先生と私の三ヶ月
「ほら、ほら、ほら」と水戸黄門の印籠のように望月先生が契約書を私の目の前に掲げてくる。えーい、頭が高いーなんてセリフまで聞こえてきそうだ。

 見ず知らずの男の人と一緒に住むなんて純ちゃんに何て言ったらいいの? きっとダメだって言うよね。

 どうしよう。純ちゃんにこんな事言えない。

 そうだ。通いだったらまだマシかも。

「あのー、通いだったら問題ないんですけど」
「住み込み以外はダメだ。夜中に呼び出しても来られないだろ?」
 夜中って……。
「夜中に用事を言いつける気ですか?」
「俺は夜の方が筆が乗るんだ。電車のない時間に容赦なく呼ぶぞ。タクシー使ってくるか? あ、タクシー代は自腹な。そっちの都合なんだから」

 ぐぅぅ。いじわる。やっぱりこの人性格が悪い。

「どうする? 通いにするか?」

 東京から横浜まで毎日タクシーなんて使ったら50万円のお給料があっという間に吹き飛んじゃう。
 夜中に自分で車の運転をして来るのも怖いし。

「主人と相談させて下さい」
「いちいち旦那の伺いを立てないと自分の事も決められないのか?」

――いちいち僕に聞くな。子どもじゃないんだから。

 望月先生の言葉と純ちゃんの言葉が重なった。
 そうだった。そういう所を変えたいから、今回アシスタントに応募したんだった。

 純ちゃんからちゃんと自立しないといけないんだ。
 これは自分を変える為の試練なんだ。

「わかりました。住み込みで三ヶ月働きます!」
 覚悟を決めて、望月先生を見た。
 望月先生の大きな黒目が驚いたように揺れる。

「意外と決断力はあるんだな。じゃあ、よろしく」
 差し出された手に応える為に、手を出すと大きな手が私の手を包み込んだ。温かくて力強い手だ。男の人の手なんだと思った時、心臓がギュッと締め付けられた。

 この人に関わってはいけない。
 防衛本能のような物がそう訴えるが、逃げ出したくなかった。純ちゃんと向き合う為に臆病な自分を変えたかった。
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