キミは海の底に沈む【完】
警察署に入り、数分がたった頃、藤沢那月が言っていたことがすぐに分かった。

私は本当に記憶喪失というものらしい。
寝れば丸々、その日あったことを忘れてしまうようで。

私は過去にも何度か迷子になったらしく、慣れたように対応する警察の人を見て、泣きたくなった。

私はこの警察署に来るのは、初めてなのに…。



しばらくして、私がいる受付のところに男の人が来た。
その人は私の顔を見て「凪!!」と大きな声を出した。肩で息をして、まるで全力疾走してきたような息の荒さ。
黒い髪からは汗がしたたる。
白そうな肌は、たくさん走ったようで頬が赤くなっていた。


警察署の人は誰を呼んだのか。
親か、〝潮くん〟。


「凪……」


受付のイスに座っている私は、近づいて、目線を合わせるようにしゃがむこの人が誰か分からない。たぶん〝潮くん〟なのだと思う。


「どこ行ってたんだよ…」


分からない…。


「良かった…、無事で…」


私の心は、全く無事じゃない…。


「…凪?」

「…っ…」


肩を震わす私を見て、焦ったように顔が変わり。


「どうした?体調悪いのか?」

「……、…」

「凪…、…あ、俺は潮、わからなかったよな、ごめんな…」

「っ……」

「これ、誰のスリッパ? 足、赤くなってる…。ずっと裸足だったのか?痛くないか?」


やめて…。


「凪?」

「…っ、やめて…」

「どうした?」

「やめて…」

「やめる、やめるから」

「お願い…やめて……」

「やめるよ、大丈夫だから。…なにが嫌だった?」


甘く、優しく言われ…


「…っ…、やだ…」

「…凪?」

「っ、…──〝凪〟って呼ばないで!」


叫んだ時、目の前にしゃがみこんでいる〝潮くん〟は、眉を寄せ。


「私は〝凪〟じゃないもん!!」

「うん」

「〝凪〟じゃないっ…」

「うん」

「だからっ、〝凪〟って呼ばれるのはおかしい!」

「そうだな、俺が悪かった」

「っ……」

「…足、痛くないか? 」


優しく微笑んでくれる〝潮くん〟。
そんな〝潮くん〟と警察署から出たのは夕方頃。


私はずっとずっと泣いていた。
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