶす。
「認めない……」
(リーチェが魔法士団から抜けたいだって?)
そんなことマルクが許すはずがないのに。
彼女に魔法士団を辞めさせる訳にはいかない。
リーチェは公私共に己に必要な女性だ。マルクは今ではそう確信していた。
(絶対に僕の元に連れ戻してやる! ハーベルがどう言おうと、あれは僕の女だ!)