夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
いつも外来に来ていた常連の患者が救急搬送されたり、認知症が発症するなどで慌ただしい日が続いた。その間も棚原は隙を見つけては菜胡と過ごしたがった。
抱きしめながら、病棟へ行くのを嫌がって深くため息を吐いた。匂いに癒されホッとすると言われて嬉しい気持ちが湧いてきて、やがて自分のそばで気が安らぐならその時間を守りたいと思うようになった。
ある日の診察中に菜胡が患者と交わした会話について、診察後に詰められた。
「菜胡ちゃんをうちの孫の嫁にって言われたことはないの」
「何度かありましたよ。大原さんがその度に、『うちの娘はどこへもやらないわ!!』って声高らかに宣言してくれて」
そんなやり取りで待合室が笑いに包まれた事があると棚原に話した。
「私、こんなだし有り得……」
棚原は菜胡を抱きしめ、肩口に顔を乗せて小さな声を絞り出した。
「いやだ……菜胡、やだ」
いつも自信たっぷりな棚原が弱気になった。表情もそうだが、声も震え、菜胡を抱きしめてくる腕はいつもより強かった。
――どうしたんだろ……患者さんの孫に嫉妬? まさかそんな……。
「先生? ……どうかなさいましたか」
「菜胡、お嫁に行っちゃうのやだ……どこにも行かないで、俺の――」
子供のように懇願してくる棚原の腕を宥めるようにさする。
俺の、何なんだろうか。妻帯者である棚原にとって、菜胡は一体何だというのか。
今、菜胡の心を占めているのは棚原だけだ。好きか嫌いかで言えば好きだが、恋愛の好きだと言っていいかもわからない。だが気になっている存在なのは確かで、たとえ患者の孫からプロポーズされたとしても断るしか考えつかない。
ぎゅうぎゅうと自分を抱きしめる棚原の心に居座っている不安を、自分が取り除いてあげられるだろうか。
* * *
それから少しした頃、外来が終わりいつものように二人きりになった。椅子に座った棚原が、両腕を菜胡に向けて広げた。おいで、と言われた気がして近づけば、手を取られてあっという間に膝に乗せられた。
その日入院した患者との会話で、またしても菜胡の結婚が話題にあがった。先日のように棚原が動揺してしまうのではと思ったが……。
「菜胡をお嫁さんにできる人は幸せだな――」
ドキッとした。
棚原は結婚している。左手の薬指に指輪をはめているから確かで、だから自分が棚原のお嫁さんになる事はあり得ない。好きでもないのだからお嫁さんになれなくたって構わないはずなのに、棚原の言葉が心に影を落とした。悲しみにも似た気持ちだった。胸が締め付けられ、切なくて苦しくて、涙が溢れそうになって思わず棚原の首に抱きついた。
「ばか……なんで泣きそうな顔してんの」
――言えない。
「わかんない」
菜胡の後頭部に棚原の大きな手が当てられる。寸分の隙間も無いくらいに、ただ静かに抱きしめあった。
「泣くなよ……」