合意的不倫関係のススメ
EP.7「溢水」
ーー
朝、スーツ姿の蒼がネクタイケースを持ち私のところへやってきた。
「今日どれがいいと思う?」
「んー、これかなぁ。駅前のあそこなんでしょ?超高級ホテル」
「そうなんだよ。今から緊張してる」
「蒼でも緊張することあるんだ」
くすくすと笑いながら彼の首に選んだネクタイをかけ、結んでいく。蒼は私にされるがままで「当たり前だろ?」と言いながら、私と同じように笑った。
今日は、蒼が担当している警備会社の創立記念の式典らしい。わざわざ自宅に招待状が送られてくる程、彼は気に入られている。最も社内で招待されているのは蒼だけではないので、パートナーは出席しない。
「ちゃんとスーツ持った?」
「ばっちり」
式典なので、今来ているビジネススーツではなくちきんとしたディレクターズスーツで参列しなければならない。ガーメントケースを手にした彼は、私に向かってにこりと微笑んだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけて」
「遅くなるけどごめん」
「気にしないで」
もうすぐ私も出勤時間になるので、エプロンを外しながら彼を見送る。ぴかぴかに磨かれた革靴を履き終えた彼は、何故かじいっと私の唇を見つめた。
「もう口紅塗ったんだ」
「えっ?うん」
「取れるの、やだ?」
「塗り直せば大丈夫」
彼の質問の意味を理解し、そう答える。蒼の綺麗な顔が近付き、その形の良い薄い唇が、私の唇を塞いだ。去り際、端をぺろりと舌で舐められる。
「やば、俺についちゃったかも」
「ふふっ」
悪戯が成功した子供のような笑顔が、可愛い。すっかり姿が見えなくなるまで、私はドアの外に顔を出して彼を見送った。
(今日は夜、一人かぁ…)
二條さん達との食事会から、約一週間。私達夫婦は平穏を取り戻し、いつもと変わらぬ日常を送っている。あの日からすぐに生理が来て私は思わず溜息を吐いたのだが、それがどういった類の溜息であったのかは、自分でも分からなかった。
今日の蒼はきっと、どんな女性から見ても素敵に映るだろう。彼は物腰が柔らかく誰に対しても優しいが、裏を返せば特別扱いもしないということ。女性に対してビジネスライクに接する節があるので、誰彼構わず浮気する性分だとは思っていない。
「美空でも誘おうかなぁ」
何となく今日は、一人で夜を過ごしたくない気分だった。今から行く場所には私を疲れさせる原因が居るので、それも憂鬱でストレスが溜まるし。
その気分を引きずったまま、寂しく夕食を摂ることが嫌だった。
「…行かなきゃ」
溜息を吐きながらソファに投げていたエプロンをハンガーに掛け、もう一度口紅を引き直した。
朝、スーツ姿の蒼がネクタイケースを持ち私のところへやってきた。
「今日どれがいいと思う?」
「んー、これかなぁ。駅前のあそこなんでしょ?超高級ホテル」
「そうなんだよ。今から緊張してる」
「蒼でも緊張することあるんだ」
くすくすと笑いながら彼の首に選んだネクタイをかけ、結んでいく。蒼は私にされるがままで「当たり前だろ?」と言いながら、私と同じように笑った。
今日は、蒼が担当している警備会社の創立記念の式典らしい。わざわざ自宅に招待状が送られてくる程、彼は気に入られている。最も社内で招待されているのは蒼だけではないので、パートナーは出席しない。
「ちゃんとスーツ持った?」
「ばっちり」
式典なので、今来ているビジネススーツではなくちきんとしたディレクターズスーツで参列しなければならない。ガーメントケースを手にした彼は、私に向かってにこりと微笑んだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけて」
「遅くなるけどごめん」
「気にしないで」
もうすぐ私も出勤時間になるので、エプロンを外しながら彼を見送る。ぴかぴかに磨かれた革靴を履き終えた彼は、何故かじいっと私の唇を見つめた。
「もう口紅塗ったんだ」
「えっ?うん」
「取れるの、やだ?」
「塗り直せば大丈夫」
彼の質問の意味を理解し、そう答える。蒼の綺麗な顔が近付き、その形の良い薄い唇が、私の唇を塞いだ。去り際、端をぺろりと舌で舐められる。
「やば、俺についちゃったかも」
「ふふっ」
悪戯が成功した子供のような笑顔が、可愛い。すっかり姿が見えなくなるまで、私はドアの外に顔を出して彼を見送った。
(今日は夜、一人かぁ…)
二條さん達との食事会から、約一週間。私達夫婦は平穏を取り戻し、いつもと変わらぬ日常を送っている。あの日からすぐに生理が来て私は思わず溜息を吐いたのだが、それがどういった類の溜息であったのかは、自分でも分からなかった。
今日の蒼はきっと、どんな女性から見ても素敵に映るだろう。彼は物腰が柔らかく誰に対しても優しいが、裏を返せば特別扱いもしないということ。女性に対してビジネスライクに接する節があるので、誰彼構わず浮気する性分だとは思っていない。
「美空でも誘おうかなぁ」
何となく今日は、一人で夜を過ごしたくない気分だった。今から行く場所には私を疲れさせる原因が居るので、それも憂鬱でストレスが溜まるし。
その気分を引きずったまま、寂しく夕食を摂ることが嫌だった。
「…行かなきゃ」
溜息を吐きながらソファに投げていたエプロンをハンガーに掛け、もう一度口紅を引き直した。