黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
「なに。俺の婚約者にならなきゃ、部屋の修理、治療費、飲食代諸々の代金をすぐさま支払ってもらう。あとは不法侵入に、先ほど押し倒されたのは、暗殺未遂なんてことも出来なくはない」

 弱みに付け込んで強要する。少しでも眼前の男を信じていた自分が馬鹿みたいだ。苛立ちをあらわにしてダリウスを睨む。

「なっ……! 卑怯者。やっぱり、人間ってみんな同じね」
「俺だってそうしたくはない。──が、どちらにしても、お前をここに置くには俺との関係を明確にする必要があるからな」
「じゃあ、出ていくわ」
「その怪我でか? お前の探し人をどうやって見つけるんだ?」

 ダリウスの正論に私は一瞬、言葉に詰まった。
 だがそれでもこの男の提案を呑みたくない。

「うっ……。じゃあ、客なら!」
「ユヅキをただの客人として迎えたくはない。だいたい、お前の怪我を早く完治させるのなら、俺の傍に居る方がいいだろう。一緒に寝泊まりして他の者たちが『普通の客』だと思う訳無いだろう。世間体が悪くなるのはお前だぞ」
「それは……」
「それとも愛妾と呼ばれたいのか? 生涯たった一人しか愛さない龍神族にとって屈辱だったはずだが」
「ううっ……! ダリウスの馬鹿。嫌い」
「きら……」

 私の言葉に彼は酷くショックを受けていた。けれどもダリウスが強引なのがいけないのだと、私は自分を弁護する。

(ダリウスが良い人だと思っていた私が馬鹿だったわ。私を助けたのだって、単にちょうどいい役回りだから──)
「ユヅキ。……今すぐに婚約者として俺を見て欲しいとは言わない。ただお前の傷が完治するまで、そして三か月後に来る婚約者たちの前で、婚約者「役」として傍にいてくれないか?」

 真剣な声に気持ちがぐらりと揺らぐ。
 ダリウスの提案は魅力的だし、メリットも大きい。けれど嬉々として語る男の姿に、私はどうにも頷きたくないのだ。意地のようなものなのかもしれないが。

(ずるい……)
「これでも譲歩しているんだ」
「……これで? 殆ど脅しにしか聞こえないのだけれど?」 
「本当に脅すのなら、俺としか結婚できない体にしてしまう──というのもある」
「!」

 低い声に、私は一瞬でこの男が冗談で言っている訳じゃないと気づく。「惚れた」というのは嘘だったとしても、三か月後に控えている婚約者たちを追い払うのに、どうあっても龍神族の私を巻き込みたいようだ。
 ダリウスを鋭く睨むも、彼は言葉を曲げなかった。まっすぐに私を見て言葉を待つ。腹立たしくて、下唇をキュッと噛みしめる。

(ずるい、ずるい……)
「ユヅキ」

 今にも泣きそうな顔をするのは、反則じゃないか。そんな甘い声で私の名前を呼ばないで欲しい。勘違いしてしまいそうになる。本気なのか、《役》として必要としているのか。今の私には判断がつかない。
 信じて──その結果、何度も人間に裏切られたのだから。
 信じたいけれど、怖い。その熱を持った瞳が冷たくなる時が来るかもしれない。笑顔が強ばり、関係が崩れるかもしれないのを想像すると、胸が苦しくなる。

(私が選べる答えなんて用意してないくせに……!)
「この国に来たばかりで、目まぐるしく環境が変わって、その上やる事があるのは重々承知している。だが、俺はお前のことを諦める気はない。俺は本気だ。最初にお前を見た時から──」
「わかったわよ! 魔導具も作って、婚約者《役》も演じればいいんでしょう!」

 半ば自棄になって私は答えた。
「本当に手を出される前に彼の口車に乗るしかない」という言い訳を用意して私は自分自身に言い聞かせる。これ以上、彼の言葉に耳を傾けたら信じてしまいそうだった。

(違う。これは……きっとそう、気の迷い。私が珍しいから……。そういえば刀夜もこんな風に、私をからかって遊んでいた気がする。もっとも刀夜の場合、にっこりと満面の笑みだから違う怖さがあったような……)
「役、はいらないのだがな」

 それでもダリウスは心から安堵していた。私が《婚約者役》を引き受けることで全て彼の望み通りに事が進んだ。それが少し複雑で、気に入らなくて私は唇が開く。

「そんなに私をからかって面白いのかしら? 刀夜もよくそうやって私を──」
「ユヅキ」
「ん、なによ?」
「俺以外にも似たような手法を使って、恋人役など引き受けてないだろうな?」

 ずい、と顔を近づけるダリウスに、私は両手で顔を押し返す。

「あるわけないでしょう! あと近い」
「むっ……、ならいい。ではよろしく頼む、婚約者殿」
「…………」

 私は頷きたくなくて顔を逸らす。だが、それがいけなかったようだ。
 ダリウスはそっと私を抱きしめる。確実に「わかった」と言わない限り離さない気だ。彼の熱意──と言うより、意地に根負けした私は白旗を上げた。
 ムキになった方が負け。本気になったら──負けなのだ。

「わかったわ」
「ああ。俺の婚約者殿は聞き分けがよくて助かる」
(言わせたくせに……)

 頬に口付けをするダリウスは、完全に恋人扱いだ。唇にしないのは──気を遣っているのか、それとも「役」だからか。些細な事を聞くのが怖かった。だから私は卑怯にも自分の気持ちに蓋をして誤魔化す。

「あくまでも婚約者のフリですからね」
「ああ。今はそれで構わない」

 浮かれすぎだと口を開きかけて──唇をキュッと閉じる。無邪気に笑う彼に私は身をゆだねた。
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