祈りの織姫は恋をする~気弱な身代わり悪女ですが、初恋の皇太子様と婚約破棄しろと言われました~【書籍化】
第二十二話 一緒にダンスを
一日目と二日目のヴァーレン祭の間、マリーはドレス作りに精を出していた。マリー達のクラスの劇は最終日に行われることになっているのだ。
(やっと完成した……!)
そして最終日に、ようやくミッシェルのドレスは完成した。
「わぁ! 素敵!」
ドレスをまとったミッシェルは、更衣室でそう顔を輝かせる。
補正具を下につけたスカートは全方位に丸く愛らしい形を作っている。
胸元から腹部を彩る刺繍はオキザリスの花と【勇気】と【願いが叶う】魔法陣を編み込んであった。ドレスの形状やレースはアリアがいた当時の流行りを取り入れてある。
「最初のドレスのイメージとは変わっちゃったけど……」
マリーは遠慮がちに言う。
「ううん、私、これが着たかったの。マリア、本当にありがとう」
目を潤ませながらミッシェルは言う。マリーの両手をつかみ、「最高の舞台にして見せるから!」と言った。
彼女はもうミッシェルではなく『ライラ』になっていた。
豊かな金色の髪は花と一緒に編み込んで背中に垂らしている。
髪飾りにはドレスと同じレースの髪飾りがつけられていた。化粧でそばかすも消え、華やかな美貌の少女に変身していた。
「綺麗……本当にお姫様みたい」
マリーは本心からそう言った。
お姫様になるように手を貸したマリーですら、ミッシェルの変化に驚いてしまう。
見た目もそうだが、まとう雰囲気が一変しているのはミッシェルがもう役に入り込んでいるからだろう。
「マリアったら、上手ね。でも嬉しいわ」
ミッシェルは、はにかみ笑いをした。
マリーは友人の手を握り、微笑む。
「本当よ。皆きっと思うはずだわ。間違いなく、今日の主役はミッシェルだって」
魔法陣の周囲を精霊達が踊っているのだ。
キラキラと陽光が反射し、祝福を受けているその姿は本物の【精霊のお姫様】のようだった。
残念ながら精霊達の姿が見えるのはマリーだけだが、観客にもその神々しさは伝わるはずだ。
(きっと、精霊達が力を貸してくれるはずよ)
マリーはそう信じて疑わなかった。
ミッシェルは「ありがとう! 行ってくる!」と更衣室から出て、舞台に向かっていく。
マリーが手伝えるのはここまでだ。
◇◆◇
舞台は佳境を迎えていた。
『私が女として育っていたら、彼に想いを告げることができたのだろうか……』
男装した王子リオンに扮するエセルが、舞台上でそう膝をつきながら嘆く。
ホールの扉や窓には暗幕が張られており、用意された席は満席になっており、立ち見客もいた。
端の方の席にミッシェルの母親のアリアが腰掛けており、彼女の隣にはフレデリック先生がいるのをマリーは舞台裏から確認する。隣にはカルロもいて、舞台の成り行きを見守っている。
エセルの熱演にも力が入った。
『いいえ、そんなはずがない。きっと、私が女の姿をしていても無理だった。だって彼は私にないものを持っているライラに惹かれたんだろうから……』
エセルはそう言うと、その場に崩れ落ちる。
舞台の上にある天窓から差し込む明かりが、スポットライトのように彼女を包んだ。
『どうして、こんなに双子なのに違うんだろう。……ライラが憎くて仕方がない。私が欲しかったものを何の苦労もせずに手に入れた彼女が。しかも、それが私の双子だなんて……神様はきっと私をお嫌いなんだ』
そしてエセルは手に持っていたナイフをつかみ、暗い決意をする。
『──そうだ、彼女に成り代わってやれば良い。見た目はそっくりなのだ……彼女に私の服を着せて殺し、死体を海に捨てよう。そして私がライラの格好をすれば、誰にも見破られるはずがない』
(……悲しい)
マリーは胸を痛めていた。
双子として生まれたのに、不運なめぐりあわせにより相手を憎んでしまうなんて……。
マリーだったら、そばにナイフがあったとしてもマリアのことを刺したりはしない。たとえ、そうすれば永遠に『マリア』のままでいられるとしても。
隣にいるカルロを、マリーはちらりと覗き見る。
(わずかな時間だけ見られる精霊の夢みたいなものだわ……どれほど甘美な誘惑であっても、それに屈してはならない。それは人としていけないことなのだから……)
だから婚約破棄しなければいけないと思うのに、うまくいかない。
「どうかしましたか?」
マリーの視線に気づいたカルロが尋ねてきたが、マリーは首を振った。そして再び舞台に目を向ける。
うずくまるエセルに、舞台に現れたミッシェルが近付いていく。マリーが作った宮廷ドレスをまとう彼女に、観衆からざわめきが生まれる。
「なんだ、あのドレスは?」
「見たことがないデザインだわ……」
「前にも後ろにも膨らみがある。綺麗なシルエットねぇ」
横に広がっているだけの補正具しか見たことがなかった人々は驚いたようだった。
天窓の陽光をあびて歌う彼女は、元が町娘だということを忘れさせるほど美しい。
『あら、リオン。ここにいたの? どうしたの、床に膝をついて。体が冷えてしまうわよ』
そう声をかけるミッシェルは、天真爛漫なライラそのものだった。
エセルは顔を上げて、暗い瞳でミッシェルを見つめる。スポットライトから外れているせいか、本当に暗い世界の住人のようだ。
『良いよな、お前は。庶民だったくせにお姫様になれて……しかも私の幼馴染の隣国の王子にも求婚されて……。皆から祝福されて! ハッピーエンドかよ、お前だけが……』
『リオン?』
『前に言ってたよな? 私は王子様のことが好きか分からないって。それなのに彼と婚約するのか?』
『それは……知らない人だけど、これからお互い知っていけば良いと思って。それに悪い人ではなさそうだし』
『それだけの理由で?』
『……私は王女として迎え入れられたのだもの。結婚相手なんて自分では選べないわ』
そうミッシェルが言うと、エセルはゆがんだ笑い声をたてた。
『良いねぇ、それで彼と結婚できる訳か。……お前が女だったから! ずるいだろう、そんなの。自ら望んで得た地位でないなら、私にその場所をくれよ』
『え……?』
勢いよく、エセルがミッシェルの腹部をナイフで刺した。もちろん模造剣だ。しかし、鬼気迫った演技に迫力がある。
ミッシェルは信じられないような目でエセルを見つめた。そして地面に倒れ込むと、全てを察したように涙を流した。
『ああ……あなたは兄ではなく……姉だったのね? ごめんなさい、気付けなくて……私の唯一の、姉さん……』
そう力尽きる直前にささやき、抱き上げたエセルの頬に手を伸ばして天使ように微笑むミッシェル。そして彼女は意識を失った。
カルロはマリーの隣で驚いたようにわずかに身を揺らした。それも当然だ。ミッシェルの台詞は台本にはないアドリブだったのだから。
(でも、すごく良いわ……)
リハーサルした時よりも、もっと良い──真に迫った演技だった。
それに魅せられたのか、ミッシェルの演技に飲まれたエセルは力尽きたミッシェルを呆然と見おろしていた。舞台の端から「エセル」と小さな声をかけられ、ハッとした様子で演技を続ける。
『私は後悔なんてしない……! するものか! だって、そんなことをしたら……私はいったい何のために……っ』
舞台が切り替わる。
王子や両親、国民からライラの振りをしていたことが知られてしまい、世界が崩壊していくさなか、エセルは玉座に腰かけていた。
彼女が最後に発した言葉は、愛する王子の名前ではなく──妹ライラの名前だった。
音楽が止み、辺りが鎮まる。
直後、割れるような拍手が観客席から沸き上がった。
役者、小道具係、衣装係のマリーと、総監督のカルロが壇上に集まって、一斉に深く礼をする。
(……成功した)
マリーの頬が熱くなる。観客席の端で、ミッシェルの母親のアリアが目じりに浮かんだ涙をぬぐっている姿が見えた。
再び大きく頭を下げて、舞台から退場する。その間も、これまで浴びたことがないほどの拍手と声援が降りそそいでいた。
舞台裏につくなり、エセルがミッシェルの肩をつかんだ。エセルの目は吊り上がっており、その迫力は尋常ではない。
「こ、この刺繍は……【織姫】様の……!? いや、こんなドレスをマリア様が作れるはずがないわ。でも、【織姫】様の作品愛好歴八年の私が見間違えるはずが……」
エセルはそうぶつぶつ言いながら、ミッシェルの服のレースやフリルに目を近付けて穴が開きそうなほど眺めている。
ミッシェルは常とは違うエセルの態度に困惑しているようだ。
「あ、あの……エセルさん? いきなりどうなさったのです?」
「これ、本当にマリア様が作ったんですの?」
「え、ええ。そうですよ」
そんな会話がエセルとミッシェルの間でかわされる中──。
マリーは嫌な予感がして、そっと足音を忍ばせてその場を立ち去ろうとした。しかし、目ざといエセルに見つかってしまう。
「どこに行こうとしているんです! マリア様!!」
「ひぃッ!」
涙目のマリーに向かって、エセルは真剣な表情で詰め寄ってくる。
(正体が知られてしまった……!?)
バクバクと心臓の脈が速くなる。隣でカルロが警戒するように緊張しているのを視線で感じた。
エセルがマリーの手首をつかんだ。
「マリア様! あなた、さては……」
「あ、あの……」
「さては【織姫】様の知り合いなんでしょう!?」
「……え?」
てっきり、【織姫】が自分だと知られてしまったのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
エセルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「え!? じゃないですわ! ずるいじゃないの! 私が【織姫】様の大ファンなこと知っているでしょうに! それなのに、どうして彼女を独占しているんですの!? 伝手があるなら、私にも彼女を紹介してくださいませッ!!!!」
(そ、そうきたか……)
正体が知られていないことに一安心したが、これはこれで困る展開だ。
マリアにはこんなドレスは作れないだろうというエセルの思い込みが、マリアと【織姫】別人説を作ってしまったのだろう。
騒動に気付いた教師がやってきて、エセルをなだめる。
「いきなり大声を出してどうしたんだ?」
「だって、先生! マリア様が……」
そんな会話がされているのを尻目に、マリーは足早にその場を後にした。
背中に「ずるいですわよ! 後でしっかりお話を聞かせていただきますからね!」と叫ぶエセルの言葉を背中に浴びながら。
「マリア様ぁ──っ!? どこですの!? 隠れても無駄ですわよぉ~! 」
そう叫ぶエセルを、マリーは校舎裏の木の陰から覗き見ていた。
マリーはエセルが遠ざかっていくのを見て、ホッとする。
小高い場所のためかヴァーレン島を囲う海が夕日で染まっているのが目に入った。空の青と緋色が溶け合う水平線は、幻想的だ。
(綺麗……)
ふいに、校庭の方から潮騒に混じってダンス曲が聞こえてくる。
おそらく後夜祭のダンスパーティが始まったのだろう。
「あ、しまった……! カルロ様と約束していたんだった」
それを思い出して青くなる。
その時、マリーのいる木の裏から穏やかな声が聞こえた。
「マリア」
驚いて顔を向けると、そこにはカルロがいた。
「あっ、カルロ様!? すみません! 一緒にダンスパーティに出る約束だったのに……っ」
マリーは焦ってそう言う。
カルロはやんわりと首を振った。どうやら怒っていないらしい。
「いえ、気にしないでください。僕も先ほどまでエセル嬢をなだめたり、色んな後始末があって、手がまわっていなかったんです」
「あ……そうだったんですね」
なんだか申し訳ないような気分になってくる。エセルに関してはマリーが原因だから。
「えっと……じゃあ、会場に戻りますか?」
マリーは気が乗らなかったが、そう尋ねた。
エセルの興奮は収まるどころか徐々にヒートアップしているように感じられる。今出て行きたくなかったが、ずっと逃げ続ける訳にもいかない。
しかし、カルロはいたずらを思いついた子供のように微笑む。
「もし、きみが嫌でなければここで踊りませんか」
「え? ここで?」
「ええ。目立つのは嫌でしょう? エセル嬢に見つかると厄介ですし。でも、僕はきみと踊りたい。ここにも音は届いているから、二人だけの舞台としては十分でしょう」
(確かに、エセルさんに会うのはもう少し時間を置きたいけれど……)
「よろしいのですか? カルロ様は後夜祭のお仕事もあるのでは……?」
「大丈夫です。ほぼ終わらせてきましたので。あとは、最後に少し顔を出せば良いだけです。優秀な部下がそろっているので、僕がやることは、もうほとんどありません」
そう言って、カルロはそっと片手を差し出してきた。
マリーはその手をじっと見おろし、王都で初めて一緒に踊った日のことを思い出していた。けれど、あの時とは全然違う。
「……では、よろしくお願いします」
マリーはそっと彼の手に己の手を重ねた。
その途端、胸の奥に愛しさが込み上げてくる。
カルロもマリーを愛しているのではないかと勘違いしてしまいたくなるような、優しい瞳で彼女を見ていた。
(……やっぱり、私は……カルロ様のことが好きだ)
いけない感情だと知りながら、止めることができない。
日々彼への愛しさが募っていくことに気付かない振りをして、マリーは今日も偽物として踊り続ける。
(やっと完成した……!)
そして最終日に、ようやくミッシェルのドレスは完成した。
「わぁ! 素敵!」
ドレスをまとったミッシェルは、更衣室でそう顔を輝かせる。
補正具を下につけたスカートは全方位に丸く愛らしい形を作っている。
胸元から腹部を彩る刺繍はオキザリスの花と【勇気】と【願いが叶う】魔法陣を編み込んであった。ドレスの形状やレースはアリアがいた当時の流行りを取り入れてある。
「最初のドレスのイメージとは変わっちゃったけど……」
マリーは遠慮がちに言う。
「ううん、私、これが着たかったの。マリア、本当にありがとう」
目を潤ませながらミッシェルは言う。マリーの両手をつかみ、「最高の舞台にして見せるから!」と言った。
彼女はもうミッシェルではなく『ライラ』になっていた。
豊かな金色の髪は花と一緒に編み込んで背中に垂らしている。
髪飾りにはドレスと同じレースの髪飾りがつけられていた。化粧でそばかすも消え、華やかな美貌の少女に変身していた。
「綺麗……本当にお姫様みたい」
マリーは本心からそう言った。
お姫様になるように手を貸したマリーですら、ミッシェルの変化に驚いてしまう。
見た目もそうだが、まとう雰囲気が一変しているのはミッシェルがもう役に入り込んでいるからだろう。
「マリアったら、上手ね。でも嬉しいわ」
ミッシェルは、はにかみ笑いをした。
マリーは友人の手を握り、微笑む。
「本当よ。皆きっと思うはずだわ。間違いなく、今日の主役はミッシェルだって」
魔法陣の周囲を精霊達が踊っているのだ。
キラキラと陽光が反射し、祝福を受けているその姿は本物の【精霊のお姫様】のようだった。
残念ながら精霊達の姿が見えるのはマリーだけだが、観客にもその神々しさは伝わるはずだ。
(きっと、精霊達が力を貸してくれるはずよ)
マリーはそう信じて疑わなかった。
ミッシェルは「ありがとう! 行ってくる!」と更衣室から出て、舞台に向かっていく。
マリーが手伝えるのはここまでだ。
◇◆◇
舞台は佳境を迎えていた。
『私が女として育っていたら、彼に想いを告げることができたのだろうか……』
男装した王子リオンに扮するエセルが、舞台上でそう膝をつきながら嘆く。
ホールの扉や窓には暗幕が張られており、用意された席は満席になっており、立ち見客もいた。
端の方の席にミッシェルの母親のアリアが腰掛けており、彼女の隣にはフレデリック先生がいるのをマリーは舞台裏から確認する。隣にはカルロもいて、舞台の成り行きを見守っている。
エセルの熱演にも力が入った。
『いいえ、そんなはずがない。きっと、私が女の姿をしていても無理だった。だって彼は私にないものを持っているライラに惹かれたんだろうから……』
エセルはそう言うと、その場に崩れ落ちる。
舞台の上にある天窓から差し込む明かりが、スポットライトのように彼女を包んだ。
『どうして、こんなに双子なのに違うんだろう。……ライラが憎くて仕方がない。私が欲しかったものを何の苦労もせずに手に入れた彼女が。しかも、それが私の双子だなんて……神様はきっと私をお嫌いなんだ』
そしてエセルは手に持っていたナイフをつかみ、暗い決意をする。
『──そうだ、彼女に成り代わってやれば良い。見た目はそっくりなのだ……彼女に私の服を着せて殺し、死体を海に捨てよう。そして私がライラの格好をすれば、誰にも見破られるはずがない』
(……悲しい)
マリーは胸を痛めていた。
双子として生まれたのに、不運なめぐりあわせにより相手を憎んでしまうなんて……。
マリーだったら、そばにナイフがあったとしてもマリアのことを刺したりはしない。たとえ、そうすれば永遠に『マリア』のままでいられるとしても。
隣にいるカルロを、マリーはちらりと覗き見る。
(わずかな時間だけ見られる精霊の夢みたいなものだわ……どれほど甘美な誘惑であっても、それに屈してはならない。それは人としていけないことなのだから……)
だから婚約破棄しなければいけないと思うのに、うまくいかない。
「どうかしましたか?」
マリーの視線に気づいたカルロが尋ねてきたが、マリーは首を振った。そして再び舞台に目を向ける。
うずくまるエセルに、舞台に現れたミッシェルが近付いていく。マリーが作った宮廷ドレスをまとう彼女に、観衆からざわめきが生まれる。
「なんだ、あのドレスは?」
「見たことがないデザインだわ……」
「前にも後ろにも膨らみがある。綺麗なシルエットねぇ」
横に広がっているだけの補正具しか見たことがなかった人々は驚いたようだった。
天窓の陽光をあびて歌う彼女は、元が町娘だということを忘れさせるほど美しい。
『あら、リオン。ここにいたの? どうしたの、床に膝をついて。体が冷えてしまうわよ』
そう声をかけるミッシェルは、天真爛漫なライラそのものだった。
エセルは顔を上げて、暗い瞳でミッシェルを見つめる。スポットライトから外れているせいか、本当に暗い世界の住人のようだ。
『良いよな、お前は。庶民だったくせにお姫様になれて……しかも私の幼馴染の隣国の王子にも求婚されて……。皆から祝福されて! ハッピーエンドかよ、お前だけが……』
『リオン?』
『前に言ってたよな? 私は王子様のことが好きか分からないって。それなのに彼と婚約するのか?』
『それは……知らない人だけど、これからお互い知っていけば良いと思って。それに悪い人ではなさそうだし』
『それだけの理由で?』
『……私は王女として迎え入れられたのだもの。結婚相手なんて自分では選べないわ』
そうミッシェルが言うと、エセルはゆがんだ笑い声をたてた。
『良いねぇ、それで彼と結婚できる訳か。……お前が女だったから! ずるいだろう、そんなの。自ら望んで得た地位でないなら、私にその場所をくれよ』
『え……?』
勢いよく、エセルがミッシェルの腹部をナイフで刺した。もちろん模造剣だ。しかし、鬼気迫った演技に迫力がある。
ミッシェルは信じられないような目でエセルを見つめた。そして地面に倒れ込むと、全てを察したように涙を流した。
『ああ……あなたは兄ではなく……姉だったのね? ごめんなさい、気付けなくて……私の唯一の、姉さん……』
そう力尽きる直前にささやき、抱き上げたエセルの頬に手を伸ばして天使ように微笑むミッシェル。そして彼女は意識を失った。
カルロはマリーの隣で驚いたようにわずかに身を揺らした。それも当然だ。ミッシェルの台詞は台本にはないアドリブだったのだから。
(でも、すごく良いわ……)
リハーサルした時よりも、もっと良い──真に迫った演技だった。
それに魅せられたのか、ミッシェルの演技に飲まれたエセルは力尽きたミッシェルを呆然と見おろしていた。舞台の端から「エセル」と小さな声をかけられ、ハッとした様子で演技を続ける。
『私は後悔なんてしない……! するものか! だって、そんなことをしたら……私はいったい何のために……っ』
舞台が切り替わる。
王子や両親、国民からライラの振りをしていたことが知られてしまい、世界が崩壊していくさなか、エセルは玉座に腰かけていた。
彼女が最後に発した言葉は、愛する王子の名前ではなく──妹ライラの名前だった。
音楽が止み、辺りが鎮まる。
直後、割れるような拍手が観客席から沸き上がった。
役者、小道具係、衣装係のマリーと、総監督のカルロが壇上に集まって、一斉に深く礼をする。
(……成功した)
マリーの頬が熱くなる。観客席の端で、ミッシェルの母親のアリアが目じりに浮かんだ涙をぬぐっている姿が見えた。
再び大きく頭を下げて、舞台から退場する。その間も、これまで浴びたことがないほどの拍手と声援が降りそそいでいた。
舞台裏につくなり、エセルがミッシェルの肩をつかんだ。エセルの目は吊り上がっており、その迫力は尋常ではない。
「こ、この刺繍は……【織姫】様の……!? いや、こんなドレスをマリア様が作れるはずがないわ。でも、【織姫】様の作品愛好歴八年の私が見間違えるはずが……」
エセルはそうぶつぶつ言いながら、ミッシェルの服のレースやフリルに目を近付けて穴が開きそうなほど眺めている。
ミッシェルは常とは違うエセルの態度に困惑しているようだ。
「あ、あの……エセルさん? いきなりどうなさったのです?」
「これ、本当にマリア様が作ったんですの?」
「え、ええ。そうですよ」
そんな会話がエセルとミッシェルの間でかわされる中──。
マリーは嫌な予感がして、そっと足音を忍ばせてその場を立ち去ろうとした。しかし、目ざといエセルに見つかってしまう。
「どこに行こうとしているんです! マリア様!!」
「ひぃッ!」
涙目のマリーに向かって、エセルは真剣な表情で詰め寄ってくる。
(正体が知られてしまった……!?)
バクバクと心臓の脈が速くなる。隣でカルロが警戒するように緊張しているのを視線で感じた。
エセルがマリーの手首をつかんだ。
「マリア様! あなた、さては……」
「あ、あの……」
「さては【織姫】様の知り合いなんでしょう!?」
「……え?」
てっきり、【織姫】が自分だと知られてしまったのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
エセルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「え!? じゃないですわ! ずるいじゃないの! 私が【織姫】様の大ファンなこと知っているでしょうに! それなのに、どうして彼女を独占しているんですの!? 伝手があるなら、私にも彼女を紹介してくださいませッ!!!!」
(そ、そうきたか……)
正体が知られていないことに一安心したが、これはこれで困る展開だ。
マリアにはこんなドレスは作れないだろうというエセルの思い込みが、マリアと【織姫】別人説を作ってしまったのだろう。
騒動に気付いた教師がやってきて、エセルをなだめる。
「いきなり大声を出してどうしたんだ?」
「だって、先生! マリア様が……」
そんな会話がされているのを尻目に、マリーは足早にその場を後にした。
背中に「ずるいですわよ! 後でしっかりお話を聞かせていただきますからね!」と叫ぶエセルの言葉を背中に浴びながら。
「マリア様ぁ──っ!? どこですの!? 隠れても無駄ですわよぉ~! 」
そう叫ぶエセルを、マリーは校舎裏の木の陰から覗き見ていた。
マリーはエセルが遠ざかっていくのを見て、ホッとする。
小高い場所のためかヴァーレン島を囲う海が夕日で染まっているのが目に入った。空の青と緋色が溶け合う水平線は、幻想的だ。
(綺麗……)
ふいに、校庭の方から潮騒に混じってダンス曲が聞こえてくる。
おそらく後夜祭のダンスパーティが始まったのだろう。
「あ、しまった……! カルロ様と約束していたんだった」
それを思い出して青くなる。
その時、マリーのいる木の裏から穏やかな声が聞こえた。
「マリア」
驚いて顔を向けると、そこにはカルロがいた。
「あっ、カルロ様!? すみません! 一緒にダンスパーティに出る約束だったのに……っ」
マリーは焦ってそう言う。
カルロはやんわりと首を振った。どうやら怒っていないらしい。
「いえ、気にしないでください。僕も先ほどまでエセル嬢をなだめたり、色んな後始末があって、手がまわっていなかったんです」
「あ……そうだったんですね」
なんだか申し訳ないような気分になってくる。エセルに関してはマリーが原因だから。
「えっと……じゃあ、会場に戻りますか?」
マリーは気が乗らなかったが、そう尋ねた。
エセルの興奮は収まるどころか徐々にヒートアップしているように感じられる。今出て行きたくなかったが、ずっと逃げ続ける訳にもいかない。
しかし、カルロはいたずらを思いついた子供のように微笑む。
「もし、きみが嫌でなければここで踊りませんか」
「え? ここで?」
「ええ。目立つのは嫌でしょう? エセル嬢に見つかると厄介ですし。でも、僕はきみと踊りたい。ここにも音は届いているから、二人だけの舞台としては十分でしょう」
(確かに、エセルさんに会うのはもう少し時間を置きたいけれど……)
「よろしいのですか? カルロ様は後夜祭のお仕事もあるのでは……?」
「大丈夫です。ほぼ終わらせてきましたので。あとは、最後に少し顔を出せば良いだけです。優秀な部下がそろっているので、僕がやることは、もうほとんどありません」
そう言って、カルロはそっと片手を差し出してきた。
マリーはその手をじっと見おろし、王都で初めて一緒に踊った日のことを思い出していた。けれど、あの時とは全然違う。
「……では、よろしくお願いします」
マリーはそっと彼の手に己の手を重ねた。
その途端、胸の奥に愛しさが込み上げてくる。
カルロもマリーを愛しているのではないかと勘違いしてしまいたくなるような、優しい瞳で彼女を見ていた。
(……やっぱり、私は……カルロ様のことが好きだ)
いけない感情だと知りながら、止めることができない。
日々彼への愛しさが募っていくことに気付かない振りをして、マリーは今日も偽物として踊り続ける。