合意的不倫関係のススメ
ーー勝手に産まれてくんな、お荷物

思い出すな。

ーー生きてるだけで金かかるとか、ホントあんたって疫病神よね

思い出すな。

ーーその顔は私のおかげ、感謝しなさいよ

「黙れ!!」

現実で叫んだのかどうか、俺には分からない。どうやら講義が終わって寮に戻り、そのままベッドで寝落ちてしまっていたらしい。

(…最悪の気分だ)

見たくもない夢を見て、既にこの世にはいない人物を殺したいと願う。茜と過ごすようになってから(オサ)まっていた、心を蝕む悪夢。

祖父母に表面上引き取られる形で生活するようになってからは、随分と嘘が上手くなった。本音を笑顔で隠し、友人との交流も広く浅くつつがなくこなしてきた。

気色悪い色目を使い俺に擦り寄る女子達も、全部上手くあしらって躱した。

茜とのことも、始まりはただの後輩だった筈なのに。

(壊したくない)

彼女は、繊細だ。一見冷たいように見えて優しく愛情深く、そして脆い。互いに親の不利益を被り、それに苦しみながら生きている。

いつかこうなるかもしれないと、どこかで危惧していたのかもしれない。けれどもう、手遅れだ。

自分自身が彼女の幸せの障害になるかもしれないと自覚しても、俺は茜を手放すことができない。

心から愛おしいと思う、たった一人の女性(ヒト)

「…茜、茜……っ、は…っ」

幾ら取り繕った所で結局、俺自身も泥に塗れた汚い人間だ。たった今起きたばかりで、もう三週間も彼女に触れていないことも相まって、欲望が抑えきれなかった。

ーー蒼……っ

控えめな喘ぎ声、俺の名前を呼ぶ唇、真っ白な体、蕩けた表情。

茜の全てが、俺を昂らせる。

瞼の裏に彼女を思い浮かべながら、俺は無心で茜との情事に耽った。

明日、明日になれば彼女に会える。そうすればこんな感情もきっと……

「…っ」

茜との擬似セックスに夢中になっていた俺の耳に響いたのは、彼女の喘ぎ声ではなくインターフォンの音だった。

一瞬茜ではないかと期待したけれど、声を聞いた瞬間一気に身体からは熱が引いていった。

エントランスのマイク越しに聞こえたのは、少しカサついた女の声。

「蒼君こんにちはぁ。私ゆーりって言うの。凛子さんの知り合いなんだけどぉ」

二度と耳にしたくないその名前に、思わず舌打ちをしてしまいそうになる。

(また、あの女の…っ)

先程まであれだけ鮮明に思い出せていた茜の顔が、今は微塵も頭に浮かばなかった。

噛み締めた唇の端からは、鉄錆の味がした。
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