水の神女と王印を持つ者~婚約破談のために旅に出た幼女は出会った美麗の青年に可愛がられてます~
「もうずっと昔の事だ」
茶屋に入り、女給に出されたお茶を飲みながら天功はゆっくりと口を開いた。
「地主の家に生まれた私は幼い頃からあの社の掃除を日課にしていたのだよ。この地をお守りする竜神様が眠っている、竜神様がいつ目を覚ましてもいいように綺麗にしておかなくてはならない、お腹が空かないようにお供え物を欠かしてはならない、この地から離れないようにお祈りと感謝を忘れてはならないと、言い聞かされてきた」
幼かった天功はその言いつけを守り、社の世話をして来たという。
「竜神様と言っても、小さな石があるだけだと私は知っていた。ただその石は宝石のように美しい」
息を飲むほど美しい石をこんな所に置いていては誰かに盗まれるのではないかと心配したものだと、懐かしそうに言う。
「子供の私は自分が出来る限りの世話をした。朝は掃除とお供え物を置き、手を合わせ、学び舎から帰りまた祈る。雨風の強い日は様子を見に行ったし、修繕も進んで行った。美しい玉をピカピカに磨き上げるのは特に心地よかった」
自分だけが許された特別な仕事なのだと、そう思ったと天功は語る。
「一月ほど、王都へ行かねばならず、お世話ができないことがあった」
度々、王都へと行く用事はあったが一月もの長い間を留守にすることは今までになかったと言う。
「当時、私は独り身でこの仕事を託せる者がいなかった。しかし、他の誰にもこの役目を譲りたくなかった。だから前もってできる事だけをして一月ほどお世話を疎かにした。するとそれから三月もの間、雨が全く降らないことがあった。」
この土地は港町で常に海からの潮風を受けており、一定の湿度を保っている。年に何度か嵐が来るような土地で、潮風の影響かころころ天候が変わるのだ。時期的に日照りが続くこともあるが頻繁に雨は降る土地だったと天功は言う。
「私がこの町に来た時はまだ水不足とは縁遠い町だったな」
鳳が遠い日を思い返すように呟く。
「あぁ、日照りが続いたとしてもその分、すぐに雨が降り、土地を潤した。水など余るほどあった。近隣の町が水に困れば分けてあげられるほど十分な水に溢れていたのに……」
水不足になったのはここ数年の出来事で、過去にも三月もの間、雨が降らないと言うのがにわかに信じがたいと鳳は言う。
「でも、私がこの土地に来てから、雨は一度も降っていない」
蒼子は言う。
この町に滞在してしばらく経つが一度も雨は降っていない。
蒼子は慢性的に雨量の少ない土地だと勝手に思い込んでいたがそうではないらしい。
「今でも少なくとも一月に二、三回は降るからな。三月もの間、全く降らないなんてことは水不足の今でもあり得ない」
今よりも雨量が少ない過去に鳳は驚いている。
「三月も雨が降らないと土地が干上がり、井戸の水も枯れかけた。何より、住民達が不安に駆られてしまう」
天功は社で竜神に拝んだ。
このままでは住民達の生活を守れなくなってしまうとお世話を疎かにしたことを陳謝し、竜神にこの町を救うよう懇願したと天功は言う。
「その時に現れたのだよ、あの美しい竜が。私の目の前に降り立ったのだ」
重々しい表情から一変して天功は恍惚とした表情で語り始めた。
「竜神が? 見間違いじゃ……」
鳳が唖然として呟く。
「そんなことはない!」
鳳の言葉に天功は断言した。
蒼子も俄かに信じがたいが鳳が怒られたので口には出さない。
竜神の存在は否定しないが竜神が人の前に姿を現すことに驚いた。
「竜神はどんな姿をしていたの?」
蒼子は話の続きを促した。
「美しい人の姿で現れたよ。玉のような色白の肌に長く光沢のある白い髪は美しく、瞳は黄金色に輝き、纏う雰囲気は神々しく、すぐに神の類だと分かった」
天功はまるで恋する少年のような目をして語る。
確かに、黄金色の瞳は龍や神類の特徴だ。
人の形をしていても、天功の話からそれは間違いなく異形である。
恐らく、本当に天功は竜神に会っているのだ。
故に、この信仰心。強い想いが彼の中にあり、それが彼を支えているのだろう。
「それからどうしたんだ?」
竜神の美しさと神々しさを一通り語りつくした頃に鳳が訊ねる。
「私に向かって微笑み溶けるようにお隠れになった。あの日、竜神様にお会いしてからというもの、願えば必ず雨が降り、大地が潤った。嵐がやってくれば波が静かになるように願い、その後は必ず海は穏やかさを取り戻した。竜神様がこの地をお守りしてくれているからだと確信したよ」
「溶けるように……」
蒼子は引っ掛かりを覚えて呟いた。
「私はより一層、お世話に力を入れた。家督を継ぎ、妻を娶り、娘が生まれた。竜神様は再び現れ、娘の誕生を祝福して下さった」
あの娘は竜神の加護を受けて生まれて来たと言う。
娘が生まれてからは愛娘とこの土地の住民の幸せのために祈り続けたと天功は続けた。
「しかし、仕事で再び頻繁に王都へ行かなければならない日が増えた。それからは社の仕事を娘の詠貴に任せることにした。詠貴も子供の頃の私を同じように自ら進んで甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。幼いながらに懸命な様子なんとも可愛らしくてのう」
竜神信仰の話から愛娘の話に移り変わろうとしている。
「詠貴さんがお世話をするようになって何か変わったことは?」
「あの子は竜神の祝福と加護を受けて生まれた子だ。あの子の祈りは竜神様へと届いていただろう」
穏やかで平和な日々が続いていたと天功は目を細めた。
「今の地主である候旋夏はあの社の手入れを全くしていないのだろうな。そしてあの場所に残った詠貴にもそれを許していないのだろう。あそこは竜神様のお住まいであり、お帰りになる場所だ」
そこが美しく保たれていなければきっとお帰りにはならないだろう、と天功は暗い表情で言う。
話は大体、理解した。
蒼子はすっかり冷めたお茶を口に含んだ。
さて、これからどうしたものか。
こうなったら、地主の邸にも行ってみたいな。
蒼子は詠貴のことを思い出した。
可憐な容姿に美しい所作、しかしながら凛とした雰囲気は芯の強い女性のそれであり、無視できない存在感があった。
蒼子は彼女の纏う空気に強く惹きつけられた。
詠貴さんにも会ってみたい。
そんなことを考えていると、突然身体が宙に浮いた。
「うわっ、ちょっと、何⁉」
「子供が眉間にシワなんぞ寄せるんじゃない」
明るい声色で鳳が言う。
そう言いながら、蒼子を自分の膝の上に乗せる。
「ちょっと、降ろしてよ。子供じゃないんだから!」
子供扱いする鳳に蒼子もムキになって膝から降りようとするが、鳳はそれをさせない。
「子供は大人しく団子でも食べて笑っていろ」
大人の男の腕力にか弱い子供が叶うはずもなく、蒼子は鳳の腕から逃れられずにいた。
その時だ。
「これは……」
蒼子は呟く。
「どうした?」
鳳は蒼子の様子が変わったのを察し、訊ねた。
外から何か大きな力を感じる。
温かくもどこか心地良い冷たさは蒼子の好きな神水に似ている。
これは気の放出だ。
まるで自分の居場所を気を放出させることで示しているように思えた。
蒼子は緩んだ鳳の腕をすり抜けて外へと飛び出した。
「蒼子!」
後ろから自分を呼ぶ鳳の声が聞こえるが今は構っていられない。
蒼子は自分を引き寄せるものの方へ構わず走り出す。
「おい、蒼子!」
蒼子を追いかけて店を飛び出した鳳は肌に触れる大きな気配に足を止めた。
蒼子が駆けて行った方向に何かの気配を感じるのだ。
「……何だ?」
この町に来てからは一度も感じたことのない気配だ。
決して邪なものではないが……。
鳳は不思議に思いながらも小さな背中を見失わないように駆け出した。
茶屋に入り、女給に出されたお茶を飲みながら天功はゆっくりと口を開いた。
「地主の家に生まれた私は幼い頃からあの社の掃除を日課にしていたのだよ。この地をお守りする竜神様が眠っている、竜神様がいつ目を覚ましてもいいように綺麗にしておかなくてはならない、お腹が空かないようにお供え物を欠かしてはならない、この地から離れないようにお祈りと感謝を忘れてはならないと、言い聞かされてきた」
幼かった天功はその言いつけを守り、社の世話をして来たという。
「竜神様と言っても、小さな石があるだけだと私は知っていた。ただその石は宝石のように美しい」
息を飲むほど美しい石をこんな所に置いていては誰かに盗まれるのではないかと心配したものだと、懐かしそうに言う。
「子供の私は自分が出来る限りの世話をした。朝は掃除とお供え物を置き、手を合わせ、学び舎から帰りまた祈る。雨風の強い日は様子を見に行ったし、修繕も進んで行った。美しい玉をピカピカに磨き上げるのは特に心地よかった」
自分だけが許された特別な仕事なのだと、そう思ったと天功は語る。
「一月ほど、王都へ行かねばならず、お世話ができないことがあった」
度々、王都へと行く用事はあったが一月もの長い間を留守にすることは今までになかったと言う。
「当時、私は独り身でこの仕事を託せる者がいなかった。しかし、他の誰にもこの役目を譲りたくなかった。だから前もってできる事だけをして一月ほどお世話を疎かにした。するとそれから三月もの間、雨が全く降らないことがあった。」
この土地は港町で常に海からの潮風を受けており、一定の湿度を保っている。年に何度か嵐が来るような土地で、潮風の影響かころころ天候が変わるのだ。時期的に日照りが続くこともあるが頻繁に雨は降る土地だったと天功は言う。
「私がこの町に来た時はまだ水不足とは縁遠い町だったな」
鳳が遠い日を思い返すように呟く。
「あぁ、日照りが続いたとしてもその分、すぐに雨が降り、土地を潤した。水など余るほどあった。近隣の町が水に困れば分けてあげられるほど十分な水に溢れていたのに……」
水不足になったのはここ数年の出来事で、過去にも三月もの間、雨が降らないと言うのがにわかに信じがたいと鳳は言う。
「でも、私がこの土地に来てから、雨は一度も降っていない」
蒼子は言う。
この町に滞在してしばらく経つが一度も雨は降っていない。
蒼子は慢性的に雨量の少ない土地だと勝手に思い込んでいたがそうではないらしい。
「今でも少なくとも一月に二、三回は降るからな。三月もの間、全く降らないなんてことは水不足の今でもあり得ない」
今よりも雨量が少ない過去に鳳は驚いている。
「三月も雨が降らないと土地が干上がり、井戸の水も枯れかけた。何より、住民達が不安に駆られてしまう」
天功は社で竜神に拝んだ。
このままでは住民達の生活を守れなくなってしまうとお世話を疎かにしたことを陳謝し、竜神にこの町を救うよう懇願したと天功は言う。
「その時に現れたのだよ、あの美しい竜が。私の目の前に降り立ったのだ」
重々しい表情から一変して天功は恍惚とした表情で語り始めた。
「竜神が? 見間違いじゃ……」
鳳が唖然として呟く。
「そんなことはない!」
鳳の言葉に天功は断言した。
蒼子も俄かに信じがたいが鳳が怒られたので口には出さない。
竜神の存在は否定しないが竜神が人の前に姿を現すことに驚いた。
「竜神はどんな姿をしていたの?」
蒼子は話の続きを促した。
「美しい人の姿で現れたよ。玉のような色白の肌に長く光沢のある白い髪は美しく、瞳は黄金色に輝き、纏う雰囲気は神々しく、すぐに神の類だと分かった」
天功はまるで恋する少年のような目をして語る。
確かに、黄金色の瞳は龍や神類の特徴だ。
人の形をしていても、天功の話からそれは間違いなく異形である。
恐らく、本当に天功は竜神に会っているのだ。
故に、この信仰心。強い想いが彼の中にあり、それが彼を支えているのだろう。
「それからどうしたんだ?」
竜神の美しさと神々しさを一通り語りつくした頃に鳳が訊ねる。
「私に向かって微笑み溶けるようにお隠れになった。あの日、竜神様にお会いしてからというもの、願えば必ず雨が降り、大地が潤った。嵐がやってくれば波が静かになるように願い、その後は必ず海は穏やかさを取り戻した。竜神様がこの地をお守りしてくれているからだと確信したよ」
「溶けるように……」
蒼子は引っ掛かりを覚えて呟いた。
「私はより一層、お世話に力を入れた。家督を継ぎ、妻を娶り、娘が生まれた。竜神様は再び現れ、娘の誕生を祝福して下さった」
あの娘は竜神の加護を受けて生まれて来たと言う。
娘が生まれてからは愛娘とこの土地の住民の幸せのために祈り続けたと天功は続けた。
「しかし、仕事で再び頻繁に王都へ行かなければならない日が増えた。それからは社の仕事を娘の詠貴に任せることにした。詠貴も子供の頃の私を同じように自ら進んで甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。幼いながらに懸命な様子なんとも可愛らしくてのう」
竜神信仰の話から愛娘の話に移り変わろうとしている。
「詠貴さんがお世話をするようになって何か変わったことは?」
「あの子は竜神の祝福と加護を受けて生まれた子だ。あの子の祈りは竜神様へと届いていただろう」
穏やかで平和な日々が続いていたと天功は目を細めた。
「今の地主である候旋夏はあの社の手入れを全くしていないのだろうな。そしてあの場所に残った詠貴にもそれを許していないのだろう。あそこは竜神様のお住まいであり、お帰りになる場所だ」
そこが美しく保たれていなければきっとお帰りにはならないだろう、と天功は暗い表情で言う。
話は大体、理解した。
蒼子はすっかり冷めたお茶を口に含んだ。
さて、これからどうしたものか。
こうなったら、地主の邸にも行ってみたいな。
蒼子は詠貴のことを思い出した。
可憐な容姿に美しい所作、しかしながら凛とした雰囲気は芯の強い女性のそれであり、無視できない存在感があった。
蒼子は彼女の纏う空気に強く惹きつけられた。
詠貴さんにも会ってみたい。
そんなことを考えていると、突然身体が宙に浮いた。
「うわっ、ちょっと、何⁉」
「子供が眉間にシワなんぞ寄せるんじゃない」
明るい声色で鳳が言う。
そう言いながら、蒼子を自分の膝の上に乗せる。
「ちょっと、降ろしてよ。子供じゃないんだから!」
子供扱いする鳳に蒼子もムキになって膝から降りようとするが、鳳はそれをさせない。
「子供は大人しく団子でも食べて笑っていろ」
大人の男の腕力にか弱い子供が叶うはずもなく、蒼子は鳳の腕から逃れられずにいた。
その時だ。
「これは……」
蒼子は呟く。
「どうした?」
鳳は蒼子の様子が変わったのを察し、訊ねた。
外から何か大きな力を感じる。
温かくもどこか心地良い冷たさは蒼子の好きな神水に似ている。
これは気の放出だ。
まるで自分の居場所を気を放出させることで示しているように思えた。
蒼子は緩んだ鳳の腕をすり抜けて外へと飛び出した。
「蒼子!」
後ろから自分を呼ぶ鳳の声が聞こえるが今は構っていられない。
蒼子は自分を引き寄せるものの方へ構わず走り出す。
「おい、蒼子!」
蒼子を追いかけて店を飛び出した鳳は肌に触れる大きな気配に足を止めた。
蒼子が駆けて行った方向に何かの気配を感じるのだ。
「……何だ?」
この町に来てからは一度も感じたことのない気配だ。
決して邪なものではないが……。
鳳は不思議に思いながらも小さな背中を見失わないように駆け出した。