愛憎を込めて毒を撃つ
第三話
◆翌日の土曜日(六月中旬)
〇街中(夕方)
和寿は休日出勤。
里乃はひとりで家にいると息が詰まりそうで、大型複合商業施設がある街へ。
そこは、和寿が通勤時に乗り換えで使う駅でもあった。
和寿からは『同僚と飲んでくるから夕飯はいらない』と言われており、里乃は自分も外食で済まそうと考えるが、食べたいものが浮かばない。
暗い顔で帰路に就こうとするが、たまたまファーストフード店『スリースターバーガー』の看板が目に入り、学生時代によく潤と行ったお店だったこともあって、なんとなく足が向かう。
注文してテーブルへ。
里乃(ハンバーガーなんて久しぶりに食べる……。和寿はこういうのは嫌いだから、和寿と付き合ってから私もあんまり食べなくなったんだよね)
周囲には家族連れもいたが、高校生らしき女子グループやカップルが多く、里乃は楽しそうに笑っている若い子たちを見て目を細める。
里乃(私もあの頃は毎日くだらないことで笑って楽しかったな……。潤とはたまに喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして……いつもこのシェイクを奢ってくれたっけ)
里乃は、メニューを見て懐かしくなって頼んでしまったストロベリーシェイクを飲むが、あの頃よりもずっと甘く感じてしまい、どこか切なくなる。
里乃(毎日飲みたいくらい好きだったのに、味覚まで変わっちゃった……。そういえば、潤はいつも『俺はそんな甘いのはいい。コーラ一択』って言ってたなぁ)
潤「……里乃?」
里乃が苦笑を零したとき、名前を呼ばれて顔を上げると潤が立っていた。
目を丸めて驚くふたり。
里乃「どうしてここに……?」
潤「うち、この近くなんだ。里乃こそ、どうして?」
里乃「私は買い物でもしようと思って、昼からそこのショッピングモールに……」
潤「それにしてはなにも買ってないみたいだけど」
里乃(だって、別に欲しいものなんてなかったし……。私が今一番欲しいのは赤ちゃんで……って、こんなときまでなに考えてるの!)
潤「ここ、いいか?」
里乃「え?」
潤「この間はゆっくり話せなかったからさ」
里乃「う、うん……」
潤が里乃の前の席に座る。
里乃は、潤のことを考えていたばかりということもあってなんとなく落ち着かないが、潤は至って普通の様子だった。
潤「里乃は、相変わらずてりやきバーガーか。そっちはもしかしてストロベリーシェイク?」
里乃「う、うん」
潤「昔と同じかよ。味覚、進歩してないんじゃない?」
里乃「……潤だって、昔と一緒でダブルバーガーセットじゃない。ドリンクだって、どうせコーラなんでしょ?」
潤「残念でした。俺のはアイスコーヒーです」
里乃「そうなんだ……」
潤「それに、あの頃はポテトはLサイズだったけど、今はMサイズだし。さすがにもう昔みたいには食えないよなー」
里乃「もうミドサーだもんね」
潤「ミドサーか。そりゃ、ポテトもMサイズになるか。でも、あんなに昔のこと、よく覚えてたな」
里乃「潤だって」
潤「里乃と何回食べたと思ってるんだよ。デートの半分くらいはスリバ(※スリースターバーガーの愛称)だっただろ」
里乃「お互い、お金もなかったしね」
潤「高校から付き合って、大学二年で別れるまで、わりとずっとな。バイトも頑張ってたんだけど」
里乃「デートの日以外は、ほとんどバイト漬けだったよね」
潤「それなのに、記念日と誕生日くらいしかいい店に連れて行ってあげられなかったな……」
里乃「でも、すごく楽しい思い出ばかりだよ」
潤「そうだな……」
里乃が笑顔を見せると、潤も優しい眼差しを返す。
ふたりは当時のことを振り返って懐かしさと切なさに包まれるが、それ以降はあまりお互いのことには触れず、先日の同窓会での話になる。
潤は友人たちと三次会まで繰り出したが、里乃は和寿に気を遣って一次会だけで帰宅したため、ふたりは同窓会の最初に話したきり会話をすることはなかった。
そのせいか、会話がやけに盛り上がる。
潤「そうだ。連絡先を交換しないか」
里乃「え?」
潤「あの日、何人かと交換したんだけど、里乃は一次会で帰ったから訊くタイミングがなかったんだよな」
里乃「でも……」
潤「別に連絡先くらい交換したっていいだろ? もうただの友達なんだし」
里乃「……うん、そうだね」
メッセージアプリのアカウントを交換するふたり。
里乃は〝ただの友達〟という言葉に寂しさを感じつつも、それだけの月日が経ったことを実感し、あの頃の思い出に浸ってばかりいても仕方がないと思い知る。
里乃(もし、あのまま潤と付き合ってたら、私たちは結婚してたのかな……。そしたら、今頃は潤と私の子どもとハンバーガーを食べたり……)
そんなことを考えた自分にハッとし、里乃は罪悪感に駆られる。
一方、ハンバーガーセットを食べ終えた潤は、スマホを確認して顔色を変える。
潤のスマホには、麗佳のスマホの位置情報が表示されていた。
里乃「……潤? どうかしたの?」
潤「……」
里乃「潤?」
潤「えっ? あ、いや……」
潤は何事もなかったように笑うが、程なくして真剣な表情になる。
里乃と潤の周囲だけ静かになった気がした直後、潤が意を決したような顔をする。
潤「なぁ、里乃。里乃は今、幸せか?」
里乃「え……?」
里乃(幸せかどうかなんて……急にどうして?)
潤「正直に答えてくれ」
里乃(和寿とはレスだし、上手くいってないこともあるけど……。デートもするし、仕事はちゃんとしてくれて、家だって新築で買ってくれて生活に困るようなこともない。私のパートのお給料だって、自由にさせてくれてる。私は幸せ者だよね……)
妊活どころかレスで、子どもが好きで保育士になったにもかかわらず、自分の子どもを望めるのかもわからない。
しかし、みんな口にしないだけで、大なり小なりつらいことを抱えているはず。
和寿は、家事こそあまりしないものの多忙のため仕方がないことだし、休日に家にいれば買い出しに付き合ってくれたり、ふたりで外食や映画館などに出掛けることもあり、決して仲が悪いわけではない。
子どもの話題になると不機嫌になるものの、世間から見れば働き者でエリートのいい夫なのだ。
里乃は、自分に言い聞かせるようにそんな答えを出し、笑みを浮かべる。
里乃「うん、幸せだよ」
潤「……」
里乃(私は幸せなんだ……。子どもがいなくてもレスでも、和寿のことは愛してるし……和寿だって、子どもの話をしたとき以外は優しいもんね)
潤「そんな顔で幸せって言われてもな……」
里乃「え?」
潤の声が聞こえずに首を傾げた里乃を余所に、潤は黙ってふたりが食べたあとのトレーなどを片付けに行く。
潤の突然の行動に驚く里乃の前に、すぐに潤が戻ってくる。
すると、潤は里乃の手を引っ張った。
里乃「ちょっ……! 潤、いきなりどうしたの?」
潤「いいから一緒に来て」
里乃「一緒にって……どこに行くの?」
潤「行けばわかるよ」
潤はどんどん歩いていき、里乃は引っ張られるがままついていくしかない。
気づけばホテル街に入ってしまい、里乃は動揺するが、潤は足を止める気はなく、あるホテルの前を通過してすぐに路地に入った。
里乃「潤……! 急になんなの?」
潤「里乃が本当に幸せそうなら、言わない方がいいと思ってた。でも……」
里乃「……潤?」
潤「あんな泣きそうな顔して『幸せ』なんて嘘つくくらいなら、ちゃんと現実を知るべきだ……」
里乃「え……?」
潤の言葉の真意がわからずに動揺していると、潤が突然抱きしめてくる。
里乃「ちょっと、潤……!」
潤「しっ! 黙って」
里乃「っ……」
潤「里乃……ここから少しだけ顔を出して、向かいのホテルを見てて」
里乃の頭を抱え込むようにした潤に、里乃は目を真ん丸にするが、潤は苦しそうに告げる。
わけもわからないまま顔を上げて言われた通りにすると、里乃は視界に飛び込んできた光景に絶句した。
そこには、和寿と知らない女性の姿。
自分の目を疑うような光景だったが、どう見ても自分の夫の腕に女性が腕を絡めていることは間違いない。
そして、ふたりはホテルに入っていき、里乃は真っ青になった顔で力なく座り込む。
里乃「……っ、どう、いうこと……なんで……こんな……」
潤「あのふたりは不倫してるんだ……」
潤は、動揺に塗れた様子の里乃の前にしゃがむと、静かにそう言った。
〇街中(夕方)
和寿は休日出勤。
里乃はひとりで家にいると息が詰まりそうで、大型複合商業施設がある街へ。
そこは、和寿が通勤時に乗り換えで使う駅でもあった。
和寿からは『同僚と飲んでくるから夕飯はいらない』と言われており、里乃は自分も外食で済まそうと考えるが、食べたいものが浮かばない。
暗い顔で帰路に就こうとするが、たまたまファーストフード店『スリースターバーガー』の看板が目に入り、学生時代によく潤と行ったお店だったこともあって、なんとなく足が向かう。
注文してテーブルへ。
里乃(ハンバーガーなんて久しぶりに食べる……。和寿はこういうのは嫌いだから、和寿と付き合ってから私もあんまり食べなくなったんだよね)
周囲には家族連れもいたが、高校生らしき女子グループやカップルが多く、里乃は楽しそうに笑っている若い子たちを見て目を細める。
里乃(私もあの頃は毎日くだらないことで笑って楽しかったな……。潤とはたまに喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして……いつもこのシェイクを奢ってくれたっけ)
里乃は、メニューを見て懐かしくなって頼んでしまったストロベリーシェイクを飲むが、あの頃よりもずっと甘く感じてしまい、どこか切なくなる。
里乃(毎日飲みたいくらい好きだったのに、味覚まで変わっちゃった……。そういえば、潤はいつも『俺はそんな甘いのはいい。コーラ一択』って言ってたなぁ)
潤「……里乃?」
里乃が苦笑を零したとき、名前を呼ばれて顔を上げると潤が立っていた。
目を丸めて驚くふたり。
里乃「どうしてここに……?」
潤「うち、この近くなんだ。里乃こそ、どうして?」
里乃「私は買い物でもしようと思って、昼からそこのショッピングモールに……」
潤「それにしてはなにも買ってないみたいだけど」
里乃(だって、別に欲しいものなんてなかったし……。私が今一番欲しいのは赤ちゃんで……って、こんなときまでなに考えてるの!)
潤「ここ、いいか?」
里乃「え?」
潤「この間はゆっくり話せなかったからさ」
里乃「う、うん……」
潤が里乃の前の席に座る。
里乃は、潤のことを考えていたばかりということもあってなんとなく落ち着かないが、潤は至って普通の様子だった。
潤「里乃は、相変わらずてりやきバーガーか。そっちはもしかしてストロベリーシェイク?」
里乃「う、うん」
潤「昔と同じかよ。味覚、進歩してないんじゃない?」
里乃「……潤だって、昔と一緒でダブルバーガーセットじゃない。ドリンクだって、どうせコーラなんでしょ?」
潤「残念でした。俺のはアイスコーヒーです」
里乃「そうなんだ……」
潤「それに、あの頃はポテトはLサイズだったけど、今はMサイズだし。さすがにもう昔みたいには食えないよなー」
里乃「もうミドサーだもんね」
潤「ミドサーか。そりゃ、ポテトもMサイズになるか。でも、あんなに昔のこと、よく覚えてたな」
里乃「潤だって」
潤「里乃と何回食べたと思ってるんだよ。デートの半分くらいはスリバ(※スリースターバーガーの愛称)だっただろ」
里乃「お互い、お金もなかったしね」
潤「高校から付き合って、大学二年で別れるまで、わりとずっとな。バイトも頑張ってたんだけど」
里乃「デートの日以外は、ほとんどバイト漬けだったよね」
潤「それなのに、記念日と誕生日くらいしかいい店に連れて行ってあげられなかったな……」
里乃「でも、すごく楽しい思い出ばかりだよ」
潤「そうだな……」
里乃が笑顔を見せると、潤も優しい眼差しを返す。
ふたりは当時のことを振り返って懐かしさと切なさに包まれるが、それ以降はあまりお互いのことには触れず、先日の同窓会での話になる。
潤は友人たちと三次会まで繰り出したが、里乃は和寿に気を遣って一次会だけで帰宅したため、ふたりは同窓会の最初に話したきり会話をすることはなかった。
そのせいか、会話がやけに盛り上がる。
潤「そうだ。連絡先を交換しないか」
里乃「え?」
潤「あの日、何人かと交換したんだけど、里乃は一次会で帰ったから訊くタイミングがなかったんだよな」
里乃「でも……」
潤「別に連絡先くらい交換したっていいだろ? もうただの友達なんだし」
里乃「……うん、そうだね」
メッセージアプリのアカウントを交換するふたり。
里乃は〝ただの友達〟という言葉に寂しさを感じつつも、それだけの月日が経ったことを実感し、あの頃の思い出に浸ってばかりいても仕方がないと思い知る。
里乃(もし、あのまま潤と付き合ってたら、私たちは結婚してたのかな……。そしたら、今頃は潤と私の子どもとハンバーガーを食べたり……)
そんなことを考えた自分にハッとし、里乃は罪悪感に駆られる。
一方、ハンバーガーセットを食べ終えた潤は、スマホを確認して顔色を変える。
潤のスマホには、麗佳のスマホの位置情報が表示されていた。
里乃「……潤? どうかしたの?」
潤「……」
里乃「潤?」
潤「えっ? あ、いや……」
潤は何事もなかったように笑うが、程なくして真剣な表情になる。
里乃と潤の周囲だけ静かになった気がした直後、潤が意を決したような顔をする。
潤「なぁ、里乃。里乃は今、幸せか?」
里乃「え……?」
里乃(幸せかどうかなんて……急にどうして?)
潤「正直に答えてくれ」
里乃(和寿とはレスだし、上手くいってないこともあるけど……。デートもするし、仕事はちゃんとしてくれて、家だって新築で買ってくれて生活に困るようなこともない。私のパートのお給料だって、自由にさせてくれてる。私は幸せ者だよね……)
妊活どころかレスで、子どもが好きで保育士になったにもかかわらず、自分の子どもを望めるのかもわからない。
しかし、みんな口にしないだけで、大なり小なりつらいことを抱えているはず。
和寿は、家事こそあまりしないものの多忙のため仕方がないことだし、休日に家にいれば買い出しに付き合ってくれたり、ふたりで外食や映画館などに出掛けることもあり、決して仲が悪いわけではない。
子どもの話題になると不機嫌になるものの、世間から見れば働き者でエリートのいい夫なのだ。
里乃は、自分に言い聞かせるようにそんな答えを出し、笑みを浮かべる。
里乃「うん、幸せだよ」
潤「……」
里乃(私は幸せなんだ……。子どもがいなくてもレスでも、和寿のことは愛してるし……和寿だって、子どもの話をしたとき以外は優しいもんね)
潤「そんな顔で幸せって言われてもな……」
里乃「え?」
潤の声が聞こえずに首を傾げた里乃を余所に、潤は黙ってふたりが食べたあとのトレーなどを片付けに行く。
潤の突然の行動に驚く里乃の前に、すぐに潤が戻ってくる。
すると、潤は里乃の手を引っ張った。
里乃「ちょっ……! 潤、いきなりどうしたの?」
潤「いいから一緒に来て」
里乃「一緒にって……どこに行くの?」
潤「行けばわかるよ」
潤はどんどん歩いていき、里乃は引っ張られるがままついていくしかない。
気づけばホテル街に入ってしまい、里乃は動揺するが、潤は足を止める気はなく、あるホテルの前を通過してすぐに路地に入った。
里乃「潤……! 急になんなの?」
潤「里乃が本当に幸せそうなら、言わない方がいいと思ってた。でも……」
里乃「……潤?」
潤「あんな泣きそうな顔して『幸せ』なんて嘘つくくらいなら、ちゃんと現実を知るべきだ……」
里乃「え……?」
潤の言葉の真意がわからずに動揺していると、潤が突然抱きしめてくる。
里乃「ちょっと、潤……!」
潤「しっ! 黙って」
里乃「っ……」
潤「里乃……ここから少しだけ顔を出して、向かいのホテルを見てて」
里乃の頭を抱え込むようにした潤に、里乃は目を真ん丸にするが、潤は苦しそうに告げる。
わけもわからないまま顔を上げて言われた通りにすると、里乃は視界に飛び込んできた光景に絶句した。
そこには、和寿と知らない女性の姿。
自分の目を疑うような光景だったが、どう見ても自分の夫の腕に女性が腕を絡めていることは間違いない。
そして、ふたりはホテルに入っていき、里乃は真っ青になった顔で力なく座り込む。
里乃「……っ、どう、いうこと……なんで……こんな……」
潤「あのふたりは不倫してるんだ……」
潤は、動揺に塗れた様子の里乃の前にしゃがむと、静かにそう言った。