先生と私の三ヶ月
 物語は「小説家」の目線で語られるもので、小説のヒロインとしてそばに置いていた「今日子」を好きになっていく事への戸惑いと、「今日子」には内緒で「今日子」をモデルに小説を書いている事への罪悪感が痛いほど、伝わって来た。

 そして、「今日子」を好きになる程にパリのテロ事件で亡くなった元妻への罪悪感も増していく。

 「小説家」は元妻が自分の子どもを産んでいた事も知らなかった。知ったのは亡くなったあとだった。

 元妻を信じて一緒にいれば死なせる事はなかったのではないかという「小説家」の後悔がとても強く書かれていた。

 毎日のように自分を責め続ける「小説家」の場面を読んでいる時、胸が締め付けられ、涙が浮かんだ。

 そして、そんな「小説家」を癒し、救った存在が「今日子」だった。「今日子」が作る心のこもった手料理や、夫の事で悩みながらも平気なふりをしている「今日子」のいじらしさに「小説家」は惹かれていく。後半は「今日子」の事が好きで堪らないという「小説家」の気持ちがずっと書かれていた。
 こんなにも愛されている「今日子」に読者として嫉妬してしまう程だ。

 山場は小説を完成させた「小説家」が「今日子」に本当の事を言うべきか葛藤している所だった。
 「小説家」は「今日子」が離れていくのを死ぬ程、恐れていた。

 悩み続けた「小説家」はついに真実を打ち明ける。「今日子」は失望し、全てが嘘だったと思い込み、「小説家」の元を去る。恐れていた事が起きて「小説家」は失意のどん底に落ちるが、「今日子」への想いを書いた小説を書き、「今日子」に届ける。その小説を読んだ「今日子」は「小説家」の気持ちが本物だったと確信し、「小説家」の元に戻るが、「小説家」は「今日子」のいない生活に絶望し、命を絶っていた。

 悲しいラストに胸が千切れそうになる。
 これは小説の中の話だけど、現実のようにも思え、小説家の死が先生の死のようで涙が溢れた。
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