どうしても君に伝えたいことがある
第5章 夏苺
私は体育や音楽、家庭科の授業を除いて、教室で授業を受けるようになっていた。保健は週1回だけど座学しかないから受けてる。家庭科とか音楽は、友達がいない私にとってはきつすぎる。精神的にやられそう。調理実習とか、合唱とか考えるだけで頭が痛くなる。教室で授業を受けるようになったからか、期末テストはいい結果だった。お母さんにも横沢先生にも褒められた。でももっと点数取って、順位が上がればいいなって思う。点数も上がったし、教室で授業を受けてる教科は成績上がるかな。
期末テストも終わって、夏休みが始まった。父は仕事だから、その間私はリビングで過ごしていた。お母さんの料理を手伝ったり、ちょっと手間のかかるケーキを作ったり。そのケーキを食べながら映画見たりなど。お母さんは家にいるので、お母さんと過ごす時間がとても多かった。もちろん、夏休みの課題もコツコツしている。私は遊びに行く相手なんて吉野以外いないから、なかなか予定がない。吉野とも、遊びに行くというほどのことはしたことない。せいぜい公園で会うくらい。だからやることなくてつい課題をやっちゃう。でも早く課題を終わらせたら、小説をいっぱい読めるし。そうなったら図書館に通い詰めようなんて考える。
吉野とも毎日メッセージのやり取りをしたり、父が帰ってくるまでに通話してゲームしてる。吉野は夏休み中、ゲーム三昧で満喫しているらしい。やっていなかったゲームをやったり、やり込み要素をやったりなど忙しいみたい。ゲームの進捗情報が送られてくるけど、私の知らないゲームが多くて何が何だか分からない。ゲームの進捗情報じゃなくて、課題の進捗情報を聞いてみた。すると「達成度10%」と返事が来た。全然やってないみたいだった。でも逆に10%やっていたことに驚いた。
課題が終わるのか心配でしかないから、今度課題を一緒にやろうと思う。「お盆過ぎたくらいに課題一緒にやらない?」と尋ねた。「いいよ、というかぜひお願いします。」って返事が来た。一応危機感は持ってるみたいで安心した。コツコツやってないと終わらない量だから、1日で終わらせるのは無理。まあ私は予定いつでも空いてるし、何回か課題を見ても大丈夫だけど。当の本人にやる気が無さそうだから、無理には誘えない。
お盆になって、おじいちゃんおばあちゃん家にお泊まりすることになった。おじいちゃんたちの家は、車で10分くらいのとこにある。だから普段からよく行ってるけど、お盆は毎年従姉妹たちと過ごすのが恒例。従姉妹は私の家から車で1時間くらいの、同じ県内に住んでいる。従姉妹は3姉妹で、みんな私よりも年上で優しい。1番下の従姉妹のみーちゃんは私よりも1学年上だけど、生まれた年は一緒。年が近いからか昔からずっと仲が良い。
その仲が良い従姉妹にもずっと不登校だったり、別室登校しているということは黙っている。おばあちゃんは私が休んでいる時に家に来ることが何回かあったから、さすがにバレてるけど。おばあちゃんは従姉妹やおじいちゃんにずっと隠し続けてくれている。そして私のことを気にかけて、出かけようとか誘ってくれるいいおばあちゃんだ。
中学の間から従姉妹と出かけたり、泊まったりすることは何回もあった。その時に学校の話題は私からはしないし、従姉妹から聞かれたら適当に嘘をつくって感じだった。従姉妹たちには知られたくないっていう気持ちがある。父や兄たちみたいに、拒絶されたくない。知られてしまったことで、今まで通り対等な関係でいられなくなるのじゃないかと思ってしまう。今までと態度が変わってしまうかもしれない。従姉妹は優しいからそんなことしないかもしれないけど、そうなると怖い。大好きな人たちだから言えないことも、知られたくないこともある。
高校生になってから久しぶりに従姉妹に会う。長女のあやちゃんは県外の大学生で、次女のさきちゃんは県外の専門学生。三女のみーちゃんは私と同じ高校生だけど、頭のいい学校だから忙しいみたい。だから全然会えなかった。すごく嬉しい。
父は夕方まで仕事をしてから、後からおじいちゃんたちの家に来るらしい。だから私とお母さんは先に向かう。兄はバイトで忙しいらしく、今回は帰省しないらしい。会わなくていいから安心。おじいちゃん達やお母さんもお父さんも残念がってたけど。私は喜んじゃった、ごめんなさいと一応心のこもってない謝罪をしておく。おじいちゃんたちの家に行く前に、お墓参りに行く。対向車が通れないほどの狭い道を車で進む。草がいっぱい生えてて、通る度に車の横にあたる。駐車場とも言えない空き地に車を停める。そして私は助手席から降りて、車の後ろの跳ね上げ式のドアを開ける。そしてそこから、お墓参りに必要なものが入った大きめなバッグを取り出す。そしてドアを閉めて、『宮崎家』と彫られたお墓の手前にバッグを置いた。宮崎とはお母さんの旧姓だ。
私とお母さんはお墓を綺麗にしたり、花立を洗ってお水を入れて、買ってきたしきびを入れたりなどする。ひと通りの掃除が終わると、お線香に火をつけて、香炉に立てる。そして手を合わせて般若心経を唱える。このお墓の中にはお母さん側のご先祖の方、そしてお母さんの弟の翔くんがいる。翔くんは私が小さい頃に事故で亡くなったそう。私は翔くんとの思い出をあまり覚えていないけど、写真を見るとすごく私を可愛がってくれていたのが分かる。
私は中学の時に、お母さんに『死にたい』と言ったことがあった。その時お母さんはすごく悲しそうな顔をした。今思うとその時の私は、死にたいというより消えてなくなりたいという感情に近かったのかもしれない。今の状況から逃げ出したくて、ただ楽になりたいって思ってた。でもその口から出た『死にたい』という言葉は私の本心で、大袈裟なことでもなんでもなかった。私はその時までよく翔くんのことを分かってなかった。お母さんたちに聞くこともなかった。私がそう言ったことで、お母さんは翔くんのことを話してくれた。翔くんの話をするお母さんの表情や声のトーンが忘れられなくて、それからお母さんの前で私が死にたいと言うことはなくなった。
お墓参りを済ませて、おじいちゃんたちの家に車を走らせた。おじいちゃん家はもう古いけど、なんか安心する。おじいちゃんたちの家に着くと、従姉妹家族はもう着いていた。家に入ってすぐに畳の部屋にあるお仏壇にお供えをする。ろうそくに火をつけて、そこに線香をつける。そして線香を立てて、手を合わせる。必ずおじいちゃん家に来るとすることだ。従姉妹の家族と、おじいちゃんおばあちゃんみんなで般若心経を唱える。
それが終わると、従姉妹たちと温泉に入ったり、スーパーにお菓子を買いに行ったりした。スーパーはお盆だからか、すごく混んでいた。そして夕方になって、父も交えてみんなで近くの回転寿司に晩ごはんを食べに行った。おじいちゃん家は道路に沿った場所にあるから、道路を挟んで真正面に回転寿司屋さんがある。おじいちゃん家に行くと必ずと言っていいほど、ここのお寿司屋さんに行く。
人数が多いので、お寿司屋さんのボックス席2つに分かれて座る。1つはおじいちゃんと私の父とお母さん、伯父さんと伯母さんという大人たちの席。もう1つは、私と従姉妹、おばあちゃんで座る。父と一緒の席じゃなくて安心した。ご飯を食べている時、おばあちゃんと従姉妹とたくさん話した。
ご飯を食べ終わっておじいちゃん家に帰ると、みーちゃんと私は夏休みの課題を始めた。畳の部屋にローテーブルを置いて、そこに座布団を敷いて課題を机に出す。その姿を見て、あやちゃんとさきちゃんが課題を見てくれると言ってくれた。あやちゃんは文系、さきちゃんは理系だから全部といっていいほど教えてくれる。時々ふざけ合ったりして、すごく楽しい。
「そろそろ休憩しよっか。」と長女のあやちゃんが立ちながら言った。その言葉をきっかけにみんな座布団の上から立った。私は足が痺れて、ちょっと時間をかけて立った。みんなはキッチンにいて、冷蔵庫の中からアイスを選んでいた。今日スーパーで買った箱アイスは、味が3種類ほどあるからみんな何にするか悩んでいる。「チョコ食べたいけど、キャラメルもいいよね。」とみーちゃんが言う。それに対してさきちゃんは「チョコ一択。」と言って、箱からチョコレート味のアイスを取り出していた。私も悩みながら無難にバニラアイスを取った。
悩んでいるあやちゃんとみーちゃんを残して、私たちは先にリビングへと向かった。そしてリビングでアイスを食べ始めた。リビングには大人組がみんないて、おじいちゃんや父、伯父さんと伯母さんは、お酒を呑んだり、おつまみを食べていた。お母さんとおばあちゃんはお酒がそんなに強くないから、2人で1つの缶チューハイを分け合っている。父たちはかなり呑んでいるようで、いつもより声が大きくテンションが高かった。
あやちゃんとみーちゃんもリビングに来ると、いい具合に酔ったおじいちゃんが「じいちゃんは、もう寝る。」と言って、リビングから出ていった。まだそんな寝る時間でもないんだけどね。おじいちゃんがいなくなると、父と伯父さんちょっとホッとしたような感じだった。従姉妹は、お母さんのお姉ちゃんの子供だから、ここは伯父さんの実家ではない。結婚してかなり経つけど、義理のお父さんにはやっぱり気を遣ったりするものらしい。
おじいちゃんがいなくなって、先程より父はテンションが上がっているようだった。みーちゃんに「みーちゃん、高校どう?」とウザ絡みのように尋ねた。みーちゃんは静かに「普通。」と答えたけど、声が小さくて聞こえなかったみたい。何度か父はみーちゃんに尋ねていた。みーちゃんは困っている顔してるのに、やめてほしいと思いながらわたしはその様子を冷ややかな目で見ていた。
するとその視線に父が気づき「父親に向かってそんな目つきするんじゃない!」と怒鳴った。従姉妹やお母さんたち、そこにいたみんなビクッと肩が上がり、驚いていた。叔母さんが「そんな大きな声出さなくても、ねぇ。」と父を宥めたが、その言葉は父の耳には届いてない。もしくは無視したのか、続けて大きな声で言い始めた。
「みーちゃんは学校行ってて偉いねぇ!うちの渚は中学の時から学校行ってないからさ。高校では別室登校してるからだとか、甘えてんじゃねえよ。恥晒しなんだよ、こいつは。」
従姉妹の前では言ってほしくなかった、文句があるなら自分だけに言ってほしい。
従姉妹の反応が怖くて、私はリビングから勢いよく出ていった。いつもなら自分の部屋に行って鍵をかければ済むけど、ここはおじいちゃん家。自分の部屋もないし、鍵のかかる部屋なんてトイレしかない。そう考えてトイレに入って鍵を閉めた。従姉妹が私の名前を呼びながら探していた。でも今は会いたくない、どう思われてるのか怖い。そして私がトイレにいるということが分かって、従兄弟がトイレのドアをノックする。
「渚、出ておいで。大丈夫だから。伯父さんには、パパとママが怒ってるから。」とさきちゃんの声が聞こえた。父と伯父さんは高校の同級生で、2人は友達だ。伯父さんは物静かであんまり喋ったり、怒ったりするイメージはない。伯母さん、つまりお母さんのお姉ちゃんはお母さんと違って、結構ハッキリモノを言う人だ。
これ以上トイレにいても意味がないので、ゆっくりと鍵を開けて廊下に出た。従姉妹はみんな泣いていた。そして泣きながらも、私を先程勉強していた畳の部屋へ連れて行ってくれた。そこまで行くには、リビングの隣を通るが、伯母さんの大きな声が聞こえた。そして畳の部屋に着いたけど、そこはリビングと隣なので、伯母さんや父、おばあちゃんたちが言い合っている声が聞こえた。
その声を聞いて私は涙が出そうになる。従姉妹は更に泣いていた。そしてみーちゃんは私をハグして「私も中学生の時学校行ってなかったの。隠しておきたい気持ちも、しんどいのも分かるから。」と言ってくれた。みーちゃんも伯父さんと似て静かで穏やかな性格をしているから、泣きながらこんなこと言ってくれるのはちょっと人気だった。その言葉を聞いて私は涙を堪えきれずに、泣いてしまっな。その姿を見て、あやちゃんとさきちゃんも私を抱きしめて、みんなでくっついているような形になった。2人は私の背中をトントンと叩いてくれたり、頭を撫でたりしてくれた。
それにちょっと私は元気が出て、「ちょっと苦しいよ。」と笑いながら言った。それでも3人は私を抱きしめながら泣いていた。みんな私の為に泣いてくれてるんだと思って嬉しかった。全然嫌われてなんかない、対等な関係でいてくれると安心した。リビングからは伯父さんの大きな声が聞こえた。
「子供が頑張ってるのに、なんで恥ずかしいとか言えるんだ。学校に行ってないことがそんなに悪いことか?子供に無理に行かせる方がおかしい。」と。初めて伯父さんの大きな声を聞いた。伯父さんとは血が繋がってないのに、ここまで言ってくれるなんて思ってもみなかった。
父は伯父さんの言葉を聞いて黙った。それから父はすぐに客間に行って、寝たみたいだった。ただ単にうるさいと思って黙ったのか、伯父さんの言葉が響いたのか私達には分からなかった。私も従姉妹もなんだかスッキリしないと思っていると、おばあちゃんがカラオケにでも今から行こうと誘ってくれた。それでさきちゃんが
「よし!ストレス発散しに行こ。渚のこと悪く言われて私らもめっちゃ怒ってるから。このままじゃ寝られないし、いっぱい叫んでこよ!」
と元気よく言ってくれた。さきちゃんはハッキリとモノを言うので時々怖いときもあるけど、すごく頼りになるお姉ちゃんだ。それにみんなで賛成して、おばあちゃんと私と従姉妹で遅くまでカラオケにいた。
次の日になり、父と顔を合わせたくないため畳の部屋で朝ごはんやお昼ご飯を従姉妹と食べた。従姉妹も、顔合わせなくていいよ、と言ってくれて付き合ってくれた。私よりも父に怒ってそうだ。あやちゃんは
「もし夏休み中家に居にくかったら、私たちの家泊まってていいからね。まあ私もさきちゃんも、バイトがあるからすぐ帰っちゃうんだけど。」
と言ってくれた。この言葉だけですごく嬉しかった。
おばあちゃんも、いつでもここに泊まりに来てくれていいって言ってくれたし。私には逃げる場所がたくさんある。その言葉と気持ちだけで十分だった。みんなに「ありがとう。」と言って、おじいちゃん家で解散した。父はもう1台の車で来ていたため、父とは別々で帰った。
家に帰ってすぐ自分の部屋の、ベッドの上でゴロゴロしていた。するとノックする音と一緒に「入ってもいい?」というお母さんの声が聞こえた。「どーぞー。」と私は適当に返事をする。ドアが開き、お母さんが入ってきて私がいるベッドに座った。「お父さんがね、私たちの分もケーキ買ってきてくれたんだって。一緒に食べない?」とお母さんは嬉しそうに言った。
父は小さい頃から、何かあるごとにケーキを買ってきてくれていた。父の給料日とか、何でもない金曜日にとか。父の気分によって買ってきていたから、規則性があったわけじゃないけど。そのワクワク感が好きで、小さい頃はよく玄関まで父を迎えに行ってたな。そしてよくあったのは、お母さんと喧嘩した時にケーキを買ってきていた。父は素直に謝るのが苦手らしい。ケーキを買ってくるということが、父にとっては謝るということだとお母さんが教えてくれた。最初はお母さんの分だけだったけど、それを私と兄が見て羨ましそうに見て、次から私たちの分も買ってきてくれるようになったのかな。
誕生日とかクリスマスに食べるケーキとは、父が買って来てくれるケーキは違った意味で特別だ。だから父がケーキを買ってきてくれたこと、一緒に食べようと言ってくれたことがすごく嬉しい。それは、父は謝っているということだから。私も正面から謝られるのはなんだか気まずいし、恥ずかしいから丁度いいのかもしれない。「うん、一緒に食べる。すぐ降りるね。」とお母さんに笑顔で言った。「分かった、じゃあ待ってるね。」とお母さんは言って、1階に降りて行った。
お母さんを追いかけて、1階のリビングへと降りる。ドアノブに手をかけたところで、少し躊躇してしまう。なんというかお母さんに私を呼んでくるように頼んでるのも、父らしいといえば父らしいんだけど。父から直接一緒に食べようと言ってくれるものなら、リビングに入りやすいんだけどな。こんなことをぐだぐだ考えても時間が経つだけだから、手に力を入れてドアを引く。そして何事もないように自分のいつもの席に座った。
私の左前の席に父、左隣の席にお母さんが座っていた。そしてテーブルの真ん中には、数年前近所にできた美味しいケーキ屋さんのロゴが入った箱が置いてあった。テレビには、よく一緒に見ていたバラエティ番組が流れている。その音があるから、多少は気まずくない。お母さんが私と父の気まずさに気づいて「じゃあ、ケーキ選ぼっか。」と元気よく言って、ケーキの箱を開けだした。「じゃじゃーん。」というセルフ効果音付きで、ケーキの箱が開いた。私は昔からの癖で、どんなケーキが中に入ってるのかと気になって、ついつい箱の中を前のめりに覗き込んでしまった。
その姿を見て、父はフッと笑った。笑っているのが見られているのが嫌なのか、すぐに真顔になった。そんなことしてても多分、私にもお母さんにもバレてるだろうから意味ないのに。私が父の前で笑うのが恥ずかしいのと同じように、父も私の前で笑うのがなんか恥ずかしいんだろうな。ここ数年ちゃんと顔見て話したりしてないし、恥ずかしいに決まってる。お母さんがいなかったら、どれだけの恥ずかしさと気まずさがあるのか考えただけでも頭が痛くなる。
ケーキの箱の中身は、いちごタルト、モンブラン、チーズケーキだった。私はチョコレートが苦手だから、チョコケーキがないのを覚えてくれていたのかな。と都合よく考えてしまう。どれも好きだから悩む。優柔不断だから、物事を自分で決めるのは苦手だ。よく飲食店でも何を頼むか悩んでしまう。まあこういう時は残ったものを貰えばいっか。どれになっても絶対美味しいし。そう思っていると、父が「渚が1番最初に選びなさい。」といつもの厳しそうな声で言った。内容だけ聞くと優しいのに、声は厳しくてまるで私に命令しているみたい。ちぐはぐでなんか面白い。
悩むけどあんまり時間かけたらいけないしと思って、いちごタルトを取った。それをお母さんが用意してくれていた可愛いケーキ用のお皿に乗せる。父はチーズケーキ、お母さんはモンブランを取ってお皿に乗せた。私とお母さんは紅茶を飲みながら、ケーキを食べることにした。みんなそれぞれ手を合わせ『いただきます。』と言って、ケーキを食べようとした。その時に父が「渚、ひと口取って食べなさい。」とテレビの方を見ながら、ケーキの乗ったお皿を私の方に差し出してきた。不器用ってこういうこと言うんだなって思った。
「じゃあひと口貰うね。」と言って、チーズケーキにフォークを刺して、ひと口分取った。それを口に運ぶと美味しくて、思わず笑みが溢れた。父は相変わらずテレビの方を見ていて、こっちを見向きもしなかった。すると横から手が伸びてきて「じゃあお母さんもひと口もらおー。」と言って、チーズケーキを食べた。父はそれには反応して「いや、今のは渚に言っただけで。ひと口大きすぎないか。」とつっこんでいた。いつの間にか私も父もお母さんも笑っていた。でもそれが恥ずかしくて、父も私もすぐに笑うのをやめた。
気まずくてお母さんが淹れてくれた紅茶を飲もうと思ったけど、熱すぎて全然飲めなかった。お母さんも同じらしい。「そうだ、お母さん見たいものあって、見てもいい?」と何か思いついたような口振りで言った。「ダメって言ってもどうせ見るでしょ。」と私は言ったけど、お母さんはもう何かを見る準備を始めていた。お母さんの手にはDVDがあって、それをプレイヤーの中に入れていた。そしてテレビのリモコンで入力切り替えをすると、古い映像がテレビに映った。
お母さんはリモコンを持って、私の席の隣に戻ってきた。そこには誕生日ケーキと幼い頃の私と兄が映っていた。昔の映像だから画質が荒く、音質も悪い。私と兄は誕生日が近く、いつも誕生日ケーキやお祝い事も一緒だった。この映像は、誕生日ケーキに刺さっているろうそくの火と、そのケーキの後ろに私と兄が仲良さそうに映っている。電気は真っ暗で、兄がろうそくの火を消すのを楽しみにしている様子が分かる。映像の中のお母さんが「フーしていいよ。」と私たちに言うと、真っ先に兄がろうそくの火を全部消してしまった。すると幼い私は兄を叩いて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。すると父がまたろうそくに火をつけてくれて、「次は渚の番だからな。透はもう消したから我慢しような。」と優しい声で兄に言っていた。父の顔は映ってないものの、すごく優しい顔をしているんだろうなということが分かった。
それがすごく嬉しくて、でもなんだか照れ臭くてケーキを頬張った。涙が出ているからか、ケーキは甘い味としょっぱい味が混ざって、変な感じだった。ここ数年は父といい思い出なんかなかった。全部悪いことばっかりだし、思い出したくなかった。でもこの映像を見て、小さい頃の楽しかった思い出をたくさん思い出した。父はいつも私を甘やかしてくれた。深い愛情をたくさん貰っていた。父は学校に行かない私のことを、恥ずかしいと思っていたのには間違いない。でもそこには愛情が隠れていたと思いたい。父は素直じゃないし不器用だから、学校に行かない私の将来のことを気にしていたのかもしれない。ああいう言い方しかできなかったのかもしれない。
「お父さん、ケーキありがと。」と震えた声で私は言った。「ああ、また一緒に食べような。」とお父さんは私の方を向いて、優しい声で言った。隣から鼻をすする音が聞こえて、お母さんを見ると私とお父さんを愛おしそうな顔で見ていた。「お母さん泣いてるじゃん」と私は笑いながら言った。「何言ってんの、渚もお父さんも泣いてるでしょ。」と私たちをからかうように言った。みんなで泣きながら笑った。そんな中で、ホームビデオの中の私たちはずっといい笑顔をしていた。誕生日やお盆、家族旅行。私が覚えていない楽しい思い出がたくさんあった。怒ったり、泣いたり、笑ったりしてて目まぐるしく変わっていく表情を見るのが面白かった。
そのあともみんなでホームビデオを見ながら、ゆっくりゆっくりとケーキをひと口ずつ味わって食べた。甘くてしょっぱいケーキ。みんなで分け合ったケーキ。今日みんなで食べたケーキの味は、絶対私は忘れない。