合意的不倫関係のススメ
ーー私と蒼は、家族というものに恵まれていなかった。蒼の母親は派手で男にだらしのない、典型的な尻軽だった。蒼を産めば相手の男と一緒になれると信じ挙句捨てられた惨めな女だと、彼自身が言っていた。

そんな理由で産まれた蒼は、当然ながら母親から愛されなかった。幼い頃は、よく暴力も振るわれたらしい。

一応養育はしてくれていたらしいが、それも最低限のもの。母親は男の元を点々とし、彼のいるアパートに帰ってくることはほとんどなかった。

たまに渡されるお金でパンやおにぎりを買い、まだロクに家事もできず同じ服ばかり着ていた彼は、小学校では敬遠されていたらしい。教師からは何度も声をかけられていたが、相談したことがバレたら何をされるか分からない。

幼い心に植え付けられた恐怖は、そうやすやすと他人に曝け出せるものではなかったのだ。

そんな生活を続ける中で、蒼が中学の頃に母親が死んだ。どこだか分からない山奥で、身ぐるみを剥がされ置き捨てられていたのだと。

当然のことながら彼に悲しみの感情はなく、ただこれから自分はどうやって生きていけばいいのか、施設に入れられてしまうのだろうかと、それだけが気がかりだったらしい。

結果的に、蒼は施設ではなく何処からか現れた祖母と名乗る人に「大学までは面倒を見る」と言われた。彼の母親の実家の血筋がそこの地主で、もしも世間に知られたら体裁が悪いから、とか何とか。

もちろん愛情を注がれることはなく、その辺に置き捨てられているゴミでも見るかのような目で、彼は祖母から説明を受けた。充分過ぎる生活費は口止め料、けれどそのおかげで彼は自身の望む進路に進むことができた。

大学卒業と同時に振り込みは途絶え、結局それきり。彼には、家族と呼べる温かな存在はいない。当たり前にもらえるはずの愛情を知らずに育った、可哀想な人だった。



そして私もまた、蒼と同じく母親のみの家庭で育った。幼い頃は自分に父親がいないことを疑問に感じたりもしたが、その内片親というものは大して珍しいことでもないと、理解するようになった。

それに私の母親は、よく父親の話をしていた。何故未婚なのか、今父はどこで何をしているのか、詳しいことは何も知らない。

けれど彼女は事あるごとに父親を褒め、そんな男に見初められた自分を賞賛していた。私はあの人に選ばれたのだと、築年数の経った古いアパートの居間で、うっとりとした表情でそう言った。

父親の美談ばかりを聞かされて育った私は、歳を重ねるごとに父親に会いたいと恋い焦がれたが、母親に言うと暴力を振るわれ泣かれるので、いつしか聞かなくなった。

「茜。私にはあなたしかいないの。あの人と私を繋ぐものは、あなただけ。あなたさえいれは私はいつかきっと、あの人から愛される。だってそうでしょう?茜がこの世にいることが、何よりの証明だわ」

狂ったように同じ台詞ばかり口にして、頬を涙で濡らしながら私を抱き締めていた母親。

そんな彼女は、私が中学に上がる時期に自ら命を絶った。十数枚に渡る遺書には父親への想いがびっしりと書き連ねられていたが、私へ当てられたものは一文字もなかった。

私も蒼と同じく祖父母に育てられたが、「あの外道の男の血が通った子なんて、恐ろしい」と忌み嫌われ、高校卒業と同時に家を出てからはそれきり。

私は、愛情を知っているのだろうか。母親からのあれは、愛だったのか。いや、きっと違う。彼女は私を、見てはいなかった。

孕ませるだけ孕ませて自分を捨てた屑を、何故あそこまで愛していたのだろう。そうしなければ、自身に価値を見出せなかった哀れな人。

ビルから飛び降りたと連絡を受けた時、私の心は自分でも驚くほどに凪いでいた。

ああ、やっぱりか。

そんな感情しか、浮かばなかった。

あの人は結局、誰からも選ばれなかったのだと。
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