合意的不倫関係のススメ
翌日の就業中、二條さんが売場にやってくる。花井さんをはじめ他の社員達が、あからさまに彼に視線を向けていた。

「お疲れ様。ごめん、これちょっと急ぎなんだけど」
「はい、分かりました」

彼は何ら涼しい顔で、私に注文書を渡す。それを確認した後、ほんの少し声をひそめた。

「風邪はひいていませんか?」
「大丈夫、ありがとう。あ、ごめん。借りてたタオルと傘、事務所にある」
「いつでも構いません」

(平気そうに見えるけど、演技なのかな)

相変わらず爽やかでスマートで、とても疎まれる要素があるようには思えない。

「今日遅番?」
「そうです」
「じゃあ、閉店後に持ってくる」

彼はそれだけ言うと、急いでいるのかすぐに去っていった。

「普通に会社来てる、図太い人〜」

花井さんの台詞に苛ついた私は、彼女の前に立ち名前を呼ぶ。

「この伝票誤字が多過ぎるから、一から書き直してください」
「…はぁい」

図太いのは貴女の方でしょうと言いたいのをぐっと堪え、私は冷ややかな視線を彼女に向けた。

「お疲れ様。これありがとう」

言っていた通り、二條さんは従業員通用口の前で紙袋を持って立っていた。

「本当助かった」
「いえ」
「じゃあ」

やけにあっさりとした態度に、少々拍子抜けしてしまう。昨夜はあんなに傷付いた様子だったのに、今の二條さんは通常運転だ。

「あっ、あの」
「ん?何?」
「…大丈夫、なのかなと」

こちらから尋ねてしまうのも気が引けて、ぼそぼそとした声になる。彼は一瞬目を見開いて、すぐに微笑んだ。

「心配してくれるんだ。嬉しいね」
「それはまぁ…同期ですし」
「同期、ねぇ」

私達は端に寄り、二條さんはじっと紙袋を見つめている。やはり余計なことを聞いたかもしれないと、後悔していた。

「簡単に説明すると、俺多分嵌められてたっぽい。身に覚えのないことで担当のお客さんに凄い責められて、しかもあの事務の子の件もあって、色々ヤバかった。あ、あの子辞めたの知ってる?」
「はい、それは知ってます」
「結論から言うと、俺は辞めずに済んだ。外商部の次長が俺のこと庇ってくれてさ」

蒼の言う通り、二條さんは妬まれていたようだ。顧客まで巻き込み騒動を起こすなんて、きっとその人は仕事ができないのだろう。だから卑怯な手を使おうなどという考えが浮かぶのだ。

「何か色々考えさせられたよ。敵のことも味方のことも」
「二條さんをきちんと評価してくれるまともな人が外商にいて、よかったです」
「ははっ、怒ってくれるんだ」

どこか憂いを帯びた彼の笑顔に、私は内心複雑だった。助けられたことについては良かったけれど、相当ショックも大きい筈だ。

けれど私はただの同期で、大した仲でもない。二條さんが本当の気持ちを吐露できる相手がいればいいと、そう思った。

「…あのさ」
「はい」
「この間はごめん。社食で変なこと言って」
「気にしていません」

二條さんの指が、一瞬こちらに伸びる。けれどそれはすぐに降ろされ、代わりに彼は小さく微笑む。

「三笹さん。蒼さんとは上手くいってる?」
「えっ?まぁ、はい」
「そっか。何か最近変わったから、そうかなってさ」

変わった、だろうか。変わりたいと思っている私にとってそれは、嬉しい言葉だ。

「三笹さんが幸せならいいんだ」
「二條さ」
「俺は屑には、なりたくないから」

それはどういう意味なのかと問いかける間もなく、彼は手を上げ夜の向こうへと消えていった。
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