黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
◆幕間 ダリウスの視点
ユヅキが稽古をしたいと言い出した時、俺は彼女がここを出て行く準備をしていると勘繰ってしまった。
彼女からしたら魔物討伐に向けてのリハビリだったのかもしれない。いや同胞を探すという目的もあった。最悪同胞と戦う可能性もあると、考えていたのだろう。
話を聞く分にトーヤという男は、ユヅキのそんな優しさすら利用するような冷血漢だ。目的のためなら手段は選ばない。
その辺は弟に似ているだろう。大なり小なり俺も割り切ることや切り捨てることも止むなしと、判断するところを彼女は助けに飛び出すタイプだ。
つまりは戦場で真っ先に死ぬ。だが龍神族という類い稀なる力に恵まれたからこそ、生き残ったのかもしれない。出会った時に見た血塗れの彼女を思い出し、これ以上傷ついて欲しくない。
もしトーヤと一戦交えるのなら、俺が始末を着けてもいい。もっともユヅキにそう言ったら困るだろうけれど。
「というわけで、一時間後にユヅキを交えた模擬戦を行う。参加者は巡回の警備と通常勤務の中から一個小隊の編成を頼む」
執務室で俺は報告書の確認を行いながらカイルに指示を出す。カイルは俺から十メートルほど離れた席で書類に埋もれている。
俺が確認して手続きをカイルと侍女長のクララに任せている。クララはユヅキに皇太后として城砦内の管理手続きを引き継いでいるとかで、侍女長の仕事量はだいぶ減ったそうだ。
ユヅキは真面目でのみ込みも早く、あの厳しいクララが自慢気に話していた。俺としても鼻が高い。あと知らない間にユヅキの外堀を埋めているのは驚いた。クララは、ユヅキが皇太后役だというのを知っているのだが。老婆心が出たようだ。
『いいですか、閣下。惚れ込んでいるのなら有りとあらゆる手段を使って、繋ぎ止めるのです。侍女たちの調査によると、閣下が初恋で一目惚れだったとか。脈はなくはないのですから、ゆっくりと確実に〆るのです』
完全に殺る感じの言い回しだったが、クララの言いたいことは察した。
(ユヅキのことを考えていたら、会いたくなって来た……。あと一時間もすれば稽古で会うしな。まあ、ユヅキの実力を知る上ではちょうどいいか)
そう思って、俺はふと思った。
いの一番にユヅキと手合わせをするとして、もし加減ができなかったら?
「閣下、仕事手伝ってくれないと死んじゃいます」
「そうか、じゃあ死ね。こっちはそれどころじゃない」
「酷い!?」
書類に埋もれたカイルはやる気ゼロ、死にかけている。このところ龍神族についての書物を漁って寝不足なのが原因だろう。
「ふむ、ではユヅキと最初にカイルが手合わせをするか?」
「え!? 閣下、今なんと?」
「その書類をさっさと片付けられたら、ユヅキと一対一の勝負をしてもいい」
「速攻で片付けます!」
「あと、ユヅキに惚れるなよ」
「もちろんです。あ、師匠と崇め奉るのはいいですか?」
「それはいいが……。カイルと互角かそれ以上であればいいのだがな」
カイルは手を動かしながらダリウスに答える。一気に処理速度が上がった。
「閣下、純粋な龍神族ですよ。下手したら閣下と同等って可能性の方が高いんじゃないですか?」
「それは困る」
「閣下も、惚れた女より弱いってのは嫌なんで?」
「いや、褒美がもらえない」
「閣下……」
ユヅキからのキスが欲しいのは当然だ。惚れた女からのキスがもらえるのなら是が非でもほしいが、あくまでも彼女の安全が優先だ。そう俺は自分自身に誓った。
***
俺の予想に反してユヅキは強かった。あのカイルを赤子のようにあしらうのだから。だが気のせいだろうか、いつになく彼女は生き生きしていたし、楽しそうに舞う。向ける相手がカイルだというところが少し腹立たしく感じられた。
苛立ちを抑えようにも、自分が思っていた以上に幼稚な子供だと知る。気づけば、無詠唱で俺は二人の間に衝撃波を放っていた。
感知能力が高いユヅキは素早く後方に下がる。回避の際、さらに速度が上がったように見えたが──。
苛立ちはあるが、それ以上にうずうずと気持ちが逸る。
「次は俺と踊ってもらおう」
ユヅキとの一騎打ちは楽しかった。これほどまで心躍る手合わせは、いつぶりだろうか。
「ダリウスだって、詠唱省略しているじゃない!」
「別に出来ないとは言ってないだろう」
「むう」
そう言って頬を膨らませるユヅキがあまりにも愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。彼女の強さに惚れ惚れする。
戦闘スタイルがあまりにも天才的だったからだ。死線を潜り抜けてきたというのもあるのだろうけれど、それだけでここまでの熟練度にはならない。
まさに天賦の才。悠然と戦場を駆ける戦乙女だろうか。
(ああ、本当に。俺の予想を簡単に覆してくれる)
無駄のない動き、そして一つ一つの所作が優雅なのだ。まるで舞うように、ひらりひらりと躱す。かといって膂力がないわけではない。
やはりそこは純粋な龍神族なのだろう。
傷つくのを恐れず、俺の放つ刃をすれすれで躱し、刃が頬に掠めるのも気にせず──超至近距離からみぞおちにかけてのゼロ距離の突き。
ギィイイン──。
俺はとっさに鞘をユヅキの刀身にぶつけて、威力と軌道をずらす。危なかった。本当にとんでもない戦闘スキルとセンスだ。
刃を重ねるごとに伝わってくる想いは、自分ではなく何かを守ろうとする優しさからだ。自分の私利私欲のためには、力を行使しない。優しすぎる。
(ああ──だからこそ俺が勝って、お前が頼れる男だと証明しよう)
全力で挑もうとした矢先、タイミング悪く魔物が出現する。勝負を中断せざる得なかった。本当はユヅキを連れて降魔ノ森に向かうことを躊躇うものの、戦力としては申し分ないと判断し遠距離からの後方支援を頼んだ。
ユヅキが俺の前に現れてから、そればかりで世界の色がより鮮やかになる。
(ああ、本当にどこまで骨抜きにするつもりなんだか)
***
出現したガーゴイルを殲滅すると、すっかり日が傾きつつあった。野営すると決定した段階で兵に次々と指示を出す。
ユヅキとの勝負は中断されたが彼女の新しい一面を見られただけでも、良しとしよう。それよりも業務を早く終わらせて、彼女との時間を設けよう。
ユヅキは自分のことをあまり語らない。だがもう少し踏み込んでも大丈夫そうな気がした。
全ての業務を終え戻ってきたカイルに引継ぎ、俺は急いで野営テントへと向かった。本当は真っ先にユヅキの元に向かうつもりだったが、甲冑を纏っていたせいで服もそうだが、汗だくのままというわけにもいかず、軽くシャワーを浴びることにした。
先に食事でもしているかと思ったが、彼女の姿はない。寝室ではガウンを羽織っただけという、なんとも魅惑的な──いや無防備すぎる姿に、理性が吹き飛びかけた。しかも寝起きではないか、風邪を引いたらどうする!
彼女を毛布でグルグル巻きにすると、気のせいかソワソワと落ち着きがない。親とはぐれて泣きそうな子供のような困った顔をしていた。
(嫌な夢でも見たのか?)
詮索しそうな言葉を吞み込み、彼女をそっとで抱きしめた。今日はいつになく大人しく身を寄せて来るので、愛おしさが込み上げてくる。
「えっと、ふと思ったのだけれど、龍神族の風習で《求婚印》ってあるでしょう。そういった知識は残っているものなの?」
あまりにも脈略にない発言だった。なにより《求婚印》とくれば恐らくトーヤがユヅキに接触したのだろう。しかも牽制のつもりなのか印を残しいることがすぐにわかった。
宣戦布告を受け取った以上、こちらも本気で行くだけだ。そう思いユヅキの肌に触れて魔力を編む。龍神族の本能とでもいうべきか、不思議とどうすればいいのかが分かった。
蓮。儚く高貴な華。
手に掴もうとすると幻のように、消えてしまう。そんな想いを汲んだのかもしれない。だが印を刻んだ瞬間、感覚的に魔力が繋がった。次いで、彼女の心が流れ込んでくる。俺をどう思っているのか緊張が走ったが──。
『ふぁあああああああああああ! 待って待って。落ち着いて私。さっきから頭が回らないのだけれど! こんなふうになるものなの? あ、もしかして病気』
は? なんだこれは。
気のせいかと思い彼女に話しかけるのだが、予想以上に動揺している。そんなに嫌だったのか。
『あわわわわ。……だめ、ダリウスを直視できない! ダリウスってこんなにカッコよかったの?』
真っ赤な顔に、潤んだ瞳であわあわしているではないか。
は? 何だ、この可愛い生き物は。
いや、俺も結構ヤバい。
心の声がダダ漏れ過ぎるだろう。可愛すぎる。
これで少なくともユヅキは俺を好いてくれているというのは、間違いなく感じられた。このまま自覚させれば……、そう思ったのだが──。
『ああ。ここまでくると認めなきゃだめだわ……。でも《求婚印》は意中の相手を受け入れたら《刻龍印》になると言っていた。そうなったら刀夜のつけた印は消えて、手掛かりや足取りがつかめない。それは困る……』
これでトーヤが接触してきたのは確定した。となれば近いうちにもっと直接的な形で姿を見せるだろう。その時ユヅキはどう判断する気なのか。
「ダリウス」
「なんだ?」
「……貴方が本気だってわかったわ」
「いまさら──と言いたいが、気付いたのならそれはそれでいい」
あれで伝わってなかったというのはいささか心外だが、過ぎたことはいい。それよりも、今が大事なのだから。
リンゴのように真っ赤になった頬、大きく見開いた眼が俺を写す。悩んで困って、恥ずかしがって、照れる。そんな百面相をしている姿は実に愛らしい。
「言葉にするのも難しいぐらい、胸が苦しくて、息が詰まりそうで、自分の気持ちが上手くまとまらないの。今後のことも考えたいのに、ダリウスのことが頭から離れなくて困っているというか……ううん、違う。ちょっと待って。ええっと、そう! ダリウスのことが気になるし、離れると寂しいのだけれど、近くにいると、こう、んー、うまく言えないわ」
お前それ。
とんでもない破壊力を叩き出してきた。もうほとんどそれは、答えを言っているようなもので、「好き」と言うよりも胸にくる。そんな想いを抱いていても、過去に囚われている傷のせいで踏み出せないでいる。その傷が早く治るように、俺はユヅキを支えて今よりも沢山の愛を贈ろう。
だから、いつか俺に頼ってくれ。