合意的不倫関係のススメ
結局俺は、条件を呑ませた上で男に金を渡した。俺の出自についても調べていたのだろう、元々の借金に足してその倍近い額を請求した。

祖父母を脅す程の勇気も人手も時間もなく、ちょうど手頃な相手である俺を選んだ。茜の名前を出す辺り、馬鹿のくせにそういうところには頭が回る。

アルバイトでこつこつ貯めた貯金と、手切金としてあの女の実家から渡された金を、殆どあの男に渡した。

それ自体は、別に構わなかった。確かに金は必要だが、また貯めればいい。それで茜の身の安全が保証されるのなら、後悔も何もない。

ただ、身体中を支配するこのどす黒い感情の持っていき場所が、どこにもなかった。

誕生日の旅行も、豪華な結婚式も、広い新居も。思い描いていた彼女との未来が、あの女が残した残骸に全て奪われた。

(こんなことでしか生きられない屑が)

せいぜいあの男が苦しんで死ねばいいと、呪いをかけた。あの女が地獄で余程辛い目に遭っていればいいと、心から願った。

生きている間も、死んでからも、俺はあの女に人生を狂わされる。やっと見つけた宝物も、もしも俺が金を持っていなければあっという間にこの手から奪われていた。

もしも、茜が。想像しただけで、ひゅうっと喉元が締まる。

これから先、あんな屑が湧いて出てこない保証はない。今回の事は、一回の金で切れただけまだ良い方だ。

本当に茜のことを想うなら、俺は潔く身を引くべきだと。頭では理解しているのに。

「もしもし蒼?ごめんね、今日夕食一緒に食べようねって約束してたけど、無理みたい。急遽売場のディスプレイを一新することになって」

休憩時間の合間だろうか。茜が申し訳なさげな声色で、電話越しにそう言った。

(今日、今すぐ会いたかった)

会ったところで俺はきっと、彼女に真実を打ち明けられない。けれどそれでも、どうしても顔が見たかった。

「少しだけ、会いに行っちゃだめかな」
「ごめん。明日も朝早いから…」
「そっか、分かった」

申し訳なさそうな声を聞くと、心臓の辺りが痛くなる。茜は今精いっぱいなのだから、落ち着いてから会えばいい。焦ることなど、何もない。

「来週の土日は休めそうだから、泊まりに行ってもいい?」
「もちろん、楽しみにしてる」
「ありがとう。お休みなさい」

これで良かったのかもしれないと、通話を切った後、真っ暗な画面に自身の顔を見てそう思った。
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