キミは海の底に沈む【完】
彼は落ち着いた私に「手を繋いでいいか?」と聞いてきた。私を抱きしめていたのに、3回ぐらい同じことを言ってくる。
だから3回ぐらい頷いて、ようやく私の手を握った〝潮くん〟は、私が拒絶しないことで少しだけ安心したような表情をした。
少し手を繋ぎながら歩く。
「…確認のために聞きたい、これは俺が聞きたいだけで、別に君を責めてるとかそういうのじゃない」
私のことを、もう〝凪〟と呼ばない男。
「俺のことが彼氏だって分かるってことは日記を読んだってことでいい?」
日記。〝澤田凪〟の日記。
それに対して頷いた。
これのどこが責めてるんだろうと思った。
「そのファイル、今どこにある?」
だけど、その質問に、体が強ばるのが分かった。白いファイルはもうない。捨ててしまったから。
捨てた人物の名前を出すべきなんだろうか?だけど藤沢那月は彼を嫌っている。藤沢那月の名前は口にしない方がいいのかもしれない。
「……捨てました…」
「捨てた?」
「気が動転して…」
「……」
「ごめんなさい……」
少し、握っている手が強くなった気がして。ああ、やっぱりあれは捨ててはいけないものだったんだと思った。
「そっか、なら仕方ない」
微笑んでくる彼に申し訳なく。
「駅の、警察署の近くの、駅のゴミ箱に捨てました…」
だから、捨てた場所を言った。
「うん」
「……ごめんなさい……」
「謝ることじゃない、君は悪くないよ」
「でも……、あれは大事なものではないのですか?」
「俺が大事なものは君だよ。これからもずっと」
私は、明日、いなくなるのに?
たくさんの思い出がつまったあの日記は、きっとこの人にとっても大事なものなのに。
私を傷をつけないようにしてくれてる。
「…もう一度、あの日記が読みたいです…。探しに行ってもいいですか?」
そう言わずにいられなかった。〝潮くん〟は「無理しなくていいよ」と言ってくれたけど。
〝明日の私〟には必要だと思うから。こんな複雑な感情だけど。
「行きたいです」
もう一度言った私に、〝潮くん〟は頷いた。
「足が痛くなったらすぐに言って。絶対に我慢しないで」
そんな言葉と共に。