キミは海の底に沈む【完】
────時間が許す限り、私はずっと水槽の中を眺めていた。青いライトが反射する水槽は高さがあり、見上げるような形になっている私はさっきも思ったように、海の底にいるみたいだった。
ずっと見つめていた。
立ちすぎてきっと潮くんの足は疲れているはずなのに、潮くんは何も言わなかった。
ただ水槽の魚たちを見る私のことを見ていた。
「お母さんに、お土産を買わないと…」
「そうだな」
思い出したように言えば、潮くんは頷いた。
「朝、気をつけてねって。お母さんは昔から心配性なところがあって…」
「うん」
「この前も…──。そうだ…私、お母さんを親だと思えなくて家から飛び出したことある…」
「うん」
「帰ったら謝らなくちゃ…。怒ってないかな」
「凪のお母さんはいつも優しいから大丈夫」
「うん、──」
次々と、頭の中に映像が流れていく。
でも私にはその映像が、いつの映像か分からなかった。
例えていうなら、とある映像はパズルのピース。ピースはあるものの、どこにはめればいいか分からないのが、いわゆる期間で。
その期間という、パズルのピースのはめる位置が分からないせいで、ピースが上手く埋められなかった。
けど、お母さんの背格好とかを思い出す限り、最近のことを思い出したのだと理解はできる。
だからこの辺りの期間かな?って、パズルを埋めることが出来て──…。
「…私が迷子になって…。潮くんが警察まで迎えに来てくれて…」
たくさんたくさん、思い出してくる。
よっぽどリラックスしているのか。
それとも、もし忘れても、潮くんならそばに居てくれるという安心感からなのか。
そこからはもう口には出さなかった。
次々に蘇ってくる記憶は、思い出す日記の中に当てはめていくと、ああ…この日のことだってピースが埋まっていく。
今、どれだけのピースが埋まったんだろう。
この記憶たちか1000ピースだとしたら、きっと半分は埋まっていってると思う。
──『好きだ』
埋まっていくピースは、
──『好きだよ凪』
どれもどれも、
── 『凪の全部が好き、それぐらい凪に惚れてる』
潮くんのことばかり。
ポロポロと涙を流していると、不安そうにした潮くんが、「…どうした?」と、私の涙を拭く仕草をする。
不安じゃない。
私の心は悲しい気持ちとか、そんなんじゃなくて。
「いま、いっぱい思い出してて…」
「…うん」
「潮くん、ばかりで、」
「うん」
「潮くんばっかりで──…」
「なぎ、」
──…ああ、思い出した。
──『…好きだよ…』
──『…わたしもすきです』
──『潮くんが大好きです』
────私は潮くんが大好きだった。
だけど。
──『昨日…、先生が言ってたんです、その日の出来事を、忘れたくて自ら忘れようとしたんじゃないかって』
──『昨日、凪が俺に好きって言ってくれたんです。1年3ヶ月ぶりに…』
──『凪はそれを、…忘れたかった、って事…、なんですかね……』
────私は、7回、潮くんを泣かせてる。
もしかすると、もっともっと泣かせているのかもしれない。今思い出すだけの〝7回〟だから、きっともっと泣いている。
──『忘れないって約束したのに…』
潮くんが泣いている1番古い記憶は、きっとこの潮くんがランドセル背負っている記憶なのだと思う。
──『大人になったら結婚しよう、って、さわだ、なんで俺が言ったこと忘れんの……』
潮くんが泣いている。
──潮くんくんの言っている言葉で、何があったか分かった私は、これ以上思い出さないように、水槽の中を見ないように瞳を閉じた。
これはきっと、潮くんが小学生の頃、私に『好き』と言ってくれた、翌日の記憶だ。
でも、思い出してしまった。
自分の言葉を。
潮くんに向かって言ってしまった自分の言葉を。
私はその時、泣いている潮くんに向かって『──誰ですか?』って言ってしまった。
酷い言葉を言ってしまった。
潮くんが、凄く傷つく言葉を言ってしまった…。
告白してくれた潮くんに向かって、〝誰ですか?〟だなんて。
那月くんの言った通りなら、きっとこの後に私に対する虐めが始まったんだろう…。
──自業自得。
潮くんは何も悪くない。
瞳を閉じた私に、潮くんが「…大丈夫か?」と肩を支えてきた。
幸せで、嬉しい記憶が蘇ってくる反面、次々に潮くんに対しての、私が傷つけた記憶も蘇ってくる。
いったい、私は何回、潮くんに対して〝誰?〟って思ったんだろう。毎日が初対面の私は…。
そんなの決まっている。〝7年間〟だ。
〝7年間〟もの間…潮くんは…。
私の〝誰ですか?〟に苦しめられたんだろう。
「…うしおくんは、」
「…ん?」
「わたしといて、ほんとうに幸せだった…?」
何を思い出したのか聞かない潮くんは、支えていた肩を少し引き寄せた。
「…頭の中で、うしおくんがずっと泣いてるの…」
また目の奥が熱くなった。
周りの人からしてみれば、魚を見て泣いている変な女って思われるかもしれない。
「…泣いてる?俺」
「うん…」
「嬉し泣きとか、そんなんじゃなくて?」
「うん、」
「幸せだった、ずっと」
「うそ……」
「嘘じゃない。凪の思い出す記憶は俺が泣いてるところだけ?」
泣いてるところだけ…?
ううん、違う、潮くんが笑っている時もある。
本当に嬉しそうに私に向かって『好きだよ』って。
思い出した記憶の9割以上は、ずっとずっと、潮くんが優しく笑っている光景だ。私を大切にしてくれてる人…。
必死に首を横にふれば、「ほらな、幸せだった」と嬉しいに笑い。我慢できずどこまでも優しい潮くんを抱きしめた私を、潮くんは受け止めてくれた。
「……すき…、うしおくんがだいすき…」
潮くんからの返事はなかった。
それでも腕の力強さに〝俺も〟だと言われているような気がした。
「…〝誰ですか?〟って、言ってごめんね、」
鼻声で言えば、潮くんが「…思い出したのか?」って呟いた。
その声は泣きそうだった。
その声は悲しい泣き声とか、そういうのじゃなくて。
ゆっくりと、頷き。
「──…私も、潮くんと結婚したいです」
そういった刹那、潮くんが私の顔をあげ、潮くんの指先が私の涙を拭いた。
潮くんの告白からの、7年後の返事。
「やっとだわ、」
少しからかい気味に言った潮くんに、私は眉を下げた。
「遅くなってごめんなさい…」
「おそすぎる」
「おこ、ってますか?」
「俺が凪に怒ると思う?」
潮くんは笑っている。ずっとずっと私に優しい潮くん。彼の言うとおり、きっと潮くんは私には怒らないだろうなと思っていると、
「次に藤沢と付き合うとか言ったら怒るけど」
突然、そんなことを言われ、言葉に詰まった。
思わず涙が引っ込む。
「え、……那月くん?」
「それも、いつのまに〝那月〟?」
「潮くんに嫌がらせするために下の名前にしろって言われて…」
「あの野郎…」
笑っている顔から、少し不機嫌そうになった潮くんは、「あいつに何もされなかったか?」と聞いてきた。
あまり不機嫌な潮くんを知らない私は、「部屋に行ったぐらいで…」と不安気味に言うと、潮くんがもっと不機嫌な様子になったから少し困惑した。
「部屋の中で何してた?」
「えっと、あの、本当に何も。いつも那月くんがスマホで動画を見てて…。たまに話をするくらいで…。──…あ、でも、最後の日、那月くんが服の中に手を入れてきて…」
「…」
「あ、あの時は、何をされるか分からなかったので、戸惑ったけど、──…他は、何も」
焦りながら、潮くんがこれ以上不機嫌にならないように正直に言うと、潮くんの不機嫌な顔が怖いつきになり、焦る。
「服に手?」
「え、あ、あの、でも、よく分からなくて、彼もすぐにやめてくれて…」
「──」
「…お、怒ってますか、」
「マジであん時、どれだけ嫉妬したと思ってんの。頭おかしくなりそうだった」
「う、うしおく、」
「もう藤沢と喋んのやめて」
「で、でも、那月くんは潮くんのことを大事に思って…」
「凪」
「は、はい」
さっきまで怒っていたのに、また笑い。
何が何だか分からない私は、戸惑ったまま潮くんを見つめたままで。
軽く私はの頬を撫でた潮くんは、そのまま顔を傾け近づいてきた。
潮くんの切れ長の二重の目が、私を見つめてる。
「結婚すんのは俺だからな」
イタズラ気味に笑った潮くん…。
さっきの私の返事かと思った時には、そのまま唇を塞がれていた。
えっと、あの、那月くんの話はどこに…?
軽くふれあい、頬にキスした潮くんが、愛おしそうに私を抱きしめる…。
「ずっと言いたかった」
言いたかった?
何を?
そう思って潮くんを見上げれば、また塞がれるようなキスをされた。
「──愛してる、」
その言葉を、私はこの先、一生忘れることは無かった。
ずっと見つめていた。
立ちすぎてきっと潮くんの足は疲れているはずなのに、潮くんは何も言わなかった。
ただ水槽の魚たちを見る私のことを見ていた。
「お母さんに、お土産を買わないと…」
「そうだな」
思い出したように言えば、潮くんは頷いた。
「朝、気をつけてねって。お母さんは昔から心配性なところがあって…」
「うん」
「この前も…──。そうだ…私、お母さんを親だと思えなくて家から飛び出したことある…」
「うん」
「帰ったら謝らなくちゃ…。怒ってないかな」
「凪のお母さんはいつも優しいから大丈夫」
「うん、──」
次々と、頭の中に映像が流れていく。
でも私にはその映像が、いつの映像か分からなかった。
例えていうなら、とある映像はパズルのピース。ピースはあるものの、どこにはめればいいか分からないのが、いわゆる期間で。
その期間という、パズルのピースのはめる位置が分からないせいで、ピースが上手く埋められなかった。
けど、お母さんの背格好とかを思い出す限り、最近のことを思い出したのだと理解はできる。
だからこの辺りの期間かな?って、パズルを埋めることが出来て──…。
「…私が迷子になって…。潮くんが警察まで迎えに来てくれて…」
たくさんたくさん、思い出してくる。
よっぽどリラックスしているのか。
それとも、もし忘れても、潮くんならそばに居てくれるという安心感からなのか。
そこからはもう口には出さなかった。
次々に蘇ってくる記憶は、思い出す日記の中に当てはめていくと、ああ…この日のことだってピースが埋まっていく。
今、どれだけのピースが埋まったんだろう。
この記憶たちか1000ピースだとしたら、きっと半分は埋まっていってると思う。
──『好きだ』
埋まっていくピースは、
──『好きだよ凪』
どれもどれも、
── 『凪の全部が好き、それぐらい凪に惚れてる』
潮くんのことばかり。
ポロポロと涙を流していると、不安そうにした潮くんが、「…どうした?」と、私の涙を拭く仕草をする。
不安じゃない。
私の心は悲しい気持ちとか、そんなんじゃなくて。
「いま、いっぱい思い出してて…」
「…うん」
「潮くん、ばかりで、」
「うん」
「潮くんばっかりで──…」
「なぎ、」
──…ああ、思い出した。
──『…好きだよ…』
──『…わたしもすきです』
──『潮くんが大好きです』
────私は潮くんが大好きだった。
だけど。
──『昨日…、先生が言ってたんです、その日の出来事を、忘れたくて自ら忘れようとしたんじゃないかって』
──『昨日、凪が俺に好きって言ってくれたんです。1年3ヶ月ぶりに…』
──『凪はそれを、…忘れたかった、って事…、なんですかね……』
────私は、7回、潮くんを泣かせてる。
もしかすると、もっともっと泣かせているのかもしれない。今思い出すだけの〝7回〟だから、きっともっと泣いている。
──『忘れないって約束したのに…』
潮くんが泣いている1番古い記憶は、きっとこの潮くんがランドセル背負っている記憶なのだと思う。
──『大人になったら結婚しよう、って、さわだ、なんで俺が言ったこと忘れんの……』
潮くんが泣いている。
──潮くんくんの言っている言葉で、何があったか分かった私は、これ以上思い出さないように、水槽の中を見ないように瞳を閉じた。
これはきっと、潮くんが小学生の頃、私に『好き』と言ってくれた、翌日の記憶だ。
でも、思い出してしまった。
自分の言葉を。
潮くんに向かって言ってしまった自分の言葉を。
私はその時、泣いている潮くんに向かって『──誰ですか?』って言ってしまった。
酷い言葉を言ってしまった。
潮くんが、凄く傷つく言葉を言ってしまった…。
告白してくれた潮くんに向かって、〝誰ですか?〟だなんて。
那月くんの言った通りなら、きっとこの後に私に対する虐めが始まったんだろう…。
──自業自得。
潮くんは何も悪くない。
瞳を閉じた私に、潮くんが「…大丈夫か?」と肩を支えてきた。
幸せで、嬉しい記憶が蘇ってくる反面、次々に潮くんに対しての、私が傷つけた記憶も蘇ってくる。
いったい、私は何回、潮くんに対して〝誰?〟って思ったんだろう。毎日が初対面の私は…。
そんなの決まっている。〝7年間〟だ。
〝7年間〟もの間…潮くんは…。
私の〝誰ですか?〟に苦しめられたんだろう。
「…うしおくんは、」
「…ん?」
「わたしといて、ほんとうに幸せだった…?」
何を思い出したのか聞かない潮くんは、支えていた肩を少し引き寄せた。
「…頭の中で、うしおくんがずっと泣いてるの…」
また目の奥が熱くなった。
周りの人からしてみれば、魚を見て泣いている変な女って思われるかもしれない。
「…泣いてる?俺」
「うん…」
「嬉し泣きとか、そんなんじゃなくて?」
「うん、」
「幸せだった、ずっと」
「うそ……」
「嘘じゃない。凪の思い出す記憶は俺が泣いてるところだけ?」
泣いてるところだけ…?
ううん、違う、潮くんが笑っている時もある。
本当に嬉しそうに私に向かって『好きだよ』って。
思い出した記憶の9割以上は、ずっとずっと、潮くんが優しく笑っている光景だ。私を大切にしてくれてる人…。
必死に首を横にふれば、「ほらな、幸せだった」と嬉しいに笑い。我慢できずどこまでも優しい潮くんを抱きしめた私を、潮くんは受け止めてくれた。
「……すき…、うしおくんがだいすき…」
潮くんからの返事はなかった。
それでも腕の力強さに〝俺も〟だと言われているような気がした。
「…〝誰ですか?〟って、言ってごめんね、」
鼻声で言えば、潮くんが「…思い出したのか?」って呟いた。
その声は泣きそうだった。
その声は悲しい泣き声とか、そういうのじゃなくて。
ゆっくりと、頷き。
「──…私も、潮くんと結婚したいです」
そういった刹那、潮くんが私の顔をあげ、潮くんの指先が私の涙を拭いた。
潮くんの告白からの、7年後の返事。
「やっとだわ、」
少しからかい気味に言った潮くんに、私は眉を下げた。
「遅くなってごめんなさい…」
「おそすぎる」
「おこ、ってますか?」
「俺が凪に怒ると思う?」
潮くんは笑っている。ずっとずっと私に優しい潮くん。彼の言うとおり、きっと潮くんは私には怒らないだろうなと思っていると、
「次に藤沢と付き合うとか言ったら怒るけど」
突然、そんなことを言われ、言葉に詰まった。
思わず涙が引っ込む。
「え、……那月くん?」
「それも、いつのまに〝那月〟?」
「潮くんに嫌がらせするために下の名前にしろって言われて…」
「あの野郎…」
笑っている顔から、少し不機嫌そうになった潮くんは、「あいつに何もされなかったか?」と聞いてきた。
あまり不機嫌な潮くんを知らない私は、「部屋に行ったぐらいで…」と不安気味に言うと、潮くんがもっと不機嫌な様子になったから少し困惑した。
「部屋の中で何してた?」
「えっと、あの、本当に何も。いつも那月くんがスマホで動画を見てて…。たまに話をするくらいで…。──…あ、でも、最後の日、那月くんが服の中に手を入れてきて…」
「…」
「あ、あの時は、何をされるか分からなかったので、戸惑ったけど、──…他は、何も」
焦りながら、潮くんがこれ以上不機嫌にならないように正直に言うと、潮くんの不機嫌な顔が怖いつきになり、焦る。
「服に手?」
「え、あ、あの、でも、よく分からなくて、彼もすぐにやめてくれて…」
「──」
「…お、怒ってますか、」
「マジであん時、どれだけ嫉妬したと思ってんの。頭おかしくなりそうだった」
「う、うしおく、」
「もう藤沢と喋んのやめて」
「で、でも、那月くんは潮くんのことを大事に思って…」
「凪」
「は、はい」
さっきまで怒っていたのに、また笑い。
何が何だか分からない私は、戸惑ったまま潮くんを見つめたままで。
軽く私はの頬を撫でた潮くんは、そのまま顔を傾け近づいてきた。
潮くんの切れ長の二重の目が、私を見つめてる。
「結婚すんのは俺だからな」
イタズラ気味に笑った潮くん…。
さっきの私の返事かと思った時には、そのまま唇を塞がれていた。
えっと、あの、那月くんの話はどこに…?
軽くふれあい、頬にキスした潮くんが、愛おしそうに私を抱きしめる…。
「ずっと言いたかった」
言いたかった?
何を?
そう思って潮くんを見上げれば、また塞がれるようなキスをされた。
「──愛してる、」
その言葉を、私はこの先、一生忘れることは無かった。