黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
幕間 ダリウスの視点
皇劉暦七八三年九月後半。
傷が完治したことで、ユヅキは場内を周り歩くようになった。いつの間にか侍女たちにも気に入られたようで、ドレスアップして着飾られた彼女の姿は凛とした美しさをより際立たせていた。
その美しさはもちろん、自然体で過ごす彼女にますます惹かれたのは言うまでもない。どれだけ惚れさせれば気がすむのか。
ほんの少しずつだが、彼女の心が自分に向いている──あるいは意識しているのを感じているから、余計にそう思うのかもしれない。
ユヅキの読んでいる本は、皇国イルテアの歴史と、かつて西の果てにあった魔法国家ヴァルハラの記録や物語。龍神族への信仰が目立つようになったのは、魔法国家ヴァルハラの一件からだ。神々の御使いを邪悪な龍へ貶めた人類史の汚点。龍神族を祭り、崇める者たちが皇国イルテアを築いた。
(天界と地上では時間の流れが異なるといっていた。となれば魔法都市ヴァルハラで亡くなった龍神族はユヅキの知り合いだったのかもしれないな。それとも大切な人だったのか?)
ユヅキが恋愛に対して消極的なのは、それが原因なのではないか。それとも忘れられない人の影響で、恋をするのを怖がっているのかもしれない。
俺に出来ることは何かあるだろうか。
そんなことを思いながら数日が過ぎたある日。
執務を早めに切り上げて部屋に戻る途中、ユヅキが中庭に居ることに気づいた。三階から庭園は一望できるのだが、その中でも彼女は目立つ。彼女が考案した魔導具によって部下やカイルたちとの時間が増えたことは新鮮だが、やはり早くユヅキに会いたい。
今日はAラインの大胆なフリルの付いた桃色のドレスを着こなしていた。背中が少し空きすぎている気がするが、よく似合っている。髪も侍女によるトリートメントなどでより艶やかで、美しくなっていく。
(ダメだ。待つと言ったのに、気持ちが急いてしまう)
自分がここまで誰かを思い煩うとは思わなかった。
ふとユヅキが薔薇の垣根、いやその向こうの何処かへと手を伸ばす。その先は東屋があるだけだ。誰かがいる訳でもない。
今にも泣きそうな姿に俺は瞬時に三階から飛び降りて、庭園へと向かっていた。俺の気配に気づいたのかユヅキはすぐさま振り返る。
「──ダリウス?」
ふわりと、淡藤色の髪が揺らぐ。
彼女は涙目でそれを隠そうとしつつも、隠し切れなかった。そんな弱さも愛おしく思い、そして悲しい顔に胸が軋んだ。
「どうして空から──」
彼女の疑問を答えずに、俺はユヅキを抱き寄せる。腕の中に納まる華奢な体。わずかに薔薇の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
近くで見ると彼女のまつげは長く、肌も白く柔らかい。瞳はどんな宝石よりも美しく、じっと俺を見つめる。俺をただのダリウス=フォン・カーライルとして見てくれる初めての相手。
百戦錬磨の猛者でありながら、優しい龍神族の娘。他人に甘くて自分に厳しい。惚れないわけがない。
気持ちが逸って頬にキスをする。以前は驚きと困惑が入り混じっていたが、今は少し違う。頬を赤らめて、身悶えする程度だ。
今は一方的でも、いつかユヅキから──。
感情を抑え込む。今、俺に言える言葉はそれじゃあない。
「……一人で泣くな」
「……!」
「事情を話さなくてもいい。お前が泣き止むまで傍に居てやる」
「……ありがとう」
彼女の背負っているものを半分でいいから分けて欲しい。そう告げると彼女は胸元に頭をそっと寄せた。それが今の彼女の答えだったとしても、突っぱねられるよりはいい。怖がりで臆病な愛おしい人に、俺は精いっぱい微笑んだ。