愛憎を込めて毒を撃つ
第五話
◆二日後の金曜日(六月末)
〇新村家と氷室家の中間地点にあるカラオケボックスの一室(夜)
カラオケルームのソファに座っている里乃。
ドアがノックされ、潤が入ってきて向かい側に座る。
ウーロン茶が入ったグラスがふたつ置いてある。
潤「遅くなってごめん……」
里乃「ううん」
潤「こんな時間に出てきて家の方は大丈夫だった?」
里乃「……今日は遅くなるんだって。『夕飯はいらない』って言われた日は、どんなに早くても十時以降にしか帰ってこないから」
潤「……そうか」
里乃「もしかして潤の奥さんも遅いの?」
潤「『友達と飲みに行く』とは聞いてる」
里乃(……きっと、潤はそれが嘘だと思ってるんだ)
潤がため息をついたことによって、里乃はそう思い至る。
潤「連絡くれないと思ってた」
里乃(あのときは連絡するつもりはなかったよ)
潤「この間はいきなりつらい光景を見せてごめん」
里乃(潤……。そういえば、潤はいつも優しかった。喧嘩をしたり意見が分かれても、だいたいは潤が先に歩み寄ってくれたな……)
里乃「正直……あのときは、どうしてあんなことされなきゃいけないんだろうって潤に対して怒りもあった……。でも、潤もされてるってことだよね……不倫」
潤「ああ……」
里乃「……潤が知ってること、全部話してほしい」
潤「いいのか? あんなことしておいて今さらかもしれないけど、全部知ったらもっとつらくなるぞ」
里乃(それは……潤も今すごくつらいからってことだよね……)
里乃は一瞬だけためらったが、息を小さく吐いて意を決した顔で頷く。
≪回想(潤)≫
◆約一年前(昨年の六月)
〇氷室家のリビング
麗佳「ねぇ、潤。私、アパートを借りたいんだけど」
潤「え? どうして?」
麗佳「最近注文をたくさんもらえるようになったし、もう少し広いスペースで作業したいんだよね。道具とかパーツも増えて、今使ってる作業机だけだと手狭になってきたし、一度ちゃんとアトリエみたいな場所でやってみたいなって」
潤「そうか」
麗佳「やっぱりダメ? 家でできないわけじゃないけど、オンオフを切り替えるのにもよさそうだし……」
潤「ダメじゃないよ。そういう理由ならやってみればいいと思う」
麗佳「本当?」
潤「うん。俺も麗佳の作るアクセサリーが売れるのは嬉しいし、なによりも麗佳がやってみたいと思ってるなら、反対する理由もないよ」
麗佳「ありがとう、潤!」
潤「でも、無理はしないで。アパートは俺も一緒に探すし、なにかあればすぐに相談して」
麗佳は笑顔で頷き、潤にキスをする。
その後、麗佳と潤はアトリエになりそうな部屋を探し、自宅から程近いワンルームのアパートを借りる。
◆十か月前(昨年の八月)
〇氷室家の寝室(夜)
麗佳がアトリエを借りてから一か月ほどが経った頃。
ベッドで裸で寄り添い合う潤と麗佳は、仲睦まじい雰囲気だった。
麗佳「私、しばらく帰りが遅くなりそうなの。最近、一気にオーダーを受けたんだけど、ちょっと煮詰まってて。でも、納期には間に合わせたいから、アトリエの方で作業に没頭したいなって。家だとリラックスしすぎて気が散りやすいから」
潤「そうか。……うん、そういうことなら仕方ないし、気にしなくていいよ」
麗佳「あ、でも遅くなる日のご飯とか……」
潤「そんなこと心配しなくていい。ご飯くらい自分でどうにかするし、俺が早く帰れる日は麗佳の分もなにか作っておくから」
麗佳「ううん。私は作業しながら適当に済ませてくるから大丈夫よ」
潤「そう?」
麗佳「うん。じゃあ、遅くなる日は夕飯は別々でもいい?」
潤「ああ。でも、あんまり根を詰めすぎないように。麗佳はちょっと頑張りすぎるところがあるから」
麗佳「平気だよ! でも、ありがとう。私、潤と結婚してよかった」
潤「大袈裟だな」
麗佳「本当のことなのにー」
潤「ありがとう。俺も麗佳と結婚できてよかった」
潤と麗佳は微笑み合い、幸せそうな雰囲気に。
その後、少しずつ麗佳の帰宅が遅くなる日が増えていくが、潤は聞いていた通り仕事に没頭しているだけだと思い、違和感を持つこともない。
また、潤自身も多忙なため、すれ違いが増えていくが、決して仲が悪くなったりはせず、それまで通りにお互いを労い合い、コミュニケーションも欠かさない。
◆八か月ほど前(昨年の十月)
〇氷室家のリビング(夜)
潤「ただいまー。って、麗佳はまだか」
潤(今月は残業続きだったし、しばらく麗佳とゆっくり顔を合わせてないな……)
潤は真っ暗だったリビングの電気を点け、ため息を漏らす。
翌日に出席する同僚の結婚式のために礼服を出そうとしたが袱紗が見つからず、クローゼットの奥を探すと箱を目にする。
その中かもしれないと思い開くと、中に入っていたのは麗佳の下着だった。
しかし、派手すぎたりセクシーすぎたりと、これまでに見たことがないデザインばかりで違和感を抱く。
潤は、見てはいけないものを見てしまった気がしたのと同時に嫌な予感も過る。
そして、一時間ほどしてから帰宅した麗佳から嗅ぎ慣れない香りがしたことに気づき、思わず浮気を疑ってしまう。
潤(いや、麗佳は外見は派手で誤解されやすいけど、そんな不誠実な人間じゃない。一緒に働いてたときは真面目で一生懸命だったし、今はハンドメイド作家としてコツコツ頑張ってる……。俺が何度断ったってずっと一途に想っててくれたような、真っ直ぐな人間なんだから……今日だって、ただ仕事が遅かっただけだよな)
潤は自分に言い聞かせるが、麗佳の帰宅が遅い日が続き、疑心暗鬼になっていく。
その後、潤の仕事が落ち着いて早く帰宅するようになったことによって、麗佳の帰宅が遅い日があまりにも多いことに気づく。
〇麗佳のアトリエの前(夜)
下着を発見してから半月ほど経った頃、麗佳への疑心と違和感が拭えない潤は、思い切って仕事の帰りに麗佳のアトリエへ。
ところが、インターフォンへの応答はなく、外から見る限りアトリエは真っ暗。
コンビニなどに行っているのかと思ってしばらく待ったが戻ってこず、アトリエの近くのコンビニにも姿がなかったため、もう帰宅したのかと思う。
しかし、その日も麗佳の帰宅は遅い。
潤「おかえり。遅かったな」
麗佳「ただいま。まだ起きてたんだね」
潤「麗佳こそ……今まで仕事してたのか?」
麗佳「うん、そうなの。相変わらず煮詰まってて」
麗佳にはいつもと変わった様子がないが、嘘にしか思えない。
しかも、麗佳から嗅ぎ慣れない香りがして、その匂いが以前感じたものと同じだと気づき、思わず「いつもと違う匂い……」と呟いてしまう。
麗佳「え……? あ、ああ! シャンプーかな?」
潤「シャワーでも浴びてきた?」
麗佳「うん、アトリエでね。最近、作業中に手や髪が汚れたときとか汗をかいたときとか、あっちで浴びてくるんだ」
潤「そうなんだ」
麗佳「でも、ゆっくり湯船に浸かりたいし、もう一回入ってくるね。あっちのバスルームは狭くて寛げないのよね」
麗佳は何食わぬ顔でバスルームに向かう。
潤は翌日の仕事のあとに興信所に行き、罪悪感を抱えつつも麗佳の浮気調査を依頼する。
◆七か月ほど前(昨年の十二月)
〇興信所(夜)
興信所の調査員に呼び出された潤は、麗佳と知らない男がホテルに入っていく姿が収められた写真を見せられるのだった。
そして、相手の男性も既婚者であることを知らされたため、男性の素性をもっと詳しく調べるように再調査を依頼したところ、和寿の妻として写真に写っていたのが里乃だったのだ。
里乃と別れて以来、会っていなかったため、すぐには確信が持てなかったが、調査結果には里乃の旧姓まで記されており、里乃で間違いなかった。
潤は、絶望感とともに驚きを隠せず、しばらく写真を持ったまま言葉を失くし、微動だにしなかった。
◆一か月半ほど前(今年の五月中旬)
〇同窓会の会場だった都内のレストラン(夜)
潤がレストランに着くとすぐに友人たちに囲まれるが、真っ先に里乃の姿を探す。
少し離れた場所にいる里乃は、写真よりもずっと付き合っていた頃の面影が残っていて、胸が締めつけられる。
潤「久しぶり」
潤は、麗佳の不倫現場の写真が一瞬だけ脳裏に過りながらも、里乃に声を掛けに行くのだった。
≪回想終了≫
〇新村家と氷室家の中間地点にあるカラオケボックスの一室(夜)
カラオケルームのソファに座っている里乃。
ドアがノックされ、潤が入ってきて向かい側に座る。
ウーロン茶が入ったグラスがふたつ置いてある。
潤「遅くなってごめん……」
里乃「ううん」
潤「こんな時間に出てきて家の方は大丈夫だった?」
里乃「……今日は遅くなるんだって。『夕飯はいらない』って言われた日は、どんなに早くても十時以降にしか帰ってこないから」
潤「……そうか」
里乃「もしかして潤の奥さんも遅いの?」
潤「『友達と飲みに行く』とは聞いてる」
里乃(……きっと、潤はそれが嘘だと思ってるんだ)
潤がため息をついたことによって、里乃はそう思い至る。
潤「連絡くれないと思ってた」
里乃(あのときは連絡するつもりはなかったよ)
潤「この間はいきなりつらい光景を見せてごめん」
里乃(潤……。そういえば、潤はいつも優しかった。喧嘩をしたり意見が分かれても、だいたいは潤が先に歩み寄ってくれたな……)
里乃「正直……あのときは、どうしてあんなことされなきゃいけないんだろうって潤に対して怒りもあった……。でも、潤もされてるってことだよね……不倫」
潤「ああ……」
里乃「……潤が知ってること、全部話してほしい」
潤「いいのか? あんなことしておいて今さらかもしれないけど、全部知ったらもっとつらくなるぞ」
里乃(それは……潤も今すごくつらいからってことだよね……)
里乃は一瞬だけためらったが、息を小さく吐いて意を決した顔で頷く。
≪回想(潤)≫
◆約一年前(昨年の六月)
〇氷室家のリビング
麗佳「ねぇ、潤。私、アパートを借りたいんだけど」
潤「え? どうして?」
麗佳「最近注文をたくさんもらえるようになったし、もう少し広いスペースで作業したいんだよね。道具とかパーツも増えて、今使ってる作業机だけだと手狭になってきたし、一度ちゃんとアトリエみたいな場所でやってみたいなって」
潤「そうか」
麗佳「やっぱりダメ? 家でできないわけじゃないけど、オンオフを切り替えるのにもよさそうだし……」
潤「ダメじゃないよ。そういう理由ならやってみればいいと思う」
麗佳「本当?」
潤「うん。俺も麗佳の作るアクセサリーが売れるのは嬉しいし、なによりも麗佳がやってみたいと思ってるなら、反対する理由もないよ」
麗佳「ありがとう、潤!」
潤「でも、無理はしないで。アパートは俺も一緒に探すし、なにかあればすぐに相談して」
麗佳は笑顔で頷き、潤にキスをする。
その後、麗佳と潤はアトリエになりそうな部屋を探し、自宅から程近いワンルームのアパートを借りる。
◆十か月前(昨年の八月)
〇氷室家の寝室(夜)
麗佳がアトリエを借りてから一か月ほどが経った頃。
ベッドで裸で寄り添い合う潤と麗佳は、仲睦まじい雰囲気だった。
麗佳「私、しばらく帰りが遅くなりそうなの。最近、一気にオーダーを受けたんだけど、ちょっと煮詰まってて。でも、納期には間に合わせたいから、アトリエの方で作業に没頭したいなって。家だとリラックスしすぎて気が散りやすいから」
潤「そうか。……うん、そういうことなら仕方ないし、気にしなくていいよ」
麗佳「あ、でも遅くなる日のご飯とか……」
潤「そんなこと心配しなくていい。ご飯くらい自分でどうにかするし、俺が早く帰れる日は麗佳の分もなにか作っておくから」
麗佳「ううん。私は作業しながら適当に済ませてくるから大丈夫よ」
潤「そう?」
麗佳「うん。じゃあ、遅くなる日は夕飯は別々でもいい?」
潤「ああ。でも、あんまり根を詰めすぎないように。麗佳はちょっと頑張りすぎるところがあるから」
麗佳「平気だよ! でも、ありがとう。私、潤と結婚してよかった」
潤「大袈裟だな」
麗佳「本当のことなのにー」
潤「ありがとう。俺も麗佳と結婚できてよかった」
潤と麗佳は微笑み合い、幸せそうな雰囲気に。
その後、少しずつ麗佳の帰宅が遅くなる日が増えていくが、潤は聞いていた通り仕事に没頭しているだけだと思い、違和感を持つこともない。
また、潤自身も多忙なため、すれ違いが増えていくが、決して仲が悪くなったりはせず、それまで通りにお互いを労い合い、コミュニケーションも欠かさない。
◆八か月ほど前(昨年の十月)
〇氷室家のリビング(夜)
潤「ただいまー。って、麗佳はまだか」
潤(今月は残業続きだったし、しばらく麗佳とゆっくり顔を合わせてないな……)
潤は真っ暗だったリビングの電気を点け、ため息を漏らす。
翌日に出席する同僚の結婚式のために礼服を出そうとしたが袱紗が見つからず、クローゼットの奥を探すと箱を目にする。
その中かもしれないと思い開くと、中に入っていたのは麗佳の下着だった。
しかし、派手すぎたりセクシーすぎたりと、これまでに見たことがないデザインばかりで違和感を抱く。
潤は、見てはいけないものを見てしまった気がしたのと同時に嫌な予感も過る。
そして、一時間ほどしてから帰宅した麗佳から嗅ぎ慣れない香りがしたことに気づき、思わず浮気を疑ってしまう。
潤(いや、麗佳は外見は派手で誤解されやすいけど、そんな不誠実な人間じゃない。一緒に働いてたときは真面目で一生懸命だったし、今はハンドメイド作家としてコツコツ頑張ってる……。俺が何度断ったってずっと一途に想っててくれたような、真っ直ぐな人間なんだから……今日だって、ただ仕事が遅かっただけだよな)
潤は自分に言い聞かせるが、麗佳の帰宅が遅い日が続き、疑心暗鬼になっていく。
その後、潤の仕事が落ち着いて早く帰宅するようになったことによって、麗佳の帰宅が遅い日があまりにも多いことに気づく。
〇麗佳のアトリエの前(夜)
下着を発見してから半月ほど経った頃、麗佳への疑心と違和感が拭えない潤は、思い切って仕事の帰りに麗佳のアトリエへ。
ところが、インターフォンへの応答はなく、外から見る限りアトリエは真っ暗。
コンビニなどに行っているのかと思ってしばらく待ったが戻ってこず、アトリエの近くのコンビニにも姿がなかったため、もう帰宅したのかと思う。
しかし、その日も麗佳の帰宅は遅い。
潤「おかえり。遅かったな」
麗佳「ただいま。まだ起きてたんだね」
潤「麗佳こそ……今まで仕事してたのか?」
麗佳「うん、そうなの。相変わらず煮詰まってて」
麗佳にはいつもと変わった様子がないが、嘘にしか思えない。
しかも、麗佳から嗅ぎ慣れない香りがして、その匂いが以前感じたものと同じだと気づき、思わず「いつもと違う匂い……」と呟いてしまう。
麗佳「え……? あ、ああ! シャンプーかな?」
潤「シャワーでも浴びてきた?」
麗佳「うん、アトリエでね。最近、作業中に手や髪が汚れたときとか汗をかいたときとか、あっちで浴びてくるんだ」
潤「そうなんだ」
麗佳「でも、ゆっくり湯船に浸かりたいし、もう一回入ってくるね。あっちのバスルームは狭くて寛げないのよね」
麗佳は何食わぬ顔でバスルームに向かう。
潤は翌日の仕事のあとに興信所に行き、罪悪感を抱えつつも麗佳の浮気調査を依頼する。
◆七か月ほど前(昨年の十二月)
〇興信所(夜)
興信所の調査員に呼び出された潤は、麗佳と知らない男がホテルに入っていく姿が収められた写真を見せられるのだった。
そして、相手の男性も既婚者であることを知らされたため、男性の素性をもっと詳しく調べるように再調査を依頼したところ、和寿の妻として写真に写っていたのが里乃だったのだ。
里乃と別れて以来、会っていなかったため、すぐには確信が持てなかったが、調査結果には里乃の旧姓まで記されており、里乃で間違いなかった。
潤は、絶望感とともに驚きを隠せず、しばらく写真を持ったまま言葉を失くし、微動だにしなかった。
◆一か月半ほど前(今年の五月中旬)
〇同窓会の会場だった都内のレストラン(夜)
潤がレストランに着くとすぐに友人たちに囲まれるが、真っ先に里乃の姿を探す。
少し離れた場所にいる里乃は、写真よりもずっと付き合っていた頃の面影が残っていて、胸が締めつけられる。
潤「久しぶり」
潤は、麗佳の不倫現場の写真が一瞬だけ脳裏に過りながらも、里乃に声を掛けに行くのだった。
≪回想終了≫