先生と私の三ヶ月

最終話 「今日子」

 リビングのソファに腰を下ろすと、先生がテーブルの上にダブルクリップで留めた紙の束を置いた。

 出て行くつもりだった。
 門の所で先生に捕まり、先生はどうしても今日子に聞いて欲しい話がある、この通りだと、私の前で土下座した。

 びっくりした。黒田さんに空港でされた事はあったけど、まさか先生にも土下座をされるなんて。

 さすがに先生にそこまでされては無視できず、渋々戻って来た。

「今さらなんですか? 小説の事ですか? 知ってますよ。私をヒロインにして書いたんでしょう? 全部知っているんですよ。最初から先生が私を利用するつもりだったって。それでも聞く事があるんですか?」

 向かい側に座る先生が青白い顔を浮かべていた。
 乱れた水色のパジャマ姿がくたびれて見える。

「知っていたのか。上原に聞いたんだな」
「はい。先生の入院中に全部聞きました」
「そうか。今日子の様子がおかしかったから何かあると思っていたが、そういう事だったのか。上原は何と言ったのだ?」
「全て嘘だったと。先生の心に私はいないと。私の存在は替えのきくものだと」
 先生が大きなため息をついた。

「酷い嘘だな」
「……嘘? 何が?」
「恋愛小説を書く為にヒロインが必要だった事は本当だ。最初から今日子を小説の為に利用していたのも本当。しかし、小説を書く為に今日子を好きになったのではない。今日子と一緒にいて本当に愛してしまったんだ。自分でも戸惑ったが、もうお前なしには生きられない」

 ドクンッ――! 鼓動が大きく鳴った。
 先生の言葉が嬉しくて、心臓が熱くなる。

 でも……。

「そんな事言われて、信じられると思いますか?」
「嘘は言っていない。好きも、愛しているも、本当にそう思うから今日子に気持ちを伝えて来た」

 胸が震える。
 先生の言葉はいつだって心に響いた。

「でも、でも……」
「俺の書いた小説を読んでくれ。この小説を読めば俺の気持ちが本物だとわかる」
 紙の束を先生が私に差し出した。
 一度読んでいる。今さら読む意味があるのかと思ったけど、紙をめくると印刷されていたタイトルが前に読んだものとは違っていた。

 タイトルは「今日子」とあった。
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