黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
刀夜は白銀の髪を赤く濡らし、味方である猫々と馬仙、いや周囲に居た龍神族全てを皆殺しにしたのだ。みな殺されたことに気づくことなく、肉の塊となって転がり落ちた。
真っ赤な液体が、意思を持って刀夜の体の中に入り込んでいく。そのたびに彼の頭髪が白銀から緋色と変色する。
「刀夜。貴方、何をしたのかわかっているの!?」
「これで君と同じ強さがあると証明できただろうか?」
冗談めいた言葉を告げた。彼の真っ白な外套に、上衣と袴が深紅の色に染まっていく。周囲の白い花も赤く穢され、まるで世界が赤で埋め尽くされていくようだ。同族を殺し。その力を吸収した彼は、もはや私の知る彼はどこにもいないのかもしれない。
どこか切なげに微笑む彼──刀夜の言葉に、私の視界が歪む。気づけば涙が止めどなく流れた。
私は刀夜以外の龍神族とはあまり仲が良くない。それは刀夜が私に求婚をしたせいで、龍神族の女性陣は私を目の敵にしている。プライドの高い男性陣は女である私の強さが許せないのだ。
龍神の娘で酷い仕打ちなどは無かったが、それでも突き刺さる視線は常にあった。それでも同胞である彼、彼女らの死に私は涙があふれた。
「どうして猫々と馬仙を……!? みなも貴方を慕っていたじゃない!」
「僕の愛する人に殺意を向けた。それだけであれらは死んでも文句はないと思わないかい?」
「!?」
刀夜の姿が消えた瞬間、私はその場を飛びのいた。
刹那、私が立っていた場所に彼の姿が見える。
二人の力を取り込んだからか、以前よりも数段速い。私は空中で大きく旋回し、空を蹴った。それは放たれた矢の如く、一瞬で刀夜の間合いに飛び込む。
「刀夜ッ!」
「不意打ちは優美で、静かに──って昔教えただろう」
寸前で刀夜は私の一撃を避ける。次の瞬間、私の体が何かに引っ張られ攻撃が遅れた。その隙を彼は逃さなかった。
回転をかけた鋭い突きが私の胸へと迫る。
ぞくり、と首筋に寒気が走る。
本能的に危機を察した私の体は、上半身をひねって手刀を躱す。風圧によって私の纏っていた白い外套が斬りさかれ、宙に舞う。地面に転がり、素早く起き上がろうとするが──足が動かない。
(まるで地面に縫い留められたかのように、びくともしない。……これは!)
「ああ、ようやく発動してくれた。ご覧の通りこの辺り一帯に特殊な魔力で紡いだ糸を張り巡らせている。一度捕まったら最後、脱出は不可能だよ」
腕を動かそうとしたが、不可視の糸によって身動きが封じられた。私の体が完全に動きを止めたのを見計らって、刀夜はゆっくりと歩み寄る。
刺すような鋭い視線に、私は睨み返す。
「私も殺して力を奪うつもり?」
「いいや。君にはこれから起こることを、ここで見ていて欲しい。なにより今ここで君を手にかけたら、龍神様との正面衝突になるからね。そんな愚行を僕がすると思うかい?」
「そこまでわかっているなら、なんでこんなことを……」
「君には全てを知った上で、僕の手を取って欲しい。これから僕が行ったことが正しかったのか、それとも間違っていたのか──」
仲間を殺しておいて、正しいものか。そう告げようとして私は押し黙った。
刀夜にとっては「最小限の犠牲」だったというつもりなのだろう。口喧嘩では彼を上回るのは難しい。いつだって口では勝てなかった。たとえ私が正しかったとしても、刀夜は言いくるめて自分の考えが最適解だと言い切るだろう。
(それよりも、この糸を何とかする方が先だわ)
「地上とここでは時の流れが異なるから、そんなには待たせないと思うよ」
いつの間にか視界が霞み、睡魔に襲われる。
体中の力が抜けていくようだ。相変わらずえげつない策ばかり使ってくる。私が無理やり糸を引き千切るとわかっているのだろう。一緒に居た時間は長いのだから、お互いに手の内が読めるのだ。
(本当に……こういう戦い方は……刀夜の方が一枚上手だわ)
刀夜は私のすぐ傍に来ると、身をかがめて額をそっと合わせた。私が幼かったころ、彼にやってと駄々をこねたこともあった。
もうあの頃には戻れないのだろう。
そう思うと涙が頬を伝って流れ落ちた。あの幸福だった時間は戻って来ない。ひび割れて歪んで、砕けてしまった。
「……っ」
「大丈夫だよ、結月。僕は陽善と約束をした未来を作りに行く。少しばかり血なまぐさいことになるけど、それでも犠牲は最小限に抑える努力はしてみる」
「刀夜……。そんなことを……すれば、邪龍に……」
「こんな時でも僕の心配をしてくれる。……やっぱり君は誰もよりも優しくて、大切で、愛しい。僕がこんなに思っているのに、どうして君は受け入れてくれないんだい?」
それはもう何度も繰り返されるやり取り。
私には刀夜は兄のようにしか思えない。大切だけれど、恋とは違う。
「刀夜……」
視界が揺らぎ、目蓋もそれに合わせて閉じた。
暗闇。
ふと、唇になにかが押し当てられる。
「結月、大人しく待っているんだよ」
「……っ!」
その言葉に反射的に意識が浮かび上がる。しかしそこに刀夜の姿はなかった。
ほんの数秒だけ意識が遠のいた。
このままでは夜に煌めく皇国イルテアの灯りは、紅蓮の炎によって滅ぼされるだろう。兄様が暴走して死んだ時のように──。
龍神族の力はそれほどまでに強大で危険なものだ。何より道を外れた龍神族の末路は邪龍と相場が決まっている。暗く濁った魂は世界悪そのものとなり、人界を滅ぼす。
私は下唇を噛みしめた。
(もう陽兄のような邪龍を生み出したくない。二度と父様が泣いた姿を見たくない。……今の私に出来ることは──)
無理やり糸から逃れようと手足を動かそうとするが、少しでも動かすだけで筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み神経が激痛を起こす。
(半端な力じゃ駄目。なら──)
思い出すのは、天界を出立するときの父様の言葉だ。
『結月。お前の力は人界において扱いを間違えれば、殺戮兵器となりかねない。ゆえに時が来るまで力の殆どを封じました。母に似て愛らしく、聡明で心優しいお前が心配なので、本当は地上に送りたくないのですが……。ううっ……仕方ありません』
最後の最後まで、私が地上に降りるのを渋ったのも父様だった。もしかしたら今回のことも知っていたのかもしれない。
けれど刀夜を止められるのは、私しかいないだろう。彼と過ごした時間は兄様の次に長い。私にとってはもう一人の兄のような存在なのだ。
もう誰も失いたくない。覚悟を決めた私は大きく息を吸って叫ぶ。
「宝玉全解除──龍甲冑──降臨」
稲妻が私の周囲に降り注ぐ。
金色の煌めきは神々しく、強烈な光によって真昼のように世界を照らす。私の腰に携帯している宝玉が金色の煌めきを見せ、紋様が浮かび上がる。
──第一級限定解除、八十三パーセントの承認を受理。武装、展開します──
宝玉から平坦な声が響く。
次いで私の周囲に凄まじい熱エネルギーが捻出し、雷が白銀色の甲冑へと形を成す。それは巨大な魔力を防具へと凝縮させ、身体能力を飛躍的に引き上げる魔法術式。
(全体の八割……。これならなんとか……!)
繊細な紋様が描かれた、龍の鱗を模した中華風の甲冑は、全身武装まではいかなかったが、肩当てと二の腕、籠手までは武装が出来た。足の具足と腰回りの帯に、大刀の一種、龍我偃月刀の魔法武器を顕現させる。長い柄の先に湾曲した刃を取り付けており、鈍色に煌めいた。
「はああああああああ!!」
一閃。
宵闇に一層煌めく光が穿たれた。
鮮血が飛び散るのも構わず、私は手にした刃を振り下ろす。ぶちぶちと神経が切れる音がした。バキバキと骨が軋み、鈍痛に意識が飛びそうになった。
それでも、歯を食いしばって前に進む。
周囲に張られた糸全てを断ち切り──そして下界へと飛んだ。
「絶対に、刀夜は私が止める!」
真っ赤な液体が、意思を持って刀夜の体の中に入り込んでいく。そのたびに彼の頭髪が白銀から緋色と変色する。
「刀夜。貴方、何をしたのかわかっているの!?」
「これで君と同じ強さがあると証明できただろうか?」
冗談めいた言葉を告げた。彼の真っ白な外套に、上衣と袴が深紅の色に染まっていく。周囲の白い花も赤く穢され、まるで世界が赤で埋め尽くされていくようだ。同族を殺し。その力を吸収した彼は、もはや私の知る彼はどこにもいないのかもしれない。
どこか切なげに微笑む彼──刀夜の言葉に、私の視界が歪む。気づけば涙が止めどなく流れた。
私は刀夜以外の龍神族とはあまり仲が良くない。それは刀夜が私に求婚をしたせいで、龍神族の女性陣は私を目の敵にしている。プライドの高い男性陣は女である私の強さが許せないのだ。
龍神の娘で酷い仕打ちなどは無かったが、それでも突き刺さる視線は常にあった。それでも同胞である彼、彼女らの死に私は涙があふれた。
「どうして猫々と馬仙を……!? みなも貴方を慕っていたじゃない!」
「僕の愛する人に殺意を向けた。それだけであれらは死んでも文句はないと思わないかい?」
「!?」
刀夜の姿が消えた瞬間、私はその場を飛びのいた。
刹那、私が立っていた場所に彼の姿が見える。
二人の力を取り込んだからか、以前よりも数段速い。私は空中で大きく旋回し、空を蹴った。それは放たれた矢の如く、一瞬で刀夜の間合いに飛び込む。
「刀夜ッ!」
「不意打ちは優美で、静かに──って昔教えただろう」
寸前で刀夜は私の一撃を避ける。次の瞬間、私の体が何かに引っ張られ攻撃が遅れた。その隙を彼は逃さなかった。
回転をかけた鋭い突きが私の胸へと迫る。
ぞくり、と首筋に寒気が走る。
本能的に危機を察した私の体は、上半身をひねって手刀を躱す。風圧によって私の纏っていた白い外套が斬りさかれ、宙に舞う。地面に転がり、素早く起き上がろうとするが──足が動かない。
(まるで地面に縫い留められたかのように、びくともしない。……これは!)
「ああ、ようやく発動してくれた。ご覧の通りこの辺り一帯に特殊な魔力で紡いだ糸を張り巡らせている。一度捕まったら最後、脱出は不可能だよ」
腕を動かそうとしたが、不可視の糸によって身動きが封じられた。私の体が完全に動きを止めたのを見計らって、刀夜はゆっくりと歩み寄る。
刺すような鋭い視線に、私は睨み返す。
「私も殺して力を奪うつもり?」
「いいや。君にはこれから起こることを、ここで見ていて欲しい。なにより今ここで君を手にかけたら、龍神様との正面衝突になるからね。そんな愚行を僕がすると思うかい?」
「そこまでわかっているなら、なんでこんなことを……」
「君には全てを知った上で、僕の手を取って欲しい。これから僕が行ったことが正しかったのか、それとも間違っていたのか──」
仲間を殺しておいて、正しいものか。そう告げようとして私は押し黙った。
刀夜にとっては「最小限の犠牲」だったというつもりなのだろう。口喧嘩では彼を上回るのは難しい。いつだって口では勝てなかった。たとえ私が正しかったとしても、刀夜は言いくるめて自分の考えが最適解だと言い切るだろう。
(それよりも、この糸を何とかする方が先だわ)
「地上とここでは時の流れが異なるから、そんなには待たせないと思うよ」
いつの間にか視界が霞み、睡魔に襲われる。
体中の力が抜けていくようだ。相変わらずえげつない策ばかり使ってくる。私が無理やり糸を引き千切るとわかっているのだろう。一緒に居た時間は長いのだから、お互いに手の内が読めるのだ。
(本当に……こういう戦い方は……刀夜の方が一枚上手だわ)
刀夜は私のすぐ傍に来ると、身をかがめて額をそっと合わせた。私が幼かったころ、彼にやってと駄々をこねたこともあった。
もうあの頃には戻れないのだろう。
そう思うと涙が頬を伝って流れ落ちた。あの幸福だった時間は戻って来ない。ひび割れて歪んで、砕けてしまった。
「……っ」
「大丈夫だよ、結月。僕は陽善と約束をした未来を作りに行く。少しばかり血なまぐさいことになるけど、それでも犠牲は最小限に抑える努力はしてみる」
「刀夜……。そんなことを……すれば、邪龍に……」
「こんな時でも僕の心配をしてくれる。……やっぱり君は誰もよりも優しくて、大切で、愛しい。僕がこんなに思っているのに、どうして君は受け入れてくれないんだい?」
それはもう何度も繰り返されるやり取り。
私には刀夜は兄のようにしか思えない。大切だけれど、恋とは違う。
「刀夜……」
視界が揺らぎ、目蓋もそれに合わせて閉じた。
暗闇。
ふと、唇になにかが押し当てられる。
「結月、大人しく待っているんだよ」
「……っ!」
その言葉に反射的に意識が浮かび上がる。しかしそこに刀夜の姿はなかった。
ほんの数秒だけ意識が遠のいた。
このままでは夜に煌めく皇国イルテアの灯りは、紅蓮の炎によって滅ぼされるだろう。兄様が暴走して死んだ時のように──。
龍神族の力はそれほどまでに強大で危険なものだ。何より道を外れた龍神族の末路は邪龍と相場が決まっている。暗く濁った魂は世界悪そのものとなり、人界を滅ぼす。
私は下唇を噛みしめた。
(もう陽兄のような邪龍を生み出したくない。二度と父様が泣いた姿を見たくない。……今の私に出来ることは──)
無理やり糸から逃れようと手足を動かそうとするが、少しでも動かすだけで筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み神経が激痛を起こす。
(半端な力じゃ駄目。なら──)
思い出すのは、天界を出立するときの父様の言葉だ。
『結月。お前の力は人界において扱いを間違えれば、殺戮兵器となりかねない。ゆえに時が来るまで力の殆どを封じました。母に似て愛らしく、聡明で心優しいお前が心配なので、本当は地上に送りたくないのですが……。ううっ……仕方ありません』
最後の最後まで、私が地上に降りるのを渋ったのも父様だった。もしかしたら今回のことも知っていたのかもしれない。
けれど刀夜を止められるのは、私しかいないだろう。彼と過ごした時間は兄様の次に長い。私にとってはもう一人の兄のような存在なのだ。
もう誰も失いたくない。覚悟を決めた私は大きく息を吸って叫ぶ。
「宝玉全解除──龍甲冑──降臨」
稲妻が私の周囲に降り注ぐ。
金色の煌めきは神々しく、強烈な光によって真昼のように世界を照らす。私の腰に携帯している宝玉が金色の煌めきを見せ、紋様が浮かび上がる。
──第一級限定解除、八十三パーセントの承認を受理。武装、展開します──
宝玉から平坦な声が響く。
次いで私の周囲に凄まじい熱エネルギーが捻出し、雷が白銀色の甲冑へと形を成す。それは巨大な魔力を防具へと凝縮させ、身体能力を飛躍的に引き上げる魔法術式。
(全体の八割……。これならなんとか……!)
繊細な紋様が描かれた、龍の鱗を模した中華風の甲冑は、全身武装まではいかなかったが、肩当てと二の腕、籠手までは武装が出来た。足の具足と腰回りの帯に、大刀の一種、龍我偃月刀の魔法武器を顕現させる。長い柄の先に湾曲した刃を取り付けており、鈍色に煌めいた。
「はああああああああ!!」
一閃。
宵闇に一層煌めく光が穿たれた。
鮮血が飛び散るのも構わず、私は手にした刃を振り下ろす。ぶちぶちと神経が切れる音がした。バキバキと骨が軋み、鈍痛に意識が飛びそうになった。
それでも、歯を食いしばって前に進む。
周囲に張られた糸全てを断ち切り──そして下界へと飛んだ。
「絶対に、刀夜は私が止める!」