夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜

 午前九時、診察が開始された。大原が樫井を、菜胡が棚原を担当し、それぞれに廊下に出て患者を呼ぶ。樫井を慕う昔からの患者が多く、彼らを相手するのは大原が上手い。だから自ずとそういう組み合わせになった。
 
「今日は新しい先生なんだってな」
 呼び出す為に顔を出せば、該当じゃない患者さんからそう声がかかる。大原も何度も訊かれていてうんざりしていたのか、大きい声で返すのが聞こえた。

「そうなのよ、樫井先生より良い男よ。でも! あたしが今呼んでるのは樫井先生の方よ」
「じゃあ菜胡ちゃんに呼ばれないとダメなのか〜!」
 新規患者の処方箋を書いている棚原が笑った。

「なんだか、ここは気が抜けるね」
 くつくつと笑う様子を見て、菜胡もなんだか嬉しくなった。悪い意味じゃないのだろう。笑う棚原の顔を見れば、気を張らなくていい場所だね、そう言っているのだと思えた。

 大きな病院に比べたら、患者との距離が近いのはありえないだろう。冗談を言う暇があったら動きなさいと叱られるかもしれない。一部の患者と仲が良すぎるのは不公平だという苦情だって寄せられるかもしれない。不要な笑顔は見せなくていいと指導されるかもしれない。

 でもこの緩さがここの整形外来なのだ。患者さんは気負いなく小さな事も相談してくれる。その会話から得た、先生には言いにくいであろう事を、大原や菜胡がタイミングを見て伝える事は間々あった。
 時には病気と関係のない、神田で食べた鰻重が美味しかっただの、孫の見合いの結果、自身の娘時代の話、趣味の民謡の話だったりを、もう診察が終わったのに、大原や菜胡の手が空くのを待ってでも話したくて、会計を済ませてまた外来待合椅子に戻ってくるかんじゃもいた。
 
『家に帰っても一人だから寂しいの』
 診察中にポツリとこぼした方が居た。

『それなら、あたしたちの手が空いてからだからお昼近くなっちゃうと思うけど、それでいいなら前の椅子で待ってて!』
 大原は診察後、待っていた一人暮らしの彼らと話をするようになった。この辺りが地元なだけあって話は尽きないようで、やがてそれに菜胡も巻き込まれていった。

 一人暮らしの彼らは話するだけでは飽き足らず、手縫いの巾着を持ってきたり田舎から届いた果物や美味しいお店を紹介するといって名刺をくれたり、そういうやりとりが増えた。
 一年目のクリスマスの時期はプレゼントを貰ったこともあった。こういう距離の近さが、人間臭くて菜胡は好きだと思っている。街中の大きな病院にはおよそないだろう交流ができるのは下町の古い病院ならではないだろうか。誇らしくもある。そこを棚原も気に入ってくれたなら、菜胡も嬉しい。
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