合意的不倫関係のススメ
「いい匂い。今日はしょうが焼きなんだ」

スーツから部屋着に着替えた蒼が、くんくんと鼻を動かす。子供のような仕草に、きゅうっと心臓が反応する。

互いの感情をぶつけ合ってからというもの、彼の一挙手一投足に身体がどうしようもなく反応してしまう。可愛い、男らしい、優しい、好きだと、そんなことばかり考えてしまうのだ。

(学生みたい)

蒼に嫌われたくなくて、高校の時もずっとどこかで去勢を張っていたように思う。わがままや嫉妬を表に出すこともなかったし、彼の優しさや愛しているという言葉を、心底信じることができなかった。

今だってまだ、私の心の中には爆弾のような塊が眠っている。それがいつ爆発し蒼や自分を傷つけてしまうのか、分からない。

恐怖や嫉妬に足元を掬われ引きずられ、自身でも考えられないような行動を起こしてしまう。

だから、今日のあの女子社員の行動も私は理解ができるのだ。小さな芽を摘み取りたい、事実を明確にさせたい、不安要素を取り除きたい。

そんな風に、影に潜んだ黒い感情を。

「茜?ボーッとしてるけど、疲れた?」
「ううん、大丈夫」

我に返り、私は再び手を動かす。今は他人のことなど考えていられない。

束の間のこの幸せを、守りたい。その為にはどうすればいいのか、模索しなければ。

まず、心の中の前提を変えるのだ。

彼の態度や言動は、贖罪などではない。心から私を想っているからこそなのだと。

(強くならなきゃ)

「うん、おいしい」
「よかった」
「今日回った所の部長がさ…」

美味しそうに料理を頬張りながら穏やかな笑みを浮かべる蒼を見ながら、思う。

これまでも彼はそうだった。けれど、穿った見方をしていたのは私だ。

「あはは、そうなんだ」
「俺もびっくりしたんだけど、そしたら…」

何気ない会話と、ありふれた夕食のメニュー。部屋だって何一つ変わってはいない。

蒼がいない部屋は、色をなくしたようだった。何を食べても、美味しいと感じられなかった。喉がへばりついて、声すら出せなかった。

(私ってホントに、馬鹿だ)

好きだから、愛しているから、護りたかった。私から解放してあげることが最善だと、そう思った。

「今日はご飯、お代わりしようかな」

幸せそうな蒼を見て、涙が溢れそうになる。

私と離れたくないと言って泣いていた彼は、きっと本当の蒼の姿だ。

護りたいと、思う。その為ならば、闘える。

蒼を救いたい、私からも過去からも。

「…ふふっ」
「どうしたの?急に笑って」
「幸せだなって」

素直にそう口にすれば、彼は一瞬目を見開いて。それからとても嬉しそうに、目を細めた。
< 94 / 121 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop