黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
今回、《降魔ノ森》に出現したのは全身墨色の肌をした魔物ガーゴイルだった。
人間に近しい姿をしているが体の一部は左右非対称で片腕は獣、片足は蜘蛛、顔が二つなど奇怪な姿をしている。ダリウスたち騎馬隊目掛けて一斉に襲い掛かる──はずだった。
だが私とダリウスの機転で、襲撃は回避。
ガーゴイルたちを一掃するまでに、さほど時間はかからなかった。思った以上にダリウスの部隊は有能なようだ。私は周囲に魔物がいないか確認したのち、彼らと合流した。
魔物との戦闘で、だいぶ森の奥深くへと入り込んでしまった。
もうすぐ日が暮れる。さすがに夜の森を歩くのは方向感覚を狂わされる可能性もあるということで野宿となった。
赤紫の夕暮れが空を染める。
城砦までは八十キロほどだろうか。その辺は鬱蒼と生い茂る森の木々などで、城壁はおろか城砦の塔もよく見えない。魔法陣を使ってダリウスたちを城砦に転移することは可能だが、《降魔ノ森》の土地を調べるにはちょうどいいので、私は黙っていることにした。
(魔物を転送している装置があるのなら、調べておく必要もあるもの……)
野宿の場所として選んだのは、湖の周辺だった。
そこにはいざという時に非常食や備品などをストックするための建造物も見え、必要最低限の寝床や非常食があることに私は安堵した。こういった管理や備蓄、用意周到なところは指揮官として優秀だと認めざるをえない。
建造物はレンガ造りの倉庫で結構年季が入っている。さすがに中で寝泊まりは難しいが、この建造物の周辺は魔物を遠ざける術式魔法が組まれているようだ。
(野宿かぁ、懐かしいわね。父様と母様ともしたことあるけれど、テントを張ったりして楽しかったわ)
「ユヅキ」
振り返ると鎧を纏ったままのダリウスがいた。
兜も脱がずにいるのは、その甲冑が魔力の放出を抑え込んでいるのだろう。私が近くにいるのもあってか気分が悪くなる者や、倒れそうな兵士は今のところいなかった。
数十名の兵士たちにそれぞれ役割を与えているダリウスは、前帝と呼ぶふさわしい手腕を発揮していた。少なくともその姿は、昔見た権力の威光を振りかざすような屑ではなかった。むしろ為政者として立派とすら思う。
そうあの時の「人間とは違う」ともうとっくの昔に認めている。
(でも……わかっていても、戦場ではやっぱり近寄りがたいのだけれど……)
「ユヅキの休むためのテントを用意しておいたから、先にそこで休んでいてくれ」
兜で彼の表情は読みづらい。たぶん私を気遣ってくれたのだろう。
「そう。じゃあ、私は先に休ませてもらうわ」
本当は手伝おうと思ったのだが、やることが無くなってしまった。
今まで過剰なスキンシップが夢か何かと思うほど、今のダリウスとの距離が遠い。距離にして三十センチ前後だろうか。もっとも生死がかかる状況で、腑抜けられた方が困るのだが。それでも私は少しだけ胸がチクチクと痛んだ。
そう、少しだけ──。
***
ダリウスが用意してくれた場所には、カイルが案内をしてくれることになった。彼は細身だが背丈は私よりも頭一つ分ほど高い。あの手合わせ以降、私を「師匠」と仰ぎ奉る姿勢には全くといっていいほど慣れない。師匠呼びをやめるように言ったのだが、粘り強さで私が白旗を上げた。
「師匠、また時間が取れたら手合わせをお願いしたいのですがよいでしょうか?」
「傷の完治もしたし、ダリウスがいいというなら……」
「殿下の承諾ですか……死んでも、もぎとってきます!」
「いや死んだらダメなんじゃ……」
嬉々として話しかけるカイルに、私は疑問を投げかける。
「カイルは、龍神族が怖くはないの?」
「へ? 何をおっしゃっているのですか! 皇国イルテアは龍神族の末裔が建国したのですよ。龍神族に対してそのようなことなど国民一同誰も思っておりません。むしろ我らにとっては敬愛する方々といっても過言ではありません」
確かにダリウスはそう言っていたし、歴史書にもそう記されていたが、やはり言葉にされると衝撃がある。
カイルからも「この国の歴史と龍神族への認識」を尋ねたところ、やはり千年前とは異なり、龍神族に対しての見る目が著しく変わっていた。
(本当にあの頃とは違う。人の認識とはこんなに変わるものなのね……。それとも、そうなるように仕向けた? 誰が──)
「師匠にはこれからいろんな魔法を学びたいです。いいですよね!? ね!」
「いや、ええっと……。あ、あの白いのが今日の寝どこかしら?」
「はい、そうです。……で、師匠! どうなのでしょうか?」
話を無理やり逸らしたが駄目だった。
子犬のような目で見ないでほしい。そこから感じ取れるのは純粋な好奇心と、好意。人間からの頼まれごとは今までさんざん聞いてきた。けれどカイルのそれは全く違う熱量と、尊敬の念がある。
「ああー、もう。わかった。考えてみる、今はそれでいいでしょう」
「はい! 約束ですからね、師匠!」
ガッツポーズをとりながら、カイルはそのままダリウスの元へと戻っていった。すでに断らなかったことに猛烈に後悔した。
吐息を漏らすものの、思いのほか気分はよかった。
カイルといると兄様とのことを思い出す。だからだろうか。不思議と断れないのだ。
(まあ、ここに居る間ならいいか)
真っ白で広々とした巨大なテントが張り巡らされていた。絶対に一人用ではなく、テントの中に小部屋と思われる部屋がいくつかあるようだ。中に入ると案の定、寝室とシャワー室、そして食事場所と最低三つの部屋があった。いつもなら「テントの中を回ってみよう」と心躍るのだが、先ほど話題に出た龍神族に対する認識の変化について、頭の中でずっと引っ掛かっていた。
ふとそこで私は刀夜の言葉を思い返す。
『結月、僕と一緒に世界の支配者となって、魔物と人間双方を滅ぼそう』
『……なら、こうしよう。良心を持ついい人間なら殺さない。昔の逸話にあったように悪い人間なら、その肉体は塩の柱にする。どうだい?』
『大丈夫ですよ、結月。陽善と約束をした未来を作りに行く。少しばかり血なまぐさい事になるかもしれないけれど、それでも犠牲は最小限に抑える努力はしてみる』
あの時、刀夜は気でも狂ったのかと思った。
だがその発言をしたのは、あの知略に長けた刀夜だ。ならば既にあの時には、こうなるように仕向けていた。
思考は加速し、私は一つの仮説に辿りつく。
例えば──イルテアを建国に刀夜が関与していたとしたら?
人間に近しい姿をしているが体の一部は左右非対称で片腕は獣、片足は蜘蛛、顔が二つなど奇怪な姿をしている。ダリウスたち騎馬隊目掛けて一斉に襲い掛かる──はずだった。
だが私とダリウスの機転で、襲撃は回避。
ガーゴイルたちを一掃するまでに、さほど時間はかからなかった。思った以上にダリウスの部隊は有能なようだ。私は周囲に魔物がいないか確認したのち、彼らと合流した。
魔物との戦闘で、だいぶ森の奥深くへと入り込んでしまった。
もうすぐ日が暮れる。さすがに夜の森を歩くのは方向感覚を狂わされる可能性もあるということで野宿となった。
赤紫の夕暮れが空を染める。
城砦までは八十キロほどだろうか。その辺は鬱蒼と生い茂る森の木々などで、城壁はおろか城砦の塔もよく見えない。魔法陣を使ってダリウスたちを城砦に転移することは可能だが、《降魔ノ森》の土地を調べるにはちょうどいいので、私は黙っていることにした。
(魔物を転送している装置があるのなら、調べておく必要もあるもの……)
野宿の場所として選んだのは、湖の周辺だった。
そこにはいざという時に非常食や備品などをストックするための建造物も見え、必要最低限の寝床や非常食があることに私は安堵した。こういった管理や備蓄、用意周到なところは指揮官として優秀だと認めざるをえない。
建造物はレンガ造りの倉庫で結構年季が入っている。さすがに中で寝泊まりは難しいが、この建造物の周辺は魔物を遠ざける術式魔法が組まれているようだ。
(野宿かぁ、懐かしいわね。父様と母様ともしたことあるけれど、テントを張ったりして楽しかったわ)
「ユヅキ」
振り返ると鎧を纏ったままのダリウスがいた。
兜も脱がずにいるのは、その甲冑が魔力の放出を抑え込んでいるのだろう。私が近くにいるのもあってか気分が悪くなる者や、倒れそうな兵士は今のところいなかった。
数十名の兵士たちにそれぞれ役割を与えているダリウスは、前帝と呼ぶふさわしい手腕を発揮していた。少なくともその姿は、昔見た権力の威光を振りかざすような屑ではなかった。むしろ為政者として立派とすら思う。
そうあの時の「人間とは違う」ともうとっくの昔に認めている。
(でも……わかっていても、戦場ではやっぱり近寄りがたいのだけれど……)
「ユヅキの休むためのテントを用意しておいたから、先にそこで休んでいてくれ」
兜で彼の表情は読みづらい。たぶん私を気遣ってくれたのだろう。
「そう。じゃあ、私は先に休ませてもらうわ」
本当は手伝おうと思ったのだが、やることが無くなってしまった。
今まで過剰なスキンシップが夢か何かと思うほど、今のダリウスとの距離が遠い。距離にして三十センチ前後だろうか。もっとも生死がかかる状況で、腑抜けられた方が困るのだが。それでも私は少しだけ胸がチクチクと痛んだ。
そう、少しだけ──。
***
ダリウスが用意してくれた場所には、カイルが案内をしてくれることになった。彼は細身だが背丈は私よりも頭一つ分ほど高い。あの手合わせ以降、私を「師匠」と仰ぎ奉る姿勢には全くといっていいほど慣れない。師匠呼びをやめるように言ったのだが、粘り強さで私が白旗を上げた。
「師匠、また時間が取れたら手合わせをお願いしたいのですがよいでしょうか?」
「傷の完治もしたし、ダリウスがいいというなら……」
「殿下の承諾ですか……死んでも、もぎとってきます!」
「いや死んだらダメなんじゃ……」
嬉々として話しかけるカイルに、私は疑問を投げかける。
「カイルは、龍神族が怖くはないの?」
「へ? 何をおっしゃっているのですか! 皇国イルテアは龍神族の末裔が建国したのですよ。龍神族に対してそのようなことなど国民一同誰も思っておりません。むしろ我らにとっては敬愛する方々といっても過言ではありません」
確かにダリウスはそう言っていたし、歴史書にもそう記されていたが、やはり言葉にされると衝撃がある。
カイルからも「この国の歴史と龍神族への認識」を尋ねたところ、やはり千年前とは異なり、龍神族に対しての見る目が著しく変わっていた。
(本当にあの頃とは違う。人の認識とはこんなに変わるものなのね……。それとも、そうなるように仕向けた? 誰が──)
「師匠にはこれからいろんな魔法を学びたいです。いいですよね!? ね!」
「いや、ええっと……。あ、あの白いのが今日の寝どこかしら?」
「はい、そうです。……で、師匠! どうなのでしょうか?」
話を無理やり逸らしたが駄目だった。
子犬のような目で見ないでほしい。そこから感じ取れるのは純粋な好奇心と、好意。人間からの頼まれごとは今までさんざん聞いてきた。けれどカイルのそれは全く違う熱量と、尊敬の念がある。
「ああー、もう。わかった。考えてみる、今はそれでいいでしょう」
「はい! 約束ですからね、師匠!」
ガッツポーズをとりながら、カイルはそのままダリウスの元へと戻っていった。すでに断らなかったことに猛烈に後悔した。
吐息を漏らすものの、思いのほか気分はよかった。
カイルといると兄様とのことを思い出す。だからだろうか。不思議と断れないのだ。
(まあ、ここに居る間ならいいか)
真っ白で広々とした巨大なテントが張り巡らされていた。絶対に一人用ではなく、テントの中に小部屋と思われる部屋がいくつかあるようだ。中に入ると案の定、寝室とシャワー室、そして食事場所と最低三つの部屋があった。いつもなら「テントの中を回ってみよう」と心躍るのだが、先ほど話題に出た龍神族に対する認識の変化について、頭の中でずっと引っ掛かっていた。
ふとそこで私は刀夜の言葉を思い返す。
『結月、僕と一緒に世界の支配者となって、魔物と人間双方を滅ぼそう』
『……なら、こうしよう。良心を持ついい人間なら殺さない。昔の逸話にあったように悪い人間なら、その肉体は塩の柱にする。どうだい?』
『大丈夫ですよ、結月。陽善と約束をした未来を作りに行く。少しばかり血なまぐさい事になるかもしれないけれど、それでも犠牲は最小限に抑える努力はしてみる』
あの時、刀夜は気でも狂ったのかと思った。
だがその発言をしたのは、あの知略に長けた刀夜だ。ならば既にあの時には、こうなるように仕向けていた。
思考は加速し、私は一つの仮説に辿りつく。
例えば──イルテアを建国に刀夜が関与していたとしたら?